1 / 1
スマートスピーカー
しおりを挟む
カタカタとキーの鳴る音の合間に、電話で話している声がする。
オフィスの中は中途半端に静かで、人の会話がよく響く。
そのせいで、音を立ててはいけないような気持ちになって、なんというか、肩が疲れる。
いつの間にか下がっているような気がする眼鏡。軽く持ち上げて鼻あての位置を直すと、持った場所が悪かったのか、視界にメニューが表示される。慌ててキャンセルをして、もう一度パソコンに向き合う。
音声入力にすればいいのに、頑なにキーボード入力に拘っているうちの会社は時代遅れじゃないだろうか。
「瀬尾。明日の会議の資料まだ?」
まだに決まってんでしょう、懸命にキーボード叩いてるのが見えないの。うるさい課長め。
音声入力ならとっくに終わってる資料作りも、キーボード入力だと全然終わらない。
なぜだかうちの上層部は音声入力が嫌いらしい。未だに音声入力は誤字が多いとか言って、キーボード入力に拘っている。一体、いつの時代の話をしているんだという感じだ。
かと言って、この変に静かなオフィスではコッソリ音声入力をすることも出来ない。
いっそ、皆が帰るまで待ってから音声入力で作ろうかとも思うが、やっぱり残業はしたくない。
「瀬尾~」
課長うるさい。
結局、残業をしてしまった。最後の一人になって、カギを閉めてセキュリティをセットしてからオフィスを出る。オフィスの入口にある照明のスイッチを押すと、暗闇に心細くなるから、すぐに外へ出た。
セキュリティは、ネットを経由して警備会社に繋がっている。どうせなら私の眼鏡にも接続して、社内に残っているかどうか判断してくれればいいのに。一々、カギを閉めてセキュリティを掛ける手間が面倒臭い。
残業で疲れているときにしかやらないから特にそう思う。
それに外に出たことを検知さえしてくれれば、照明の落ちた暗闇で怖い思いをする必要もないのだ。
帰り道の途中で、眼鏡のAR機能をONにする。
目の前に現れるメニューから、新しいメールがないことを確認して、SNSに繋ぐ。
歩きながら小声で操作すれば、SNSは変わらず馬鹿話と怒りと猫画像で混沌としている。疲れに任せてお気持ち表明の怒ってばかりのメッセージをミュートして、猫画像を眺めるうちに駅だ。
電車に揺られながらニュースのタイトルだけをチェックして、夕食のことを考える。
もう帰ってから作る気力もないし、コンビニでいいか。コンビニのお弁当はカロリーが気になるし、この時間に食べるには量が多いけど、今から作るなんて無理だもの。
電車を降りると、駅前にコンビニや居酒屋があるの以外は、すぐに普通の住宅地だ。
駅前のコンビニで運よく残っていたサラダパスタを買って、家へと歩く。この時間に普通サイズのお弁当はキツイ。サラダパスタが残っていてよかった。
街灯の少ないこの道は、昼間であれば「閑静な住宅街」で通るけど、夜は静か過ぎて少し怖い。
眼鏡のナビゲートをONにして、家までの道のりと、障害物の輪郭強調表示をする。これなら歩道の段差や、ゴミが落ちてた時でも、物の輪郭を捕らえてAR表示で示してくれる。暗い中で足を引っかけずに済むし、視界が明るくなるので少しだけ安心できる。
そうやって歩いていると、道の端にゴミが積まれているのが見える。
そういえば、明日はゴミの日か。
帰ったらゴミを出す用意もしないと。
前日からゴミを出すなという注意書きのあるゴミ置き場には、既に沢山のゴミ袋が積まれている。明るく表示されているゴミ袋を避けて、距離をとって歩く。
ふと、ゴミ袋の上に袋とは違う形のものが乗っているのに気づく。
人形。
人形に視線が合うと、細かな輪郭も表示されるようになる。
「懐かしい。スマートスピーカーだ」
それは一時期、沢山の種類が販売されていたスマートスピーカーの一つだった。
円柱型、時計型、人形にぬいぐるみ。昔はいろんな形のスマートスピーカーが売られていた。当時、私が学生だった頃は、私の家にも人形型のスマートスピーカーがあった。もしかしたらこの人形と同じタイプかもしれない。
