忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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動乱編

解放

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 月明かりが淡く照らす城壁の影を縫うように、サーディスは静かに動いた。

 ヴォルネス城。王子アレクシスが囚われている場所。元々は戦の要ではなく、有力貴族の威光を示すために建てられた城館。しかし、今は王子を幽閉する牢獄となっている。外から見た限り、王城ほどの重厚な防備はない。

 だが、それでも"貴族の城"としての最低限の警戒は厳しく、正面から突入すれば、確実に捕えられる。
 だからこそ、サーディスは"影"となる。黒いマントをまとい、音を消しながら外壁沿いを進む。

 城門には松明が並び、門兵が見張りを続けていた。さらに壁の上からは弓兵が警戒し、出入りする者を厳しく監視している。
 サーディスは、じっと息を潜めながら、事前に得た情報を思い出す。

(……東の外壁は崩れかけている)

 城の増築時、基盤となる石材が脆くなり、修復も後回しにされていた部分。それを利用しない手はない。
 彼女は城壁の東側へ向かい、崩れた石材の隙間を探った。指でそっと壁をなぞると、かすかに崩れやすい部分が見つかる。軽く息を吐き、素早く登り始める。

 "無音"。

 影そのもののように、身を壁に密着させながら登攀する。
 夜風が吹き、松明の炎が揺れる。
 その動きに紛れながら、彼女はさらに上へと進む。途中、城壁の上を巡回する見張りが近づいてくるのが見えた。
 サーディスはすぐに動きを止め、闇に紛れて息を潜める。見張りの兵士が足音を響かせながら通り過ぎる。

(……今)

 彼女は瞬時に動いた。一歩、静かに壁の上へと乗り上げ、無音で短剣を抜く。

 "スッ"

 刃がわずかに閃いた次の瞬間、兵士の喉が切り裂かれる。血の噴き出す音さえ抑えられ、男は声も上げぬまま崩れ落ちた。
 サーディスはすぐに死体を影へと引き込み、物音が響かぬように処理する。

(まだ気づかれていない)

 城内へ忍び込む絶好の機会。彼女は、壁の影へと溶け込むように進んでいった。
 目的は二つ。王子の救出とゼファルへの復讐。
 静かに、死がヴォルネス城内を満たしていく。ヴォルネス城の地下牢は、湿った冷気に包まれていた。



 空気は重く、壁の石はじめじめと冷たく光を吸い込んでいる。奥へ進むにつれ、腐った藁の匂いと鉄の錆びた臭いが鼻を突いた。
 サーディスは、剣をしっかりと握りしめ、慎重に足を進める。
 この場所は、ただの牢ではない。王子のために用意された"拷問部屋"がある。

(シス様……)

 一刻も早く助け出さなければならない。
 地下牢の奥に近づくと、扉の前で兵士が立っていた。
 ゆるんだ姿勢。だが、それは警戒がないわけではない。
 この城に閉じ込められているのがただの囚人ではなく"王子"だと考えれば、いつでも命令が下る可能性があると兵士も理解している。
 だからこそ、油断なく、そして静かに動く必要があった。

 サーディスは、音を立てずに背後へ回り込む。短剣を逆手に持ち、兵士の喉元へすっと刃を滑らせた。

「……ッ」

 声が漏れる間もなく、兵士は目を見開いたまま崩れ落ちる。サーディスは素早くその身体を支え、物音がしないよう慎重に床へと横たえた。携帯品を物色すると、彼女のお目当ての物、鍵束があった。
 そして、扉の前に立つ。手をかけ、ゆっくりと開く。
 ギィ……と軋む音が響いた。

 中は暗かった。かすかな蝋燭の火が、壁に影を揺らしている。
 そこに鎖に繋がれ、痛めつけられた王子の姿があった。
 冷たい石壁に磔にされるように、王子アレクシスは鎖で拘束されていた。
 顔には殴打の跡が残り、唇は切れ、乾いた血が頬を伝っている。衣服は破れ、むき出しになった皮膚には無数の拷問の痕が刻まれていた。

 しかし、その目だけはまだ"生きて"いた。
 サーディスは扉を開けたまま、数秒間、じっと王子を見つめる。彼女の視線を感じ取ったのか、王子はゆっくりと瞼を開いた。

「……おや、"幻覚"にしては、随分と剣呑な顔をしているな」

 ひび割れた唇から、かすかな声が漏れる。サーディスは、一瞬だけ目を細めた。

「……まだ余裕があるんですね」

 王子は、小さく笑う。
「余裕……? 違うな。ただ、"君が来ると信じていた"だけさ」

 鎖に繋がれながらも、その瞳には、まだ光が宿っていた。

「お待たせしました」
 サーディスは、そう短く告げると、手にした鍵束で拘束を外した。

 ガチャン――!

 重たい鎖が床に落ち、鉄が擦れる音が響く。
 拘束を解かれた王子の体がわずかに揺れる。足元がふらつき、膝をつきそうになったが、辛うじて踏みとどまった。拷問に耐えながらも、まだ戦う意志を捨てていない。
 サーディスは静かに手を差し伸べる。
 王子は、その手を取るとゆっくりと立ち上がった。

「……すぐに脱出します。動けますか?」

 王子は、軽く首を回し、苦笑する。
「まあな。だが……」

 そう言いながら、地下牢の隅に放置された剣へと目を向けた。サーディスが止めるよりも早く、王子は足を進める。血まみれの手で柄を握りしめると、ゆっくりと剣を構えた。

 その動きには、確かに"王子の剣"としての誇りがあった。

「"やられっぱなし"ってのは、どうにも性に合わない」

 微かな笑みを浮かべながら、剣を軽く振るう。
 痛みはある。傷も深い。それでも、戦う意志は残っている。
 サーディスは一瞬だけ彼を見つめた後、軽く息をついた。

「……では、"王子の剣"、存分に振るってください」

 王子は、にやりと笑う。
「君に言われるまでもない」

 二人は、静かに武器を構えた。地下牢の扉が開く。
 "反撃の時間"が始まる。


<あとがき>
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