ある魔法都市の日常

工事帽

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おむすび屋の糸野さん4

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 住居に併設された「おむすび屋」は午後、夕方になるかどうかという時刻には、大半の商品が売り切れて、残り数種類となる。
 夕食の時間前だが、補充はしない。品数がある程度少なくなったところで店を閉めるのが常だ。

 以前は夜まで店を開いていたが、夕食におむすびを買っていく客は少ない。
 時間があって用意が出来る家ではちゃんとした食事を、時間がなくて用意出来ない人は定食屋や居酒屋に行くことが多いのだろう。
 夫と話合って、夕方で店を閉めることにしたのはもう何年も前のことだ。まだ娘の結花が小さくて手間がかかっていた時期。それから結花は学校に通うようになり、生活に余裕は出来てきたが、夜の営業を再開する予定はない。

「ただいまー」
「おかえりなさい」

 店の奥、住居のほうから聞こえた娘の声に答える。
 その後、それが合図のように店仕舞いの用意をする。
 商品は全部売ってから閉めたほうが売り上げも上がるし、おむすびを無駄にはならない。それでも、まだ残っているうちに閉めるのは、選ぶことが出来ないのはお客に失礼だという夫の主張からだ。

 店仕舞いを終えて、残ったおむすびを手に居間に移動すると、娘が腕を組んで難しい顔をしていた。
 居間のテーブルにはノートが広げてある。
 テーブルにあるのはそれだけで、教科書も宿題の用紙もない。

「難しい顔ね。どうかしたの?」

 言いながら居間を通り抜けて、すぐ隣にあるキッチンの、作業台の上におむすびを置く。
 夕食の準備は、明日の材料と一緒に買い出しに出ている夫が戻ってきてから、明日の仕込みと一緒に行う。それまでは少しの休憩時間。
 二人分のお茶を持って居間に戻ると、まだ娘は難しい顔のままノートを睨んでいた。
 コトリと音を立てて、カップを娘の前に置く。

「魔法の属性を選ばないといけないの」
「ふーん」

 言いながらお茶を一口。ノートには地、水、火、風、光、変化と書いてある。

「この中から選ぶの?」
「うん」

 随分と多い。
 魔力を増やすために努力した結果だ、褒めてあげないと、と思う。
 でも魔法が使えるようになるのだろうか。

 つい最近まで、魔力が足りなくて適正を調べるところまで進めていなかった子だ。幼馴染の明日菜ちゃんは、もう一年くらい前に適正調査を終えて、魔法の練習をしていると聞いている。
 そして使える魔法は親子で似るらしい。うちは母親である私も、父親である夫も魔法は使えない。

「練習に時間が必要だから、一種類にしなさいって先生が」
「ふーん。やりたいのはないの?」
「よくわかんない」
「そう……」

 冷たいお茶は仕事終わりに飲むととても美味しい。立ちっぱなしで疲れた体に冷たいお茶がしみていく感じがする。

「この属性でどういう魔法が使えるのかしら」
「?」
「光は、明かりでしょ?」

 よく分かっていない娘に天井の明かりを指さす。
 魔力を注ぐだけで光って周りを照らしてくれる魔法道具だ。魔法の適正がなくても、魔力を注ぐだけで使える。この街なら、どこの家にもついている普通の魔法道具だ。

「火は、コンロよね」

 キッチンには魔法道具のコンロがある。料理には欠かせない魔法道具で、これがない遠くの村なんかだと、わざわざ木を燃やして料理をするらしい。
 水も水瓶がある。魔力を注ぐと水が湧いてくる魔法道具だ。でも……

「土ってなにが出来るのかしら、明日菜は知ってる?」
「……」
「なら、それを聞いてみたらどうかしら、光や火も、魔法道具とは違うことが出来るのかもしれないでしょ」
「……うん。先生に聞いてみる」

 漠然と考えていても分からないものは分からないのだ。
 なら、情報を集める。役に立ちそうなもの、簡単に使えそうなもの、決めるための情報は多ければ多いほどいい。

「ただいま」
「「おかえりなさい」」

 聞こえてきた夫の声に、娘と二人で返す。
 さあ、休憩は終わり。夫が買ってきた材料で夕食と明日の仕込みをしましょうか。
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