忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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動乱編

誤算

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 ゼファルは、自らの身に起こっていることが信じられなかった。
 防戦一方。それも、一方的に押されている。
 彼はクレストの一員。王直属の精鋭として、どれほどの戦士が相手であろうとも"一対一"ならば決して負けることはないと確信していた。
 ましてや今回は、毒を塗った短剣を用意している。一瞬の傷をつけるだけで、勝負は決まるはずだった。

("小娘一人に押されている"……だと?)

 ゼファルの目が、鋭くサーディスを捉える。
 だが、その視線の奥にあるのは、かすかな困惑。

 サーディスは圧倒的な速さと鋭さでゼファルを追い詰め続けていた。刃を交えるたびに、ゼファルの腕が痺れる。
 間合いを取ろうとすれば、驚異的な速度で詰められる。影を使った瞬間移動も、"すべて見破られる"。
 "前に戦った時とは、まるで別人"だった。

(……何が変わった?)

 ゼファルの冷静な思考が、それを探ろうとする。
 技術の向上か?
 否。
 "純粋な力"が桁違いに強くなっている。剣の威力、速度、すべてが異常なほど増している。
 それはただの鍛錬の積み重ねでは説明がつかない。

(こんなことが……あり得るのか?)

 ゼファルの足が、無意識に後退する。
 それを逃さず、サーディスの剣が猛然と迫る。

 "ギィン!"

 辛うじて短剣で受け止める。だが、受けた瞬間、ゼファルの腕が痺れた。

(この威力……!)

 まるで"人間の剣"ではない。一撃ごとに確実に削られていく。
 サーディスの剣は、ゼファルの影を引き裂くように、鋭く、冷たく、そして"迷いがない"。
 その剣は"殺すための剣"だった。

("奴の剣"は……以前と違う)

 ゼファルはようやく、"違和感の正体"に気づく。
 サーディスの剣からは、"王子を守るため"の気配が消えていた。
 今、目の前で戦っているサーディスは"ゼファルを殺すことしか考えていない"。その剣に宿る意志は、一切の躊躇もなかった。

(……このままでは、押し切られる)

 ゼファルは、僅かに息を吐き、冷静に考える。

 "まだ負けるわけにはいかない"。

 彼は、次の一手を打つべく、隙を探し始めた。
 しかしサーディスの剣には、もう"隙"すらなかった。この戦いに、逃げ場はない。ゼファルは、それをようやく理解し始めていた。



 サーディスは、戦いながら確信していた。

(……やはり、圧倒的に強くなっている)

 かつてゼファルと剣を交えた時、勝つには魔剣を解放しなければならないと踏んでいた。
 だが、それは雑兵を斬り捨てるうちに変わった。

 ――魔剣すら必要ない。

 ゼファルは完全に防戦一方。
 これまで彼の動きは研ぎ澄まされ、隙のない殺意を持っていた。
 だが今はどうだ? 焦りが滲んでいる。受けに回っている。追い詰められている。

(……"魔の浸食"が進んだ)

 それが、今の彼女を形作っていた。

 特に――

(左腕と左目)

 左腕は、もはや"人間のもの"ではない。
 常人では考えられない膂力を備え、剣を振るうたびに"破壊"を伴う。
 ゼファルの短剣が受け止めるたび、彼の骨が軋むような感覚がる。

 そして左目。
 ゼファルが影に溶け込もうとも、その姿は"鮮明に映っていた"。

 ――逃がさない。

 ゼファルの姿が影に沈む。次の瞬間、彼は背後へと回り込んだ。

(……無駄だ)

 振り向くより速く、サーディスの剣が迎撃する。
 ゼファルの短剣が火花を散らした。
 死角など存在しない。

(……これは"浸食"が進んだ証拠)

 普通なら、この"変化"を恐れるべきなのかもしれない。
 だが――

 サーディスの内側で、何かが"煮えたぎる"。

 ゼファルの剣を受けるたび、あの拷問の記憶が蘇る。
 "血まみれの身体、焼けつくような痛み、あの冷たい声――"

 今までのような冷静さではいられない。
 体中の血が煮え立つ。指先が震える。
 それは恐れではない。

 ――"怒り"だ。

 この男は、あの時と同じように、上から見下ろしていた。
 あの時と同じように、"俺の勝ちだ"と言わんばかりに微笑んでいた。
 その顔を、何度も何度も思い出した。
 痛みと屈辱の中で、何度も噛み締めた。
 何度、何度、何度、殺したいと願ったか。

 ――今、それを果たす時だ。

 ゼファルの動きが、わずかに鈍る。

(……揺らいでいる)

 見逃すわけがない。

 サーディスは、荒々しく踏み込んだ。
 ゼファルの短剣を、力任せに弾き飛ばす。

 "ギィン!!"

 鋭い音とともに、ゼファルの短剣が宙を舞った。



(……っ!)
 ゼファルの目が驚愕に揺れる。信じられない力。
 剣を握る力ごと弾かれた。クレストの精鋭として、ただの"力で押し負ける"などありえない。
 だが、目の前の女は――もはや人ではない

 ゼファルの冷静な思考が、初めて揺らいだ。その一瞬の隙を逃さず、サーディスは剣を突き出す。刃が、ゼファルの喉元に突きつけられた。

 ――"詰みだ"。

 ゼファルの呼吸が止まる。
 目の前の"騎士"は、すでに騎士ではなかった。
 かつて"小娘"と侮った女は今や"魔の力を持つ"怪物へと変貌していた。その冷徹な目が、ゼファルを見下ろしている。 
 クレストの精鋭として、死の恐怖を感じたことはなかった。

 "敗北"を感じた刹那、勝負は決していた。
 サーディスの剣が、一瞬わずかに動く。ゼファルの喉元へと、あと数センチ。

 次の瞬間――

「"十年前の真実が知りたくないか?"」

 ゼファルの低い声が、闇の中に響いた。


<あとがき>
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