忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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王子護衛騎士編

稽古と笑顔

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<前書き>――――――――――――――――――

本編は第15話までゆっくりと進む展開になっています。
テンポよく物語を追いたい方は、『王子護衛騎士編』の『ここまでの人物紹介』を先に読んでから続きを進めるのがおすすめです。

人物や関係性を把握した状態で読めるので、スムーズに物語に入り込めます。

じっくり読みたい方はそのままどうぞ。お好みのスタイルでお楽しみください!

<前書き>――――――――――――――――――




 陽が傾き始め、淡い橙色の光が石畳を照らしていた。
 軽く汗を滲ませた兵士たちが訓練を終え、次々と木剣を片付けながら去っていく時間帯だ。
 だが、訓練場にはまだ熱気が残っている。今日の訓練場には、いつもと違う光景があった。

 戦闘服に身を包み、長い銀髪を後ろで束ねた女剣士。左目を眼帯で隠し、黒い手袋をはめた彼女が、無数の兵士たちと向かい合っていた。王子アレクシスの護衛騎士を務める女剣士であり、先日の武術大会で優勝した者。
 そもそも、彼女が訓練場に立つ必要はなかった。すべては、一人の兵士の何気ない一言が発端だった。

「すみません……よろしければ、一手、お願いできませんか?」

 最初はただの頼みだった。サーディスも、王子の護衛という立場を理由に、断ろうとした。

 だが――

 「いいだろう。サーディス、やってやれ」

 王子が、即座に許可を出したのだ。
 その瞬間、訓練場の空気が変わった。"武術大会の優勝者と手合わせができる"。
 その言葉が広がると、次々と兵士たちが名乗りを上げ、いつの間にか"稽古をつけてもらいたい者"の長蛇の列ができていた。

 サーディスは、王子を一瞥した。

(……余計なことを)

 心の中で恨みを吐きながらも、引き受けた以上は手を抜けない。
 一人目、二人目、三人目――。

 次々と兵士たちと手合わせをしながら、それぞれに異なる指導を行う。
 重い剣を振るう者には、力に頼らず技を磨くように。機敏な動きをする者には、動きの無駄を削るように。攻めばかりに偏る者には、守りの大切さを説く。
 容赦なく、無駄のない剣撃で兵士たちを叩き伏せながら、的確な指導を加えていく。

「攻撃が単調すぎる。変化をつけなさい」
「剣の軌道を読まれている。次の一手を考えながら動きなさい」
「あなたは力に頼りすぎだ。少しでも崩されたら立て直せないぞ」

 厳しく、的確に。

 指導を受けた兵士たちは、倒れながらも満足げに頷き、次の挑戦者へと場所を譲る。

 その様子を、王子アレクシスは少し離れた場所で眺めていた。
 最初は気まぐれで許可を出しただけだったが。

(思った以上に、兵士たちが熱心だな)

 彼は、興味深そうに目を細める。サーディスの指導は、単に相手を打ち負かすものではなかった。
 それぞれの癖や未熟な点を見抜き、的確な助言を与えている。その姿に、王子は思わず小さく微笑む。

(やはり、ただの剣士ではないな)

 彼女の立ち振る舞い、剣の精度、相手を見る目――どれを取っても、一介の武人の域を超えていた。
 サーディスは、無駄口を叩くことなく、黙々と稽古をつけ続けている。
 夕陽が落ちる中、訓練場には、彼女の剣閃が静かに響き続けていた。。
 兵士たちとの稽古がひと段落し、ようやく静けさが戻り始めた訓練場。
 熱気が冷めやらぬ中、サーディスは最後に残った木剣を片付けようとしていた。

 しかし、その瞬間――

 「……私も君に剣の稽古をつけてもらいたい」

 落ち着いた、しかしどこか楽しげな声が響いた。
 サーディスは、ゆっくりと視線を向ける。そこには、木剣を片手に持ち、肩に担ぐようにして立つ王子アレクシスの姿があった。

「王子……?」

 王子は微笑を浮かべながら、軽く木剣を振ってみせる。

「この流れで私だけ仲間外れにされるのは、さすがに寂しいと思わないか?」

 その言葉に、サーディスはわずかに目を細める。

「王子には専属の教練士がいるはずですが」

「いるさ。でも、彼らとの訓練は"型通り"のものばかりだ。たまには実戦に即した稽古も必要だろう?」
 王子の声音は軽い。しかし、その瞳には純粋な興味が宿っていた。

「それに、君がどれほどの強さか、実際にこの手で確かめたくなった」

 サーディスは、内心ため息をつく。

(また余計なことを……)

 とはいえ、ここで拒めば"王子の挑戦を退けた"と見なされる。周囲の兵士たちも、興味津々といった様子で見守っている。
 サーディスは無言のまま、再び木剣を手に取った。

「……分かりました。お相手しましょう」
 その言葉に、王子の微笑が深まる。

「光栄だな」

 軽く手首を回しながら、王子はゆっくりと間合いを取る。
 木剣を両手で握り、慎重に構えを取るその動作には、一切の無駄がない。
 "本気"の構え。それが、一目で分かった。
 サーディスもまた、静かに呼吸を整え、木剣を掲げる。

