ある魔法都市の日常

工事帽

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宿屋の愛宕さん3

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「それじゃあ、お掃除に行って来ますね」

 一足早く席を立ったしほちゃんが、食堂を出ていく。
 もっとゆっくりすればいいのに、そう思いながら私は食後のお茶を飲む。
 ここは宿屋。うちの両親がやってる宿屋。その奥にある従業員用の食堂だ。

 お茶を飲み終わると、しほちゃんの分もまとめて食器を洗う。
 昼食は宿では出していない。出しているのは朝食と夕食だけ。昼食は従業員だけが食べるから、私が作っている。
 朝にお客さんが居なくなったら客室の掃除をして、その後に昼食を作って、食器を洗うのが私の仕事。
 しほちゃんの仕事は、朝の客室の掃除だけ一緒で、その後は洗濯。午後からは廊下や広間の掃除になる。

 宿の仕事はその大半が掃除だ。小さい頃からやってきて、慣れはしたけど。
 ……学校に通っていた頃の友達は、仕事にやりがいとか、達成感が、なんてことを言っていた。でも、宿の仕事で掃除をしていてもやりがいも、達成感もない。
 子供の頃から、宿の仕事を手伝ってきた。
 なにもなければ、この宿を継ぐことになるんだろうと思う。でも、別のことをやってみたいような気持ちもある。

 しほちゃんはどうなんだろう。

 家族同然に暮らしてきて、ずっと宿の仕事もしてくれている、しほちゃん。
 彼女のことは妹のように思っている。でも本当は違う。捨てられた子だ。

 多分、しほちゃんを街まで連れて来た父親は、売るつもりで来たんだと思う。でも、この街には奴隷商はいない。
 もうずっと前に奴隷は禁止されて、居なくなった。
 でも、街に来ない人たちは、居なくなったことを知らないみたいだ。たまにだけど、村から来た人に奴隷商の場所を聞かれることがある。

 だから、しほちゃんの父親は、しほちゃんを捨てて帰ってしまった。

 それから、しほちゃんはうちの宿で働いている。
 でも本当の家族じゃないから宿を継ぐことはないし、奴隷じゃないから自分で仕事を選べる。
 小さな子供だったときならともかく、成人した後なら雇ってくれるところはあると思う。そうしたら、しほちゃんは家を出ていってしまうのかな。

 しほちゃんは、犬獣人だ。耳が垂れ下がっているから、気弱そうに見えるけど、ずっと宿の仕事をしてきて体力はある。
 でも、街の生まれじゃないから、学校には行っていない。
 読み書きや、計算の勉強は仕事の合間にしていたのは知ってる。
 でも、宿の仕事は掃除と洗濯だから、使う機会はほとんどない。お父さんみたいに、宿の帳簿をつけるのでなければ、読み書きは知らなくても宿の仕事は出来る。

 しほちゃんがやりたい仕事が、読み書きや計算をする仕事だったら辛いかもしれない。 でも、それでしほちゃんが居なくなってしまうなら、読み書きや計算が出来ないくらいのほうがいいのかもしれない。

 洗い終わった鍋と食器を拭いて、棚に戻す。
 夕食に使うのは、泊まってる人用の大きな鍋だから、小さな鍋は使わない。

「ただいま」
「お帰り、父さん」

 大きな袋を抱えて父さんが帰ってきた。
 袋の中身はいつもどおりに食材だろう。
 父さんが買い出しから帰ってくると、お客さんに出す夕食の仕込みが始まる。
 お客さんに出す食事は父さんが作るから、私は仕込みの手伝いだけだ。
 ……そういえば、しほちゃんが仕込みの手伝いをしたことはないな。しほちゃんの今後について、父さんはどう思ってるんだろう。一度、聞いてみようかな。
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