忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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動乱編

生存

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 サーディスは水中で何とかするべくもがいていた。だが全身は冷え切り、肺はすでに空気を求めることすらできない。水の圧力が全身を押し潰し、意識は闇の中に落ちていく。

 その暗闇の奥――囁く声が聞こえた。

『……死ぬのか?』

 深く、低く、体の内側から響くような声だった。サーディスの意識が、微かに揺れる。

『ここで終わるのか?』

 水の流れとは異なる、確かな"力"を持つ声。

『復讐は、まだ果たされていない』

『王子も、囚われたままだ』

『お前は、それを"受け入れる"のか?』

 答えられない。
 意識が途切れそうになる。
 寒い。暗い。

 ――それでも。

 サーディスの指が、かすかに動いた。薄れゆく感覚の中で、本能的に"何か"を求める。冷たく、鋭く、彼女とともにあった"呪われた刃"。

 魔剣。

 そこに手を伸ばせば、何が起こるかは分かっていた。

『……助けてやろうか?』

 声が、甘く囁く。
 全身が凍え、沈みゆく世界の中で、サーディスの意識は最後の選択を迫られた。選ぶ余地など、なかった。
 彼女の指が、魔剣の柄を握る。

 刹那――

 "ドグン"

 全身に響く異質な脈動。水の流れが、一瞬"止まった"かのような感覚。
 次の瞬間、暗黒の魔力が爆発した。轟音とともに、水が四方へと弾け飛ぶ。まるで"生き物"のように黒い波紋が広がり、滝壺の深い底から光のない輝きが浮かび上がる。
 サーディスの左腕を覆う黒い紋様が、脈動するように輝き始めた。彼女の瞳が開く。金色の魔の目。
 それは、確かに"生"を取り戻した瞬間だった。

 水の中で、サーディスの体が焼けるように変化していく。ただの感覚ではない。実際に"何か"が変わっていた。
 体内を蝕んでいた毒が、黒い霧のように抜け落ち、消えていく。呼吸が戻る。視界が鮮明になり、冷え切った体に再び熱が宿る。

 しかしそれと同時に、"何か"が侵食していた。
 左腕。そこに走る激痛。皮膚が黒く変色し、表面に奇妙な紋様が浮かび上がる。それはただの模様ではなかった。生きているかのように脈動し、皮膚の奥から"何か"が蠢いていた。
 関節が軋む。筋肉が引き裂かれ、繋ぎ直されるような異様な感覚。骨の形が、"人間のそれとは違うもの"に変質していく。

(……これは――)

 左手を握ろうとする。力が違う。まるで、自分の体の一部ではないような異質な感触。けれど、それは"自分のもの"として確かに存在していた。
 痛みも、熱も、すべて消えている。ただ圧倒的な力が満ちていた。
 水の流れすら、ただの抵抗でしかない。サーディスは、力を込めて水を蹴る。
 水流が爆ぜ、彼女の体は一気に浮上した。

 生き延びた。だが、それは"以前と同じ"ではなかった。
 サーディスの左腕は、もはや"人のもの"ではない。魔の器。その力が、確かに彼女の中に宿っていた。

 荒れ果てた岸辺に、サーディスは這うようにして上がった。濡れた衣服が冷たく肌に張り付き、体の芯まで凍えるような感覚があった。
 息が荒く、胸が痛む。
 確かに傷と毒は魔剣の力で癒えた。だが、体力まで回復したわけではない。

(……くそ、思った以上に消耗が激しい)

 足に力が入らず、手を地につきながら膝を折る。
 その時。

「おい、いたぞ!」

 鋭い声が耳を撃つ。サーディスは、ゆっくりと顔を上げた。三人の兵士たちが、こちらに向かってくる。彼らは明らかに捜索部隊だった。

「信じられん……」

 兵士の一人が、水から這い上がったサーディスの姿を見て、呆然とした声を上げる。

「こんな激流に落ちたのに、まだ生きているのか……?」

 しかし、次の瞬間、兵士たちの表情が、驚愕と恐怖へと変わる。
 水に濡れたサーディスの左腕の異形の紋様が浮かび上がる。黒く侵食された皮膚、脈打つような光を宿した異様な腕。

「な、何だ……その腕……!」

 兵士の一人が、反射的に剣を抜く。だが、彼は気づいていなかった。"目の前の存在"が、もはや"普通の人間"ではないことに。
 サーディスは、静かに目を上げた。

「……お前らの命を"捧げてもらう"」

 次の瞬間――

 "シュバッ"

 サーディスの姿がかき消えた。そして"瞬間"で、一人の兵士の首が飛ぶ。首が宙を舞い、鮮血が空気を裂く。

「――ッ!!?」

 残された二人の兵士が、息を飲む間もなく、サーディスの異形の腕が次の標的を掴んだ。

 "ギチギチギチッ……!!"

 骨が軋む音。兵士は悲鳴を上げる間もなく、握り潰された。
 最後の一人が、恐怖に駆られ後ずさる。

「ば、化け物……!」

 彼は震える手で剣を構え、逃げようとする。
 だが、次の瞬間、サーディスの魔剣が振り下ろされた。

 "ズバァッ!!"

 刃が深々と肉を裂き、最後の兵士が地に伏す。
 瞬間、静寂が訪れた。

 サーディスは、微かに震える手で剣を握りしめる。
 かすかな光が剣の表面に浮かび、兵士たちの命が魔剣へと流れ込んでいく。

 ――それは、馴染む感覚だった。

 流れ込む命の波。
 温かく、甘く、心地よく――まるで、自分が"生き返る"かのように。
 全身の隅々まで、魔剣の力が浸透する。
 痛みが消える。
 傷の感覚すら、遠のく。
 代わりに広がるのは、快楽――。

 (……気持ち、いい)

 サーディスは目を閉じた。
 血の香りが鼻腔をくすぐる。
 傷ついた肉体が、力を取り戻していくのが分かる。
 それはまるで、沈みかけた魂が蘇るような――。

 ――もっと。

 この感覚を、もっと味わいたい。
 血が欲しい。もっと、流せば――。

 「……ッ!」

 サーディスは目を見開いた。
 心臓が跳ねる。
 危うく、深く沈み込むところだった。

 足元に広がる血溜まり。
 倒れた兵士たちの無残な姿。
 魔剣が、まるで彼らの命を啜るかのように妖しく光っていた。

 (……違う。こんなのは……)

 サーディスは、荒い息を整えようとする。
 だが、体が異様に重い。
 回復したとはいえ、毒と拷問の影響が完全に抜けたわけではない。
 先ほど消耗し尽くした体は、限界に近かった。

 (このまま……意識を失うわけには……)

 まだ、ここで倒れるわけにはいかない。
 しかし、視界が揺れる。
 膝ががくりと落ち、地面に手をつく。

 ――駄目だ、落ちるな。

 歯を食いしばる。
 だが、意識は強引に闇へと引きずり込まれる。
 最後に見えたのは、鈍く光る魔剣と、足元に広がる赤い海だった。



<あとがき>

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