忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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動乱編

対峙

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 ヴォルネス城の廊下を、血の匂いが満たしていた。警備の兵士たちは次々に倒れ、刃が閃くたびに新たな死体が転がる。

 王子アレクシスは、荒い息を吐きながら剣を構えていた。まだ拷問の影響が残る。身体の節々が悲鳴を上げ、深く刻まれた傷が痛み、動きは鈍い。それでも、剣を振るわなければならなかった。王座を奪還するために、ここで止まるわけにはいかない。

 しかし王子の剣が敵を斬るよりも早く、"別の刃"が閃いた。目にも止まらぬ速さで駆け抜ける黒い影。音もなく敵の首を刈り、まるで血飛沫すら意に介さぬかのように、次の標的へと向かう。

 サーディスだった。
 闇に溶け込むような動き。剣閃が走るたびに、敵は崩れ落ち、断末魔すら上げる間もなく命を絶たれる。あまりにも速く、鋭く、そして無慈悲な剣。
 それは、王子が知る"サーディスの剣技"とはまるで違った。

(……まるで、別人のようだ)

 王子は、思わずその戦いぶりに目を奪われた。以前の彼女の剣さばきは、確かに鋭く、熟練の技だった。
 だが、今のサーディスは"圧倒的"だった。
 剣士の枠を超え、ただの戦士でもない。

 ――"死神"。

 その言葉が、頭をよぎる。何かが変わった。数日前、毒で衰弱し、生死の境をさまよっていたはずの彼女が。
 今は、"圧倒的な殺戮者"として敵をなぎ倒している。
 王子は、一瞬だけ剣を持つ手に力を込める。

(……味方でよかった)

 心の底から、そう思った。もし彼女が敵であったなら絶対に勝ち目はない。
 王子は、一瞬だけサーディスを見つめた。
 彼女は何も言わず、ただ次の標的へと向かう。敵がいなくなるまで。血の海の中、"死神"は進み続けていた。



「……存外しぶといな」

 冷えた声が、血の匂いに満ちた廊下に響いた。王子とサーディスの前に、黒衣の影が現れる。
 ゼファルだった。
 長い戦いの余韻を感じさせぬまま、彼の佇まいは一切乱れていない。暗闇の中に溶け込むような姿。
 サーディスの剣を見ても、表情は微動だにしない。

「ずいぶんと痛めつけてやったはずだが。いったい何をした?」

 ゼファルはゆっくりと短剣を抜いた。銀色の刃が鈍く光る。

「だが、今度は"確実に殺す"」

 その言葉に、サーディスは静かに剣を構える。

「……では、試してみろ」
 彼女の瞳には、一点の迷いもなかった。

 ゼファルの口元が、微かに歪む。

「面白い」
 わずかに身を低くし、地を蹴る準備をする。

 空気が張り詰める。
 王子は、一瞬だけ迷った。サーディスとゼファル。どちらも、尋常ならざる戦士。

 だが、サーディスの表情を見て、王子はすぐに判断する。
 ゼファルを倒すことができるのは、サーディスしかいない。

 ならば、自分がすべきことは――

「……頼んだ」
 王子は短く言い残し、走り去った。

 ヴォルネス公は、もう長くはない。あとは、サーディスがゼファルを倒し、自分がヴォルネス公を討てば、この戦いは終わる。
 ゼファルは、それを追おうとはしなかった。彼の興味は、今はただ目の前の女を"狩る"ことにあった。
 彼は軽く短剣を回し、サーディスを見据える。

 「この短剣には、川に流したものと"同じ毒"が塗ってある。少しでも切られれば終わりだ」

 彼女を痛めつけた、あの毒。
 確実に神経を蝕み、戦う力を奪い、無力化する恐怖の刃。
 ゼファルは低く囁くように言った。

 「なら触れなければいい。お前程度にはそう難しいことではない」

 サーディスは、一瞬だけ目を細める。

 「……言ってくれる」

 ――この男は、まだ分かっていない。
 彼女の中で、何かが焦げつくように燃え上がる。

 ゼファルは淡々と続ける。

 「数か月前の王都での戦いを忘れたか」

 王都での戦闘。
 ゼファルは、サーディスの動きを完全に読み切り、圧倒した。
 彼女の剣筋は見透かされ、徹底的に叩き潰された。

 あの時の無力感は、まだ記憶の底に沈んでいる。
 だが――今は違う。

 サーディスは、もはや数か月前の"人間"ではない。
 異形の力を宿し、魔剣を手にした"殺戮者"。

 そして――この男への"憎悪"を抱いた存在。

 視界の隅に、一瞬だけゼファルの手が触れた短剣が揺らめく。
 ――あの刃が、彼女の腕を裂いた。
 ――あの声が、痛みと絶望の中で囁いた。

 サーディスの全身に焼けるような熱が駆け巡る。
 毒と拷問に焼かれた肉体。
 血と痛みに塗れた時間。
 どれだけの苦痛を味わい、どれだけの屈辱を刻まれた?

 そして――どれだけの時を、"復讐"のために生きてきた?

 脳裏に、炎が灯る。
 それは、アルノー家の血が滾るような怒り。
 家族を、故郷を、すべてを奪われた怒り。
 拷問によって踏みにじられ、ただの"おもちゃ"として弄ばれた憎しみ。

 (ゼファル――お前だけは、決して許さない)

 指が震える。
 それは恐れではない。
 戦いの興奮でもない。

 ――"怒り"だ。

 血が煮えたぎる。
 肌が焼けるように熱い。

 サーディスは、ゼファルをまっすぐに睨みつけた。
 その瞳には、燃え盛る憎悪が宿っている。

「"同じ手が通じると思うな"」
 言葉の刃が、静かに空を裂く。
 その声は、焼け爛れた怒りを宿した鋼のように響いた。

 サーディスは、静かに剣を持ち直す。
 ゼファルの指が、短剣の柄を軽く弾く。

 音もなく、刃がわずかに傾いた――次の瞬間。
 空気が切り裂かれ、戦場が再び火を吹く。

 殺しの舞台は、迷いのない一歩から始まる。
 サーディスは、一切の躊躇なく踏み込み、ゼファルは迷いなく迎え撃った。

 閃光のような一撃。
 衝突する刃。
 響く金属音と、ただならぬ気配。

 戦いは、もう止まらない。



<あとがき>
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