音声認識で質問に応答を返してくれるスマートスピーカーは、人形やぬいぐるみの形とは相性がよかったのか、いろんなキャラクター物も出ていたものだ。
今は、私の眼鏡のように、持ち歩くことが前提の使い方が主流になったから、持ち運び難いスマートスピーカーは廃れてしまった。
今日のゴミに出ているということは、この人形はずっと物置にでも入っていたのかもしれない。
ジジッ。
一瞬、視界がブレたような気がする。
故障だろうか。この眼鏡も3年以上は使っている。そろそろ新しいものに買い直したほうがいいかもしれない。
翌朝、仕事用のパンツスーツに着替えて眼鏡を掛けたところで、着信があったことに気づいた。
昨晩はなかったから、夜中のうちに着信があったとうことになる。
そんな時間の着信に恐々として眼鏡を操作したが、相手の名前も番号も出てこない。非通知? 夜中に非通知とか意味わからない。
とりあえず電話はなかったことにして、会社に行くことにした。
家を出て、駅に急ぐ。
電話のチェックをしていた分、少しだけいつもより遅い。電車に間に合わなくなる程じゃないはずだけど、いつもより遅いというだけで気が逸る。
ポーン。
突然、眼鏡のナビゲート機能が起動した。
何も操作していないのに。
無言で歩いているだけだから音声入力ではない。直ぐ近くを歩いている人もいない。手で操作するには先にメニューを表示しないとダメ。だから何も操作してはいない。
やっぱり眼鏡の調子が悪いみたいだ。
ナビゲートをキャンセルしてそのまま歩く。
出来ることなら、このまま修理に持っていきたいけど、今日は会議があって外せない。
会議の後、早退出来ないかな。ダメだろうな多分。
ダメだった。
会議の後は、議事録の作成と、決まった内容を資料へ反映させる作業で一日が潰れてしまった。一日? たぶん一日。残業込みだけど。
二日連続でオフィスのカギを閉める。
オフィスの照明が全部消えた暗闇は、何度体験しても慣れない。
電車を降りてやっぱりコンビニへ。少し悩んでサンドイッチを買うことにした。
コンビニを出ると再びポーンという音で、勝手にナビゲートが起動する。
「もうっ」
今朝ぶりの誤動作だ。
会社にいる間は平気だったのに。歩いてる振動でも拾ってるんだろうか。
どうせ夜道を歩くのにナビゲートを起動して、視界を明るくつもりではいたけど、勝手に動くのは腹が立つ。
それに自分の部屋までのナビゲートだと思ったら、途中で終わりになっている。なんなのよ。そんな中途半端な位置を設定したことなんてないのに。
面倒になって、ナビゲートはそのままで歩く。
どうせ部屋までの道のりは、ナビゲートの通り道と同じだ。そこまで行ってから改めて起動しなおせばいい。
ナビゲートの終わり近くなって気づく。
終点はゴミ置き場だった。
昨日の夜は沢山置いてあったゴミ袋は回収されていて何もない。いや、人形があった。
ポツンと残されたスマートスピーカーの人形。
なんで回収されなかったんだろう。
燃えないゴミの扱いなのかな。それとも動作用の電池でダメと判断されたんだろうか。
なんとなく、人形と目があった気がした。夜道に輪郭が浮かび上がる人形の姿は、ちょっと怖い。
ナビゲートを起動し直して、部屋まで急ぐ。
ジジッ。
また、だ。
視界がブレたような気がするのは、眼鏡のAR表示がブレてるからに違いない。ナビゲートといい、AR表示といい、本当にこの眼鏡は調子が悪い。明日こそは修理にいかないと。
急ぎ過ぎたせいで角の杉山さん家の前で、転びそうになる。
住んでる人とは会ったことはない。塀の中から植物が溢れ出ていて、角の見通しが悪いので、気になって表札の苗字を覚えていただけの家だ。
なんとか転ばずに済み、一息ついてから歩き出す。
部屋のあるマンションが見えてくる頃には気持ちも落ち着いてくる。
階段を上り、玄関の前に立つと私の眼鏡を検知してカチャリと鍵が開く。部屋に入れば照明も自動で点灯する。ARじゃない明るさにやっと安心する。
