忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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動乱編

真相

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 サーディスの手が、止まる。剣の刃先が、喉元の皮膚を浅く傷つけ、薄く血が滲む。
 だがゼファルは微動だにしなかった。彼は、余裕すら見せるように口元を歪める。

「知りたくないか? "お前の主の家が滅んだ本当の理由"」

 サーディスの心臓が、大きく跳ねた。
(……何?)

「"貴様が知っていることは、ほんの一部に過ぎない"」

 ゼファルは、サーディスの目を見据えながら静かに続ける。

「貴様の知るまい"アルノー家襲撃"の真相」

 剣を持つ手に力が入る。
 だがサーディスの中で、確かに"迷い"が生まれた。
 ゼファルの言葉が、まるで呪いのように頭の中に入り込んでくる。

「お前の復讐すべき相手が本当は誰なのか。"それを確かめずに、俺を殺してしまっていいのか?"」

 サーディスは、一瞬息を呑む。だが、その迷いを振り払うように剣を強く握り直す。

「いいだろう」
 サーディスは、ゼファルを睨みつけたまま、低く言う。

「話せ」

 ゼファルは、それを聞いて満足げに目を細める。
「賢明な判断だ」

「では、"十年前の真実"を教えてやろう」

 淡々とした口調で、彼は語り始める。
「"あの襲撃は、クレスト全員に下された命令だった"」

 サーディスの目が細められる。
「"全員"?」

ゼファルは無表情のまま続ける。
「そうだ。あの命令に逆らった者は一人もいない

「王直属の精鋭である我らクレストに"疑問を抱く権利"などない」

 サーディスの手が、剣の柄を僅かに強く握る。予想していたことではあった。
 だが、確信を持って聞かされると、全身の血が冷えるようだった。

("一部の者ではなく、クレスト全員が関わっていた"……)

 心の奥底で、まだ"何かの間違いかもしれない"と願う気持ちがあったのかもしれない。

 しかし――

「"命令を下したのは誰だ"」

 それこそが、サーディスにとって最も重要な答えだった。
 ゼファルは、わずかに口角を上げる。
 まるで、これを言うのを待っていたかのように。

「……あの襲撃を命じたのは――"王妃シャルロット・カタリーナ・ヴァルトハイト"だ」

 時が止まったように思えた。

 サーディスの指先が、わずかに震えた。

「ばかな……なぜ王妃がそんなことを」

 ゼファルの言葉を信じることができなかった。
 アルノー家は確かに王都でも名のある貴族だったが、王家にとって反逆者でもなければ、王権を脅かすような一派でもなかった。

 それなのに、なぜ王妃が。あの優雅で気品に満ちた女性が、アルノー家を滅ぼす決定を下す必要があったのか。
 サーディスは混乱したまま、ゼファルを睨みつける。

「理由が気になるか?」
 ゼファルは、意地の悪い笑みを浮かべた。

「さあな。なんでだろうな?」

 その言葉に、サーディスの中で何かが弾ける。
「……っ!」

 剣を強く握りしめた。無意識に、一歩踏み出していた。

「言え! その理由も答えずに、私が納得するとでも思ったか!」

 ゼファルは楽しげに目を細めた。
「なら、拷問でもするか?」

 その言葉は嘲るようでいて、どこか余裕すら感じさせた。サーディスは瞬時に歯を食いしばる。

(そんな時間はない……!)

 王子とともに逃げ延びる必要がある。これ以上、ここで時間を費やすわけにはいかない。

「……ッ」

 サーディスは奥歯を噛み締めたまま、震える呼吸を抑えようとした。それでも、ゼファルの言葉が耳を離れない。

(王妃が……?)
 あの人が、家族を?

