忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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動乱編

焦燥

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 ヴォルネス公は、城の執務室で苛立ちを隠せずにいた。重厚な机に両手を突き、脂汗を滲ませながら唇を噛む。指先がかすかに震えていた。

「……なぜ、まだ聖剣が見つからんのだ」

 低く、押し殺した声だったが、その怒気は隠しようがなかった。室内に立つゼファルを鋭く睨みつける。

「"あの女の死体"はどうした? いつまで待てばいい!?」

 ゼファルは、相変わらず冷静なまま、ヴォルネス公を一瞥した。

「落ち着かれよ。時間の問題だ」

「時間? 貴様はそう言い続けて、もう何日経ったと思っている!」

 ヴォルネス公は苛立ちを込めて机を叩いた。しかし、それは単なる焦りではない。
 不安と恐怖が、じわじわと彼の心を侵食していた。
 最初は、滝壺に落ちた女などどうでもいいと思っていた。聖剣の捜索さえ続けていれば、いずれ見つかると信じていた。

 だが、帰ってこない兵がいる。聖剣の行方が分からない。嫌な予感が、胸の奥からじわじわと広がる。

 ヴォルネス公は、自らに言い聞かせるように呟いた。
「"あの女はまだ生きている"」

 ゼファルの表情は変わらない。だが、ヴォルネス公はそれすらも気に障った。

 "死んだはずの女"

 ヴォルネス公は、拷問を受けながらも屈しなかった王子と、最後まで忠誠を貫いたあの女の姿を思い出す。

(もし、あの女がまだ生きていたら?)

(もし、聖剣を持って戻ってきたら?)

 その可能性が、ヴォルネス公を狂わせそうになっていた。焦燥感が彼を追い詰める。

「聖剣も見つからん。死体もない。帰ってこない兵もいる……!」

 握りしめた拳が震える。
「ゼファル、貴様はまだ"あの女は死んだ"と言い張るのか?」

 ゼファルは、静かに目を細めると、冷ややかに答えた。

「……確かに"確証"がない限り、生きている可能性はある。だが、時間の問題だ。聖剣の捜索は続いている。王子も拘束されている。流れは我らにある」

 淡々としたその口調が、ヴォルネス公の神経を逆撫でした。

(流れは我らにある……?)

 本当にそうなのか?
 ヴォルネス公は、胸の内で渦巻く不安を振り払えなかった。

 ヴォルネス公の執務室に、不穏な足音が響いた。扉の外から、激しく叩く音。

「報告いたします!」

 扉が開かれると同時に、一人の兵士が駆け込んできた。額には汗が滲み、肩で息をしている。

「何者かが"城内に侵入"! 複数の兵が殺害されました!」

 その瞬間、ヴォルネス公の血の気が引いた。

「"何……?"」
 言葉が喉の奥で詰まる。

(まさか……そんなはずが……)

 だが、心臓が嫌なほどに脈打つ。

(ありえない……滝壺に消えたはずの女が……!)

「"そ、そんなはずはない……"」

 だが、胸の奥では、すでに確信していた。

 ――"サーディスが戻ってきたのだ"。

 ゾクリとした悪寒が全身を駆け巡る。あの女は"生きていた"。
 ゼファルは、静かに報告を聞いていた。
 そして、微かに口角を上げる。

「……生きていたか」
 低く、淡々と呟いた。

 彼は、ゆっくりと立ち上がると、腰の短剣を抜く。その動きに、ヴォルネス公が反応し、震える声を絞り出す。

「どこへ行く……」

 ゼファルは、振り返ることなく、平然と答えた。
「"行き先は分かっている"」

 そして、冷たく付け加える。
「今度こそ、始末させてもらう」

 そう言い残し、ゼファルは静かに執務室を後にした。
 ヴォルネス公は、その背を見送りながら、震える手で剣の柄を握る。

("貴族たる私が、こんな恐怖に怯えねばならんのか……?")

 だが、恐れている場合ではなかった。このままでは、"女一人"に全てを崩される。
 彼は震える声で、側近の兵士を呼びつける。

「城の兵を総動員しろ! "あの女を絶対に仕留めろ!"」

 ヴォルネス公の怒声が響き渡る。
 それは、"戦の狼煙"だった。


<あとがき>
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