部屋着に着替えてから、改めて眼鏡を掛けて動画サイトを開く、お気に入りのチャンネルを中心にランダムに表示される動画を適当に再生しながらコーヒーを入れる。
動画は眼鏡を通して目の前で再生されているのだから、モニタの前に座って待つ意味はない。コポコポとコーヒーが入る音が動画の音にミックスされる。
ポーン。
またナビゲートが勝手に起動した。
今度は歩いてもいないのに。
見れば、現在位置が違う。
ルートナビゲーションなら、現在位置から行先までのルートが表示されるのに、今表示されてるのは、私の部屋が終点となるルートだ。
そのルートの起点になっているのは、駅と部屋の間。さっきのナビゲートの終着点。ゴミ捨て場。人形の眼が頭を掠める。
キャンセル。
一度は落ち着いた気持ちが揺れる。
奇妙な故障。いや、本当に故障だろうか。電子機器の故障ってこういうものだっただろうか。
動かなくなる。電源が入らなくなる。それは分かり易い。壊れたから動かないという故障。
電源は入るけど、特定の機能だけ動かなくなる。音声入力だけ動かなくなる。AR表示だけ出来ない。それも分かる。全部ではないけど、一部の機能だけ壊れたから動かなくなる故障。
思った通りの動作をしない。音声入力で言葉を取り違う。メニュー操作で別の機能が起動する。そういう故障もあるかもしれない。一部の機能よりももっと少ない、一部分の故障。
今のこれはなんだろう。
動画の再生は出来た。部屋のカギも開いたし、照明も点いた。
音声入力でSNSに接続する、大丈夫。メニュー操作でニュースを見る、大丈夫。
ちゃんと動いてる。あとは……。
ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ。
不意の着信音に肩が跳ね上がる。
ビックリした。誰なのか知らないけど、タイミングが悪い。バクバクとなる心臓を宥めながらメニューを開く。
「なにこれ」
届いていたのはショートメッセージだった。
メールアドレスではなく、電話番号で送れるショートメッセージ。しかし、そのメッセージは差出人が表示されていない。そして内容は「今、ゴミ置き場に居るの」。
「意味がわからない、なんなのよこれ」
バクバクしていた心臓の音が気にならなくなる。逆に顔から血の気が引く。
これは眼鏡の故障とは違う。
差出人は番号通知を切れば分からなくなる。友人のイタズラという可能性もある。たったそれだけのなんでもない話かもしれない。
だが、ナビゲートのことが頭に浮かぶ。
ゴミ置き場から私の部屋までのルート。それが設定されていたナビゲートのことが頭に浮かぶ。
こんな、ショートメッセージが届く故障なんてありえない。
誰か。誰かがやっている。
私の眼鏡を勝手に操作してナビゲートを動かしたり、メッセージを送りつけてきたり。誰かがやっている。
一体誰が。一体どうやって。
心当たりなどない。ストーカーに付け回されたこともなければ、こんな手の込んだイタズラをされる程に恨みを買った覚えもない。
頭に浮かぶのは、ゴミ置き場にあった人形。
「そんなわけ……」
ポーン。
ナビゲートが起動する。
位置が移動している。
ゴミ置き場よりも部屋に近く、そう、ここは……。
「今、杉山さん家の前にいるの」
新しく届いたメッセージにはそう書いてあった。
「なんなのよなんなのよなんなのよ」
メッセージを消す。ナビゲーションを終わらせる。眼鏡を操作して、警察へ電話を……。
「電話、ない?」
通話アプリを起動しようとして、メニューを探すも、AR表示の中に通話アプリが見当たらない。
「っ。音声入力。通話アプリを立ち上げて!」
反応がない。
音声入力に反応がない。
しばらく経ってエラーメッセージが表示された。
「どうしてよ!」
新しくメッセージが届く。
「今、マンションの前にいるの」
ナビゲートが起動する。
「ほかに、他には」
昔のスマホを探し出すも、電池が切れている。
突然、照明が消える。
新しくメッセージが届く。
「今、玄関の前にいるの」
いや、いや、なんで、なんなの。一体誰なの!
