忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

文字の大きさ
8 / 68
王子護衛騎士編

王子とお茶会①

しおりを挟む

<前書き>――――――――――――――――――

本編は第15話までゆっくりと進む展開になっています。
テンポよく物語を追いたい方は、『王子護衛騎士編』の『ここまでの人物紹介』を先に読んでから続きを進めるのがおすすめです。

人物や関係性を把握した状態で読めるので、スムーズに物語に入り込めます。

じっくり読みたい方はそのままどうぞ。お好みのスタイルでお楽しみください!

<前書き>――――――――――――――――――



 王宮の中庭に設えられた優雅な茶会。銀の器に並べられた精緻な菓子、絹のクロスが敷かれた円卓、穏やかに香る花々。貴族たちは微笑をたたえながら会話を交わし、優雅な身のこなしで杯を傾ける。
 王子アレクシスの主催するこの茶会は、ただの社交の場ではない。格式と品位、そして王族との関係を示す場でもあった。今日もまた、王宮の名だたる貴族たちが集まり、華やかな雰囲気が広がっている。
 その場で、アレクシスは静かに立ち上がり、貴族たちの注目を集めた。

「本日は、お集まりいただき感謝する。さて、皆に紹介したい者がいる」

 そう言って、彼は軽く手を向ける。貴族たちの視線が、一人の女性へと注がれた。

 黒の正装に身を包んだ、端整な女剣士。銀色の髪を端正に束ね、左目には黒い眼帯をしている。
 彼女こそ、新たにアレクシスの護衛騎士に任じられたサーディスだった。

 貴族たちの間に、微かなざわめきが広がる。女性の騎士は珍しくはないが、王子直属の護衛となると話は別だ。
 さらに、サーディスの雰囲気は明らかに"宮廷騎士"のそれとは異なる。鍛えられた戦士の気配を持ちながらも、どこか隠しきれない異質な雰囲気。
 だが、サーディスは動じることなく、優雅に一礼した。

「皆様、ご機嫌麗しゅう」

 彼女の仕草は決して洗練されたものではなかった。
 だが、それでも貴族たちの目には"十分な品位"を備えた者として映った。
 無駄のない動作、流れるような所作。そして、礼を取る姿には、"宮廷での礼儀"を心得ていることが見て取れた。
 アレクシスもまた、わずかに目を細める。

(……意外だな)

 彼はサーディスが戦士としての技量を持つことは知っていた。だが、彼女がここまで"礼儀をわきまえている"とは思っていなかった。決して磨き抜かれた貴族の所作ではない。
 だが、十分に格式を保ち、"粗野な戦士"とは一線を画していた。
 貴族たちは、それを確認し、興味深げに彼女を眺める。そして、最初の驚きが収まると、茶会は再び穏やかな談笑へと戻っていった。
 アレクシスは微かに笑みを浮かべ、再び席につく。

 だが貴族の中には、"余所者"を試そうとする者たちもいた。

「サーディス殿?」
 派手な装飾を施した服を纏い、痩せぎすの男爵が声をかける。
 男爵の名はガルフォード・バースリー。
 王宮に出入りする貴族の中でも、特に格式や礼儀に厳しいことで知られる男だった。

 だが、その厳しさは"品位を保つため"ではなく、"己の優越を誇示するため"に過ぎない。
 サーディスが新たに王子の騎士として加わったことを、彼は面白く思っていなかった。

「君のような武人には馴染みがないかもしれないが……」

 彼はわざとらしく笑いながら、周囲の貴族たちに視線を送る。貴族たちは、それに応えるように、くすくすと笑った。

「こういった席では、文化の素養も問われるものでしてね」

 男爵は優雅に紅茶の杯を持ち上げながら、ゆったりと続ける。

「私はラーランの唄が好きなのだが、どう思う?」
 それは明らかに"試すための質問"だった。

 ラーランの唄とは、古くから貴族の間で親しまれてきた抒情詩の一つ。高尚な趣を持ち、詩や音楽に精通している者でなければ語ることすらできない。

 "武人ごときに分かるまい"

 そんな悪意が、男爵の笑みに滲んでいた。周囲の貴族たちも興味深げにサーディスを見つめる。彼女がどう答えるか、あるいは答えられずに恥をかくか。
 しかし、サーディスは表情一つ変えずに杯を置いた。その動作には、わずかな"間"があった。
 まるで、彼女が言葉を吟味し、確信を持った上で話そうとしているかのように。
 そして、指先で軽く杯の縁をなぞりながら、静かに口を開く。

「ラーランの唄は確かに美しい詩ですね。特に、あの"別離の章"は、哀愁に満ちていて印象深い。
『君が遠く消えし日も 
月の光は揺れずとも
影は伸びて 風に問う』
 この一節には、"待つ者の苦悩"が滲んでいて、ただの恋歌に留まらない深みがあります」

 一瞬の沈黙が広がった。男爵の表情が、ぴくりと引き攣る。

 (……知っているだと?)