「では――始めましょう」



 夕陽の光が二人の影を長く伸ばし、訓練場に新たな緊張が走った。
 "カンッ!"
 鋭い打撃音が訓練場に響いた。木剣と木剣がぶつかり合い、衝撃が空気を震わせる。
 王子の剣は、決して甘くはない。その速さ、力、技量――どれもが研ぎ澄まされていた。サーディスは、その剣筋を見極めながら思う。

(……昔より、ずっと強くなった)

 幼い頃、王子は剣を振るうことが好きだったが、決して特別に強いわけではなかった。
 けれど今は違う。身分に甘えることなく、"剣士"として鍛え上げられている。

(――あの頃のままじゃ、ないか)

 王子の剣が鋭く振り下ろされる。サーディスは、それを最小限の動きで受け流し、軽やかに身を引いた。

「……さすがだな、君は」

 王子が小さく呟く。その声には、感嘆と少しの悔しさが混じっていた。

「感心している暇はありませんよ」

 サーディスは淡々と告げ、すぐに次の攻撃へ移る。王子もまた、それを迎え撃った。木剣がぶつかり合うたび、互いの視線が交錯する。
 王子の技は確かに洗練されている。だが、サーディスには"実戦経験"がある。戦場で培われた直感と、死線を潜り抜けてきた確かな戦技。それが、ほんの僅かな差となって剣筋に表れていた。

(……昔と同じだ)

 脳裏に、幼い日の記憶が蘇る。

「もう一回! 今度こそ勝つ!」
「私に勝ちたいなら、もっと鍛錬が必要ですわ」
「くっ……次こそ!」

 小さな庭園で、何度も剣を交えた日々。
 王子は負けるたびに悔しそうに顔をしかめ、それでも何度でも挑んできた。

「ミレクシアは手加減してくれないな……」
「手加減なんてしたら、強くなれないでしょう?」
「……そうか」

 まっすぐな瞳で、負けることを恐れず剣を振るう王子の姿。

"シス様は負けず嫌い"

 そう思いながら、サーディスは何度も彼の相手をしてきた。彼が勝てるようになる日は、まだまだ先のことだと思っていた。

 そして今――

王子は、しっかりと剣を握り、鋭い視線でサーディスを見据えている。

(……私は、何を考えているの?)

 もう"ミレクシア"ではない。過去の自分には戻れない。

 目の前にいるのは、かつて仕えたいと願った王子――

 今は、復讐のために利用しようとしている男。

 それなのに、どうして。

 どうして、今この瞬間だけ。懐かしさを覚えてしまうのだろうか。

 サーディスは、胸の奥がじくじくと痛むのを感じながら、それを振り払うように剣を振るった。

 その動きに王子は反応し、木剣を振るう。互いの剣が交錯し、そして、王子の剣が、大きく弾かれた。

 「……っと」

 鋭い打撃音のあと、王子アレクシスは木剣を取り落とした。それと同時に、軽く手を振り、肩で息をつく。

「やっぱり、君には敵わないか」

 そう呟くと、苦笑しながら木剣を拾い上げた。額には汗が滲み、わずかに乱れた髪をかき上げる。
 一方のサーディスは、呼吸すら乱れていない。木剣を持つ手も安定しており、表情にもほとんど変化がない。

 だが、ふと――自分の口元がわずかに緩んでいることに気がついた。

(……私は、今、笑っている?)

 "懐かしさ"が、胸の奥をくすぐる。

「……今、笑ったか?」
 その一瞬の変化を見逃さなかった王子が、じっと彼女を見つめた。サーディスは、瞬時に表情を引き締める。

(しまった)

 剣を交えるうちに、かつての記憶が蘇り、気が緩んでしまったのかもしれない。ほんのわずかな時間だったが、それでも王子の目には確かに映ったらしい。

「……気のせいです」

 平静を装い、淡々と返す。しかし王子は、確信したように微笑んだ。

「いや、確かに笑ったな」

「……失礼いたしました」

 サーディスは視線を逸らし、木剣を下ろした。だが、王子はそのまま彼女をじっと見つめ続ける。

「別に謝ることでもない」
 穏やかな声が耳に届く。

(どうして、こんな些細なことで……)

 サーディスの指が、無意識に木剣を握る。

「君はいつも鉄仮面だと思っていたが、存外可愛らしく笑うのだな」
「――!」
 サーディスは驚き、一瞬言葉を失った。

(何を……?)

 からかうような軽い口調。けれど、その瞳には純粋な好奇心が宿っていた。
 サーディスは戸惑いを隠しながら、ゆっくりと目を伏せる。

「……必要のないことです」

「そうか? もう少し表情を崩した方が親しみを持ってもらえると思うぞ」

「私には必要ないことです」

 王子はふっと笑い、再び木剣を構えた。
「……続けようか。今度は笑う余裕がないくらい、本気でいくぞ?」

 サーディスは、ゆるりと構えを取る。
「……どうぞ、ご自由に」

 その声には、わずかに震えがあった。
 剣を交えながら、サーディスは胸の奥で微かな温もりを感じていた。

(――こんな気持ちは、もう捨てたはずなのに)

 剣を振るうたびに、蘇る記憶。
 かつての誓い。
 かつての信頼。

 "貴方を守る"と誓ったあの日。

 ……そんなものは、とっくに終わったはずなのに。
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