自分の呼吸音だけがうるさい。
カチャリ。
鍵の開く音が聞こえた。
オフィスの中は中途半端に静かで、人の会話がよく響く。
そのせいで、音を立ててはいけないような気持ちになって、なんというか、肩が疲れる。
いつの間にか下がっているような気がする眼鏡。軽く持ち上げて鼻あての位置を直すと、持った場所が悪かったのか、視界にメニューが表示される。慌ててキャンセルをして、もう一度パソコンに向き合う。
音声入力にすればいいのに、頑なにキーボード入力に拘っているうちの会社は時代遅れじゃないだろうか。
「瀬尾。明日の会議の資料まだ?」
まだに決まってんでしょう、懸命にキーボード叩いてるのが見えないの。うるさい課長め。
音声入力ならとっくに終わってる資料作りも、キーボード入力だと全然終わらない。
なぜだかうちの上層部は音声入力が嫌いらしい。未だに音声入力は誤字が多いとか言って、キーボード入力に拘っている。一体、いつの時代の話をしているんだという感じだ。
かと言って、この変に静かなオフィスではコッソリ音声入力をすることも出来ない。
いっそ、皆が帰るまで待ってから音声入力で作ろうかとも思うが、やっぱり残業はしたくない。
「瀬尾~」
課長うるさい。
結局、残業をしてしまった。最後の一人になって、カギを閉めてセキュリティをセットしてからオフィスを出る。オフィスの入口にある照明のスイッチを押すと、暗闇に心細くなるから、すぐに外へ出た。
セキュリティは、ネットを経由して警備会社に繋がっている。どうせなら私の眼鏡にも接続して、社内に残っているかどうか判断してくれればいいのに。一々、カギを閉めてセキュリティを掛ける手間が面倒臭い。
残業で疲れているときにしかやらないから特にそう思う。
それに外に出たことを検知さえしてくれれば、照明の落ちた暗闇で怖い思いをする必要もないのだ。
帰り道の途中で、眼鏡のAR機能をONにする。
目の前に現れるメニューから、新しいメールがないことを確認して、SNSに繋ぐ。
歩きながら小声で操作すれば、SNSは変わらず馬鹿話と怒りと猫画像で混沌としている。疲れに任せてお気持ち表明の怒ってばかりのメッセージをミュートして、猫画像を眺めるうちに駅だ。
電車に揺られながらニュースのタイトルだけをチェックして、夕食のことを考える。
もう帰ってから作る気力もないし、コンビニでいいか。コンビニのお弁当はカロリーが気になるし、この時間に食べるには量が多いけど、今から作るなんて無理だもの。
電車を降りると、駅前にコンビニや居酒屋があるの以外は、すぐに普通の住宅地だ。
駅前のコンビニで運よく残っていたサラダパスタを買って、家へと歩く。この時間に普通サイズのお弁当はキツイ。サラダパスタが残っていてよかった。
街灯の少ないこの道は、昼間であれば「閑静な住宅街」で通るけど、夜は静か過ぎて少し怖い。
眼鏡のナビゲートをONにして、家までの道のりと、障害物の輪郭強調表示をする。これなら歩道の段差や、ゴミが落ちてた時でも、物の輪郭を捕らえてAR表示で示してくれる。暗い中で足を引っかけずに済むし、視界が明るくなるので少しだけ安心できる。
そうやって歩いていると、道の端にゴミが積まれているのが見える。
そういえば、明日はゴミの日か。
帰ったらゴミを出す用意もしないと。
前日からゴミを出すなという注意書きのあるゴミ置き場には、既に沢山のゴミ袋が積まれている。明るく表示されているゴミ袋を避けて、距離をとって歩く。
ふと、ゴミ袋の上に袋とは違う形のものが乗っているのに気づく。
人形。
人形に視線が合うと、細かな輪郭も表示されるようになる。
「懐かしい。スマートスピーカーだ」
それは一時期、沢山の種類が販売されていたスマートスピーカーの一つだった。
円柱型、時計型、人形にぬいぐるみ。昔はいろんな形のスマートスピーカーが売られていた。当時、私が学生だった頃は、私の家にも人形型のスマートスピーカーがあった。もしかしたらこの人形と同じタイプかもしれない。
音声認識で質問に応答を返してくれるスマートスピーカーは、人形やぬいぐるみの形とは相性がよかったのか、いろんなキャラクター物も出ていたものだ。
今は、私の眼鏡のように、持ち歩くことが前提の使い方が主流になったから、持ち運び難いスマートスピーカーは廃れてしまった。