 サーディスは目の前がぐらりと揺れるような感覚に襲われる。

 王妃――シャルロット・カタリーナ・ヴァルトハイト。
 サーディスにとって、幼いころから"敬愛する女性"だった。
 幼き日の記憶が、まるで水の底から泡が浮かび上がるように、次々と脳裏をよぎる。オルメスの唄を教えてくれたのも、王妃だった。生きて帰ってこいと言ってくれたのも、王妃だった。
 戦乱の最中でも、穏やかな笑みを浮かべ、「またお茶をしましょう」と言ってくれた。それは偽りではないと、心から信じていた。

 それなのに――

(そんな……そんなはずがない……)
 何かの間違いだ。ゼファルが嘘をついているのだ。

(嘘だ……)
 そう思いたかった。

(王妃が……あの王妃が、私の家族を……?)
 呼吸が詰まる。手が、冷たくなっていく。信じたくなかった。

 だが――

 サーディスは、左目が映し出す"真実"を恨めしく思った。ゼファルの言葉は、一片の偽りもなかった。

(嘘をついていない……)

 もし、この目さえなければ。この目がなければ、こんな言葉、ただの戯言と切り捨てられたのに。
 だが、今のサーディスには、それができない。

(……新王カエルスか、あるいは先代陛下が黒幕だと思っていた)

 彼らが権力闘争のために、自分の家族を滅ぼしたのだと。だからこそ、新王を討つことで、復讐を果たすのだと信じていた。

 だが違った。

 サーディスの家族を滅ぼしたのは、"王妃シャルロット"だったのだ。目の前のゼファルが語る事実が、心の奥底まで鋭く突き刺さる。

(……あの方が……私の家を……)



 ゼファルは、サーディスの動揺を見逃さなかった。
 たった一瞬。その"隙"に、彼はすべてを賭けた。袖の内側に隠していた短剣を、迷いなく抜き放つ。
 狙うのは"喉元"。一撃で終わらせる。心臓ではない。喉を裂けば、絶命するまでに抵抗する余地すら与えられない。ゼファルの戦闘経験が導き出した"最適解"だった。
 刃が僅かに月光を反射し、まっすぐにサーディスの喉へと突き進む。

「"甘い"」
 低く冷徹な声が響いた。

 ゼファルの目が、かすかに見開かれた。
 サーディスの剣が、確実に腕の関節を断ち切っていた。

「……ッ!」

 ゼファルの顔が苦痛に歪む。彼の腕がぶらりと垂れ下がった。だが、サーディスは止まらない。切り払った腕からさらに踏み込み、流れるような剣閃がゼファルを襲う。

「ぐっ……!!」

 ゼファルは防御する間もなく、肩口に深々と切り傷を刻まれた。

 ――いや、肩だけではない。

 胴を横薙ぎに斬りつけ、次いで脚を狙い、鋭い刃が立て続けに襲いかかる。ゼファルはただ後退するしかなかった。

「……どうした、もう終わりか?」

 サーディスの声は冷たい。静かで、凍りつくような怒気が滲んでいた。
 ゼファルは歯を食いしばり、片腕が動かないながらも剣を構える。

「ぐッ………"化け物"が……!」

「違う。これは"復讐"だ」

 サーディスの剣が、さらにゼファルを追い詰める。肩、脇腹、太腿――致命傷にはならないが、確実に戦意を削ぐ"痛み"を刻みつける。
 ゼファルの動きが鈍る。

(……まだだ)

 サーディスは最後の一撃を見舞うように、ゼファルの膝を斬り払った。その瞬間、ゼファルの体が地に崩れる。
 息を荒くし、苦悶の表情を浮かべながら膝をつくゼファルを、サーディスは冷たい目で見下ろす。

「……くっ……」

 短剣を振り下ろそうとするが、もはや力は残っていない。サーディスはゼファルの目を見据えた。

「なぜ王妃はアルノー家襲撃を命じた」

 ゼファルは、自身の結末を予想しながらも、微かに笑った。
「……はは……さあな………」

「……そうか」

 サーディスは冷徹に剣先でうなじを貫いた。ゼファルの体がわずかに痙攣する。しかしすぐに動かなくなった。

 ゼファル。クレストの暗殺者、死亡。

 サーディスは、ゼファルの体から剣を引き抜く。血が床に飛び散る。
 静かに、剣を払い、深く息を吐いた。
 だが、胸の奥には"何の達成感もなかった"。

(……私の家を滅ぼしたのは、王妃だった)

 ゼファルの言葉が、脳裏で反響する。

(嘘ではなかった)

 サーディスは、血に濡れた剣を握りしめた。

「"シス様"……」

 サーディスは、静かに目を閉じた。
 "王子を救う理由が、一瞬だけ揺らぐ"。
 ゼファルの死が、すべてを終わらせたわけではなかった。
 むしろ"本当の復讐の扉"が開かれたのだ。



<あとがき>
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