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動乱編
焦燥
しおりを挟むヴォルネス公は、城の執務室で苛立ちを隠せずにいた。重厚な机に両手を突き、脂汗を滲ませながら唇を噛む。指先がかすかに震えていた。
「……なぜ、まだ聖剣が見つからんのだ」
低く、押し殺した声だったが、その怒気は隠しようがなかった。室内に立つゼファルを鋭く睨みつける。
「"あの女の死体"はどうした? いつまで待てばいい!?」
ゼファルは、相変わらず冷静なまま、ヴォルネス公を一瞥した。
「落ち着かれよ。時間の問題だ」
「時間? 貴様はそう言い続けて、もう何日経ったと思っている!」
ヴォルネス公は苛立ちを込めて机を叩いた。しかし、それは単なる焦りではない。
不安と恐怖が、じわじわと彼の心を侵食していた。
最初は、滝壺に落ちた女などどうでもいいと思っていた。聖剣の捜索さえ続けていれば、いずれ見つかると信じていた。
だが、帰ってこない兵がいる。聖剣の行方が分からない。嫌な予感が、胸の奥からじわじわと広がる。
ヴォルネス公は、自らに言い聞かせるように呟いた。
「"あの女はまだ生きている"」
ゼファルの表情は変わらない。だが、ヴォルネス公はそれすらも気に障った。
"死んだはずの女"
ヴォルネス公は、拷問を受けながらも屈しなかった王子と、最後まで忠誠を貫いたあの女の姿を思い出す。
(もし、あの女がまだ生きていたら?)
(もし、聖剣を持って戻ってきたら?)
その可能性が、ヴォルネス公を狂わせそうになっていた。焦燥感が彼を追い詰める。
「聖剣も見つからん。死体もない。帰ってこない兵もいる……!」
握りしめた拳が震える。
「ゼファル、貴様はまだ"あの女は死んだ"と言い張るのか?」
ゼファルは、静かに目を細めると、冷ややかに答えた。
「……確かに"確証"がない限り、生きている可能性はある。だが、時間の問題だ。聖剣の捜索は続いている。王子も拘束されている。流れは我らにある」
淡々としたその口調が、ヴォルネス公の神経を逆撫でした。
(流れは我らにある……?)
本当にそうなのか?
ヴォルネス公は、胸の内で渦巻く不安を振り払えなかった。
ヴォルネス公の執務室に、不穏な足音が響いた。扉の外から、激しく叩く音。
「報告いたします!」
扉が開かれると同時に、一人の兵士が駆け込んできた。額には汗が滲み、肩で息をしている。
「何者かが"城内に侵入"! 複数の兵が殺害されました!」
その瞬間、ヴォルネス公の血の気が引いた。
「"何……?"」
言葉が喉の奥で詰まる。
(まさか……そんなはずが……)
だが、心臓が嫌なほどに脈打つ。
(ありえない……滝壺に消えたはずの女が……!)
「"そ、そんなはずはない……"」
だが、胸の奥では、すでに確信していた。
――"サーディスが戻ってきたのだ"。
ゾクリとした悪寒が全身を駆け巡る。あの女は"生きていた"。
ゼファルは、静かに報告を聞いていた。
そして、微かに口角を上げる。
「……生きていたか」
低く、淡々と呟いた。
彼は、ゆっくりと立ち上がると、腰の短剣を抜く。その動きに、ヴォルネス公が反応し、震える声を絞り出す。
「どこへ行く……」
ゼファルは、振り返ることなく、平然と答えた。
「"行き先は分かっている"」
そして、冷たく付け加える。
「今度こそ、始末させてもらう」
そう言い残し、ゼファルは静かに執務室を後にした。
ヴォルネス公は、その背を見送りながら、震える手で剣の柄を握る。
("貴族たる私が、こんな恐怖に怯えねばならんのか……?")
だが、恐れている場合ではなかった。このままでは、"女一人"に全てを崩される。
彼は震える声で、側近の兵士を呼びつける。
「城の兵を総動員しろ! "あの女を絶対に仕留めろ!"」
ヴォルネス公の怒声が響き渡る。
それは、"戦の狼煙"だった。
<あとがき>
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