今日のゴミに出ているということは、この人形はずっと物置にでも入っていたのかもしれない。
ジジッ。
一瞬、視界がブレたような気がする。
故障だろうか。この眼鏡も3年以上は使っている。そろそろ新しいものに買い直したほうがいいかもしれない。
翌朝、仕事用のパンツスーツに着替えて眼鏡を掛けたところで、着信があったことに気づいた。
昨晩はなかったから、夜中のうちに着信があったとうことになる。
そんな時間の着信に恐々として眼鏡を操作したが、相手の名前も番号も出てこない。非通知? 夜中に非通知とか意味わからない。
とりあえず電話はなかったことにして、会社に行くことにした。
家を出て、駅に急ぐ。
電話のチェックをしていた分、少しだけいつもより遅い。電車に間に合わなくなる程じゃないはずだけど、いつもより遅いというだけで気が逸る。
ポーン。
突然、眼鏡のナビゲート機能が起動した。
何も操作していないのに。
無言で歩いているだけだから音声入力ではない。直ぐ近くを歩いている人もいない。手で操作するには先にメニューを表示しないとダメ。だから何も操作してはいない。
やっぱり眼鏡の調子が悪いみたいだ。
ナビゲートをキャンセルしてそのまま歩く。
出来ることなら、このまま修理に持っていきたいけど、今日は会議があって外せない。
会議の後、早退出来ないかな。ダメだろうな多分。
ダメだった。
会議の後は、議事録の作成と、決まった内容を資料へ反映させる作業で一日が潰れてしまった。一日? たぶん一日。残業込みだけど。
二日連続でオフィスのカギを閉める。
オフィスの照明が全部消えた暗闇は、何度体験しても慣れない。
電車を降りてやっぱりコンビニへ。少し悩んでサンドイッチを買うことにした。
コンビニを出ると再びポーンという音で、勝手にナビゲートが起動する。
「もうっ」
今朝ぶりの誤動作だ。
会社にいる間は平気だったのに。歩いてる振動でも拾ってるんだろうか。
どうせ夜道を歩くのにナビゲートを起動して、視界を明るくつもりではいたけど、勝手に動くのは腹が立つ。
それに自分の部屋までのナビゲートだと思ったら、途中で終わりになっている。なんなのよ。そんな中途半端な位置を設定したことなんてないのに。
面倒になって、ナビゲートはそのままで歩く。
どうせ部屋までの道のりは、ナビゲートの通り道と同じだ。そこまで行ってから改めて起動しなおせばいい。
ナビゲートの終わり近くなって気づく。
終点はゴミ置き場だった。
昨日の夜は沢山置いてあったゴミ袋は回収されていて何もない。いや、人形があった。
ポツンと残されたスマートスピーカーの人形。
なんで回収されなかったんだろう。
燃えないゴミの扱いなのかな。それとも動作用の電池でダメと判断されたんだろうか。
なんとなく、人形と目があった気がした。夜道に輪郭が浮かび上がる人形の姿は、ちょっと怖い。
ナビゲートを起動し直して、部屋まで急ぐ。
ジジッ。
また、だ。
視界がブレたような気がするのは、眼鏡のAR表示がブレてるからに違いない。ナビゲートといい、AR表示といい、本当にこの眼鏡は調子が悪い。明日こそは修理にいかないと。
急ぎ過ぎたせいで角の杉山さん家の前で、転びそうになる。
住んでる人とは会ったことはない。塀の中から植物が溢れ出ていて、角の見通しが悪いので、気になって表札の苗字を覚えていただけの家だ。
なんとか転ばずに済み、一息ついてから歩き出す。
部屋のあるマンションが見えてくる頃には気持ちも落ち着いてくる。
階段を上り、玄関の前に立つと私の眼鏡を検知してカチャリと鍵が開く。部屋に入れば照明も自動で点灯する。ARじゃない明るさにやっと安心する。
部屋着に着替えてから、改めて眼鏡を掛けて動画サイトを開く、お気に入りのチャンネルを中心にランダムに表示される動画を適当に再生しながらコーヒーを入れる。
動画は眼鏡を通して目の前で再生されているのだから、モニタの前に座って待つ意味はない。コポコポとコーヒーが入る音が動画の音にミックスされる。
ポーン。
またナビゲートが勝手に起動した。
今度は歩いてもいないのに。
見れば、現在位置が違う。
ルートナビゲーションなら、現在位置から行先までのルートが表示されるのに、今表示されてるのは、私の部屋が終点となるルートだ。
そのルートの起点になっているのは、駅と部屋の間。さっきのナビゲートの終着点。ゴミ捨て場。人形の眼が頭を掠める。
