忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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王子護衛騎士編

サーディスとアレクシス②

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<前書き>――――――――――――――――――

本編は第15話までゆっくりと進む展開になっています。
テンポよく物語を追いたい方は、『王子護衛騎士編』の『ここまでの人物紹介』を先に読んでから続きを進めるのがおすすめです。

人物や関係性を把握した状態で読めるので、スムーズに物語に入り込めます。

じっくり読みたい方はそのままどうぞ。お好みのスタイルでお楽しみください!

<前書き>――――――――――――――――――



 王宮の廊下が静まり返るころ、サーディスは自室の鏡の前に立っていた。窓の外には月が昇り、白銀の光が薄暗い部屋に差し込んでいる。
 だが、その光を浴びても、鏡に映る"自分"は、かつての自分とは別物だった。
 ゆっくりと左手を持ち上げる。

 ――黒く侵された腕。

 手袋を外すと、そこには異形の紋様が浮かび上がっていた。螺旋を描くように広がる魔の刻印。血管のように走る黒い筋。淡く脈打ち、生きているかのように波打っている。
 次に、眼帯に指をかける。ゆっくりと布をずらし、片目を開く。

 ――"魔の目"。

 右目とは異なる冷たい光を宿した左目が、鏡の中で妖しく輝いた。漆黒の中に揺れる金の光。それはただの"眼"ではなく、"見てはならないものを見る器"。

(……こんなものがなければ、私はまだ……)

 サーディスは、フッと息を漏らし、自嘲するように笑った。

 王子の隣にいる時間が増えた。それだけで、自分が"人間"だった頃に戻れるような錯覚をしてしまった。あの頃のように、ただ笑って、剣を交え、何気ない日々を過ごす――そんなことができるかもしれないと、どこかで思ってしまった。
 だが、現実は違う。

「……私はもう、"まともな人間"じゃない」

 十年前、魔と契約したことで得た命。失われるはずだった未来を引き換えに、刻み込まれた力。
 左腕に這う呪い。左目に宿る異形の視界。
 この"証"が、私が人間ではなくなったことを告げている。過去を懐かしむ資格も、温かな感情に浸る資格もない。

「王子と一緒にいて、心地いいと思った? それがどうした」

 指を動かしながら、魔の刻印が這う左手をじっと見つめる。これを持って生きることを選んだのは、自分だ。

「……どうせなら、外見だけじゃなく"この心"まで変容してくれればよかったのに」

 かつてのミレクシアがいた心すら、完全に"魔"のものになれば、こんなくだらない迷いもなかった。懐かしさも、愛しさも、罪悪感も、すべて感じなくなってしまえば、もっと楽だったのに。

 バカみたいだ。

 魔と契約して生き延びたのに、未練だけは捨てきれない。その未練が、"ミレクシア"の名を捨てたはずの自分にまとわりついて離れない。

「"魔"に染まったくせに、まだ人間らしい感情を捨てられないなんて……笑える」

 "ゴォッ……"

 突然、左手の紋様が淡く脈打った。まるで、それ自体が意思を持っているかのように。

「……何だよ、お前も何か言いたいのか?」

 サーディスは嘲るように呟いた。だが、魔の刻印は何も答えない。ただ、そこにあるだけ。
 何かを語るような脈動を続けながらも、声を発することはない。

(それとも……すでに、私は"魔"の一部になっているのか?)

 手を握りしめると、血管を流れる魔力が微かに反応する。それはまるで、"まだお前は完全ではない"と告げるようだった。

(まだ……私は"魔"にもなりきれていない、ってことか)

 中途半端だ。
 人間にも戻れず、魔にもなりきれず。復讐すら果たせていない。

 このままでは――

(私は、一体何になればいい?)