 驚きと共に、周囲の貴族たちも視線を交わす。
 ラーランの唄は貴族たちにとって馴染み深い詩だが、その解釈まで論じることができる者は、そう多くない。
 ましてや、"別離の章"という部分に言及し、その真意を語れる者となれば、一握りの文学通だけだった。

「……ほう」
 男爵は表情を整え、紅茶を口に運ぶ。だが、その仕草にはわずかな焦りが滲んでいた。

 このまま引き下がるわけにはいかない。

「それは素晴らしい感性だ」

 彼は微笑みを作りながら、さらなる問いを投げる。

「では、サーディス殿の"お好みの詩"を教えていただいても?」

 貴族の嗜みを知らない者であれば、この問いには答えられない。
 詩に馴染みがないことを晒し、"無知な武人"として恥をかかせるつもりだった。

 だが、サーディスは静かに杯を回し、微笑すら浮かべることなく、淡々と答えた。

「月は眠る 夢に溺れて
 風は囁く 誰が嘆きし
 黄昏に 想いは巡る
 ただ、一つの名を抱いて」

 ――オルメスの唄。
 広く知られる詩歌ではない。
 吟遊詩人たちが時折歌い継ぐ、通好みの一節。貴族の中でも、よほど文学に通じている者でなければ知らない詩だ。
 男爵の顔が、わずかにこわばる。

「……」

 誰もすぐに言葉を発しなかった。貴族たちは怪訝そうに目を見開き、互いに視線を交わす。
 彼女の言葉に込められた抑揚は、まるで長年詩を口ずさんできた者のような、自然な流れを持っていた。
 彼女は"本物"だ。ただの剣士ではない。教養を持ち、詩を知り、言葉の重みを理解している。

 「……これは」
 誰かがぽつりと呟く。男爵は一瞬、言葉を詰まらせた。

「ほう……」
 乾いた笑みを浮かべながら、杯を傾ける。

「……なかなかのものですな」
 取り繕うように言うが、先ほどまでの余裕は消えていた。

 それ以上、言葉を重ねることはできず、男爵は杯の中の紅茶をゆっくりと口に含んだ。
 周囲の貴族たちも、それ以上の詮索はせず、何事もなかったかのように別の話題へと移っていく。
 サーディスは何も言わず、再び杯に手を伸ばした。
 何もなかったかのように、ただ静かに。

 貴族たちのざわめきが収まり、茶会の場が再び穏やかな談笑へと戻っていく。
 だが、その中でただ一人、アレクシスだけは固まったようにサーディスを見つめていた。

(……今の詩は……)
 遠い記憶の奥底に眠っていた、幼き日の情景が脳裏に蘇る。

「ねえ、シス様。オルメスの唄はご存じ?」

「ああ……たしか、あまり知られていない詩だろう?」

「でも、私は好き。どこか寂しくて、だけど綺麗だから」

「ふうん……変わった趣味だな、ミレクシア」

 柔らかな陽光が降り注ぐ王宮の庭園。
 金色の髪を揺らしながら、楽しげに笑い、詩を口ずさむ少女。
 彼女の名は――ミレクシア・アルノー。

 名門貴族の娘。
 幼い頃、しばしば王宮を訪れ、アレクシスと剣を交え、言葉を交わし、そして、よく笑った。
 負けず嫌いで、無邪気で、生き生きとした瞳を持っていた少女。
 誰よりも真っ直ぐで、誰よりも誇り高く、誰よりも自由だった。
 そして、彼女が好きだったのがオルメスの唄。
 アレクシスは、無意識に指先を握り込んでいた。

(……偶然、か)

 小さく呟く。
 だが、喉に何かが詰まったような違和感があった。
 視線を向ける。そこにいるのは、冷静沈着な女剣士――サーディス。
 左目を眼帯で覆い、銀の髪を後ろで束ね、寡黙な雰囲気を漂わせている。
 ミレクシアとは、似てもいない。髪の色も、瞳の色も違う。話し方も違う。何より、サーディスの声には、かつての少女の快活さも、あの眩しいまでの純粋さもない。あるのは、冷たく、感情を抑えた響き。

(……ミレクシアに似てなどいない)

 それどころか、ミレクシア・アルノーは"十年前に死んだはず"だ。名門アルノー家が襲撃を受け、一夜にして滅びたあの日。生き残りなど、いるはずがない。
 だから、あり得ない。

 だが――

(この胸騒ぎは……何だ?)

 幼い頃、あの庭園で笑い合った記憶。剣を交わしながら、子供じみた口喧嘩をしたこともあった。時には真剣に語り合ったこともあった。そして、彼女が歌った詩。
 オルメスの唄は、ミレクシアが好きだったもの。それを口ずさむ者が、今目の前にいる。
 サーディスは、アレクシスの視線に気づいたが、何の反応も示さなかった。冷静で、端正で、静かなまま。まるで、自分が疑われることなど想定していないかのように。
 アレクシスは、再び杯を持ち上げ、静かに息を吐く。
 貴族たちは何事もなかったかのように、会話を再開していた。

 だが――

(……本当に、偶然か?)

 この女が、ミレクシアと何の関係もないと、心から言い切れるか?
 長年忘れていた記憶が、ゆっくりと、しかし確実に、胸の奥でざわめき始めていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について

えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。 しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。 その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。 死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。 戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

三歩先行くサンタさん ~トレジャーハンターは幼女にごまをする~

杵築しゅん
ファンタジー
 戦争で父を亡くしたサンタナリア2歳は、母や兄と一緒に父の家から追い出され、母の実家であるファイト子爵家に身を寄せる。でも、そこも安住の地ではなかった。  3歳の職業選別で【過去】という奇怪な職業を授かったサンタナリアは、失われた超古代高度文明紀に生きた守護霊である魔法使いの能力を受け継ぐ。  家族には内緒で魔法の練習をし、古代遺跡でトレジャーハンターとして活躍することを夢見る。  そして、新たな家門を興し母と兄を養うと決心し奮闘する。  こっそり古代遺跡に潜っては、ピンチになったトレジャーハンターを助けるサンタさん。  身分差も授かった能力の偏見も投げ飛ばし、今日も元気に三歩先を行く。

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!

ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」 それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。 挙げ句の果てに、 「用が済んだなら早く帰れっ!」 と追い返されてしまいました。 そして夜、屋敷に戻って来た夫は─── ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...