キャンセル。
一度は落ち着いた気持ちが揺れる。
奇妙な故障。いや、本当に故障だろうか。電子機器の故障ってこういうものだっただろうか。
動かなくなる。電源が入らなくなる。それは分かり易い。壊れたから動かないという故障。
電源は入るけど、特定の機能だけ動かなくなる。音声入力だけ動かなくなる。AR表示だけ出来ない。それも分かる。全部ではないけど、一部の機能だけ壊れたから動かなくなる故障。
思った通りの動作をしない。音声入力で言葉を取り違う。メニュー操作で別の機能が起動する。そういう故障もあるかもしれない。一部の機能よりももっと少ない、一部分の故障。
今のこれはなんだろう。
動画の再生は出来た。部屋のカギも開いたし、照明も点いた。
音声入力でSNSに接続する、大丈夫。メニュー操作でニュースを見る、大丈夫。
ちゃんと動いてる。あとは……。
ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ。
不意の着信音に肩が跳ね上がる。
ビックリした。誰なのか知らないけど、タイミングが悪い。バクバクとなる心臓を宥めながらメニューを開く。
「なにこれ」
届いていたのはショートメッセージだった。
メールアドレスではなく、電話番号で送れるショートメッセージ。しかし、そのメッセージは差出人が表示されていない。そして内容は「今、ゴミ置き場に居るの」。
「意味がわからない、なんなのよこれ」
バクバクしていた心臓の音が気にならなくなる。逆に顔から血の気が引く。
これは眼鏡の故障とは違う。
差出人は番号通知を切れば分からなくなる。友人のイタズラという可能性もある。たったそれだけのなんでもない話かもしれない。
だが、ナビゲートのことが頭に浮かぶ。
ゴミ置き場から私の部屋までのルート。それが設定されていたナビゲートのことが頭に浮かぶ。
こんな、ショートメッセージが届く故障なんてありえない。
誰か。誰かがやっている。
私の眼鏡を勝手に操作してナビゲートを動かしたり、メッセージを送りつけてきたり。誰かがやっている。
一体誰が。一体どうやって。
心当たりなどない。ストーカーに付け回されたこともなければ、こんな手の込んだイタズラをされる程に恨みを買った覚えもない。
頭に浮かぶのは、ゴミ置き場にあった人形。
「そんなわけ……」
ポーン。
ナビゲートが起動する。
位置が移動している。
ゴミ置き場よりも部屋に近く、そう、ここは……。
「今、杉山さん家の前にいるの」
新しく届いたメッセージにはそう書いてあった。
「なんなのよなんなのよなんなのよ」
メッセージを消す。ナビゲーションを終わらせる。眼鏡を操作して、警察へ電話を……。
「電話、ない?」
通話アプリを起動しようとして、メニューを探すも、AR表示の中に通話アプリが見当たらない。
「っ。音声入力。通話アプリを立ち上げて!」
反応がない。
音声入力に反応がない。
しばらく経ってエラーメッセージが表示された。
「どうしてよ!」
新しくメッセージが届く。
「今、マンションの前にいるの」
ナビゲートが起動する。
「ほかに、他には」
昔のスマホを探し出すも、電池が切れている。
突然、照明が消える。
新しくメッセージが届く。
「今、玄関の前にいるの」
いや、いや、なんで、なんなの。一体誰なの!
自分の呼吸音だけがうるさい。
カチャリ。
鍵の開く音が聞こえた。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
意味がわかると怖い話
邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き
基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。
※完結としますが、追加次第随時更新※
YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*)
お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕
https://youtube.com/@yuachanRio
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる