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動乱編
返報
しおりを挟むヴォルネス城の最奥、大広間に続く巨大な扉を、王子アレクシスは乱暴に蹴り開けた。重厚な扉が軋みながら開き、冷えた空気が広間へと流れ込む。
室内には、ヴォルネス公がいた。
豪奢な装飾に囲まれた空間。高価な絨毯、磨かれた銀の燭台、壁にかかる壮麗なタペストリー。かつて、賓客を迎えるために飾られたであろうこの部屋は、今や不気味な静寂に包まれていた。
そこに漂うのは"権力者の余裕"ではなく、"恐怖"だった。ヴォルネス公の顔は青ざめ、震える手で剣を握っている。彼は、王子の姿を目にすると、反射的に数歩後ずさった。
「貴様……どうして生きている……!」
言葉は、疑念と恐怖に染まっていた。
王子は、肩で息をしながら静かに剣を構える。
「ここに来るまでに、ずいぶんとお前の兵を斬った」
その声はかすれ、疲労の色を滲ませていた。拷問を受け、何度も傷を刻まれ、満身創痍のまま戦い続けてきた。今も傷口からじわりと血が滲んでいる。
しかし、ここで立ち止まるわけにはいかない。
ヴォルネス公は、その姿を見て、一瞬驚愕に目を見開いた。
だが、すぐに"あること"に気づく。王子の傍らに、サーディスの姿がない。そして、彼の動きが鈍く、疲弊しきっている。
(……なるほど)
ヴォルネス公は、一瞬にして状況を理解した。
(あの女がいない……そして、王子は限界寸前だ)
つまり勝てる。
「……ハハハ、なんだその有様は」
ヴォルネス公は、震えていた手の力を強めた。さきほどまでの恐怖が、"増長"へと変わる。
「あの女はいないのか? 貴様一人でここまで来たのか?」
王子は、何も答えない。
その沈黙を、ヴォルネスは"余裕のなさ"と受け取った。広間の空気が変わる。
ヴォルネスの口元が、不敵に歪む。
「護衛がいなければ、貴様などただの"半端者の王子"にすぎん!」
彼は、自らに言い聞かせるように叫び、剣を振り上げた。
一瞬の静寂。次の瞬間、ヴォルネス公が"本気で"王子に襲い掛かる。銀色の剣が、広間の空気を切り裂いた。
王子アレクシスは、その一撃を迎え撃つ。
"ガキィン!!"
激しい衝撃が王子アレクシスの腕を痺れさせる。
ヴォルネス公は、ただの貴族ではなかった。戦場で指揮を執るだけではなく、自ら剣を振るうことを厭わぬ武人。しかも、彼の体は万全だった。
対する王子は、幾度となく拷問を受け、逃走と戦闘を繰り返し、すでに疲弊しきっている。
体の軋む音が聞こえる。握る剣が重く感じる。
(それでも……ここで倒れるわけにはいかない……!)
ヴォルネスは、剣を弾くように後ろへ飛び、余裕たっぷりに笑った。
「どうした、王子殿下!」
挑発するように、剣の切っ先を向ける。
「さっきまでの威勢はどこへ行った!」
「"殺される側"の気分はどうだ!」
王子は言葉を発する余裕すらない。ただ、目前の刃を受け、躱し、隙を伺うことに集中する。
防戦一方。攻撃を仕掛ける間もなく、ただ耐えるしかなかった。
ヴォルネスの剣は、王子の肩をかすめ、薄く切り裂く。衣の裂ける音と同時に、鋭い痛みが走る。血が流れ、指先が一瞬痺れた。
ヴォルネスは、確信したように嗤う。
「"勝負あった"、か」
剣を大きく振りかぶる。
だがその隙を、王子は逃さなかった。
「――貴様が"殺される側"だ」
王子は、剣の角度を微妙にずらし、ヴォルネスの刃を弾く。
驚愕に目を見開くヴォルネス。
「なっ――」
その隙を突いて、王子の剣が鋭く閃く。刃が首元を横に薙ぎ払った。
"ザシュッ"
空を舞う鮮血。ヴォルネスの頭部が、弧を描いて転がった。胴体が一瞬遅れて崩れ落ち、床に赤い染みを広げていく。
王子は荒い息を吐きながら、血に濡れた剣を握りしめたまま立ち尽くしていた。
広間には、ヴォルネスの血がじわじわと広がっていく。
静寂が満ちる。
王子は、ゆっくりと剣を下ろした。全身の傷が悲鳴を上げるように疼く。疲労が、一気に押し寄せる。
だが、彼は微かに笑った。
「やられっぱなしで終わるのは、どうにも性に合わん」
言葉とは裏腹に、体は限界に近い。
しかし、これでヴォルネス公は討たれた。
だが、まだ終わりではない。
新王、叔父カエルスを討つまで、戦いは続く。王座を奪い返し、真実を暴くために。
王子は、ゆっくりと呼吸を整えた。
「まずは、サーディスの方へ戻らねばな」
剣についた血を払い、広間を後にする。その目には、まだ戦う意思が宿っていた。
<あとがき>
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