 答えは出ない。
 静かな月の光が、魔の刻印を淡く照らしていた。サーディスは、しばらくじっと左手を見つめていた。
 そして、静かに眼帯を戻し、左手を手袋で覆う。

「……もう寝よう」
 そう呟き、ベッドへと向かう。
 その夜、月の光はどこまでも冷たく、静かにサーディスを照らしていた。



 夜の帳が降り、王宮の廊下は静寂に包まれていた。燭台の炎がゆらめき、冷えた石造りの壁に長い影を落としている。
 私はゆっくりと自室へ向かいながら、先ほどまでの叔父との会話を反芻していた。

 ――サーディス。

「信用できるか?」

 そう問われ、私は最低限の警戒を残しながらも、「問題はない」とだけ答えた。最低限、今のところは敵ではない。それ以上でも、それ以下でもない。
 だが、叔父の言葉は続いた。

「世間では、君の"情婦"ではないかと噂されているが?」
 その瞬間、私の眉が微かに動いた。

「もちろん、私もその噂は信じていない。だが、それほどまでに彼女は君のそばにいるということだ」

 ――そんなことは、とうに知っていた。

 王宮の貴族たちが、好奇と揶揄を込めてサーディスを"王子付きの情婦"などと噂していることくらい。
 だが、そう噂されるほどに、私は彼女を"近くに置きすぎた"のかもしれない。

 ……いや、それだけではない。

 "彼女がそばにいると、妙に心地よい"。

 その理由は、いまだに分からない。
 彼女は愛想がいいわけではなく、むしろ無愛想な部類に入る。私の言葉に対しても、必要以上に取り繕うこともなく、ただ静かに的確に応えるだけの女だ。
 それなのに、彼女といると、懐かしさのようなものが胸を満たす。

 それが何なのか――未だに正体は掴めない。

 叔父との会話を終え、私は静かに部屋の扉を閉める。
 火の灯った燭台のそばに腰を下ろし、考えるのはやはり、"サーディスのこと"だった。

 ……相変わらず、不愛想だ。

 初対面の印象から変わらず、必要最低限の言葉しか発さず、礼儀は整っているが、そこに愛嬌のようなものはない。
 だが、先日――ほんの一瞬、"笑った顔"は誇張抜きで魅力的だった。
 それが、彼女の本来の姿なのだろうか。それとも、何かを思い出し、一瞬だけ隙を見せたのか。

 ――いや、考えても仕方がない。

 私は目を伏せ、僅かに指を組む。
 サーディスの左腕。彼女は常に長袖の戦闘服を纏い、一切肌を晒すことがない。そして左目を覆う眼帯――それについて、私はそれとなく尋ねたことがある。

「……故郷の大火事で、全身に火傷を負ったのです」

 サーディスはそう答えた。
 その時の声色。感情はほとんど表に出さなかったが、それでも"拒絶"の意思が込められていた。

 ――"見られたくない"。

 彼女の答えは、きっと嘘ではない。その時、私はそれ以上は追及しなかった。
 だが、"本当にそれだけか"という疑問は残っている。

 それに、"情婦"の噂もどうにかしなければならない。私にとっては無関係の戯言だが、サーディスにとっては名誉に関わる問題だ。
 彼女がどう思っているかは分からないが、あの無愛想な騎士が、そんな話を耳にして何も感じていないとは思えない。

 ……私は、心を許しているのか?

 そう自問する。答えは、分からない。
 だが、おそらく"少しずつ"許しているのだろう。
 彼女は、いまだに何者なのか分からない。国外のスパイかもしれないし、あるいは私を裏切る日が来るのかもしれない。

 それなのに、私は――

「……呑気だな」

 誰に向けるでもなく、そう呟いた。
 王命で彼女を監視しているというのに、私はどこかで彼女を信じかけている。それが良いことなのか、それとも危ういことなのか。
 今はまだ、分からない。
 燭台の炎が揺れ、私はその微かな光をただ、じっと見つめていた。

 ――次の日、私はとある"報せ"を受けることになる。
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