魔王になった親友が未払いの残業代を「愛」で払おうとしてくるんだが。~有能経理の俺、異世界ブラック魔王城をホワイトに叩き直す〜

たら昆布

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1話

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 世の中には、理不尽という言葉がある。
 例えば、徹夜明けでようやく帰宅できると思った瞬間に、部長から「あ、これ明日の朝イチまでね」と分厚い資料を渡されること。
 あるいは、コンビニで最後の一つだった限定スイーツを、目の前の小学生にタッチの差で買われること。

 だが、今の俺が直面している状況に比べれば、そんなものは「微々たる不運」に過ぎない。

「……おい、レン。ちょっと説明してくれ」

 俺――カナデは、手元にある「羊皮紙」の束をパサリと放り投げた。
 そこには、俺が前世で二十六年間慣れ親しんだ日本語ではなく、見たこともない奇妙な記号が並んでいる。しかし、なぜか意味は完璧に理解できた。
 内容を一言で言えば、「この城、あと三ヶ月で破産するぞ」である。

 視線を上げると、そこには豪華絢爛(だがよく見ると所々ボロい)な玉座にふんぞり返る、一人の男がいた。
 燃えるような赤髪に、猛獣を思わせる黄金の瞳。身長は優に百九十センチを超え、黒いマントを羽織ったその姿は、どこからどう見ても「世界を滅ぼす魔王」そのものだ。

 だが、その中身を俺はよく知っている。
 こいつは、大学時代からの腐れ縁で、就職してからも週三で飲みに行っていた、ただの「脳筋陽キャ」であるレンだ。

「いやぁ、カナデ。お前が目覚めてくれて本当に助かったよ! 俺、この紙に書いてあるミミズの這った跡みたいなやつ、三秒見ると眠くなっちゃってさ!」

 レンはガハハと豪快に笑い、玉座から立ち上がると、俺の肩をバシバシと叩いた。
 力が強い。魔王補正がかかっているのか、一叩きごとに俺の脊椎が悲鳴を上げている。

「笑い事じゃない。……状況を整理させろ。俺たちは、トラックに撥ねられた。そこまではいいな?」

「おう! あの時、お前が『あ、信号無視』って冷静に呟いたの、今思い出してもシュールだよな」

「冷静だったんじゃない、絶望してたんだ。……で、気がついたら俺はこのカビ臭い地下室で、お前はそこの豪華な椅子に座っていた。お前は魔王、俺は……なんだ、これ。役職は『下級事務魔族』か?」

 俺は自分の姿を鏡で確認した。
 見た目は元の俺とさほど変わらないが、耳が少し尖り、肌の血色が少し悪い。そしてなぜか、度は入っていないはずの黒縁メガネが顔の一部のように固定されている。
 スキルを確認すると、【生活魔法】と【高速演算】。完全に事務作業特化型だ。

「そうそう! 俺がこの国を継いだ時、一番に『優秀な右腕を召喚しろ!』って祈ったんだよ。そしたらお前が降ってきたわけ。これぞ運命だよな、親友!」

 レンが屈託のない笑顔で、俺の首に腕を回してくる。
 元の世界でもこいつは距離感がバグっていたが、魔王になっても変わらないらしい。
 だが、俺はそっとその腕を外した。

「運命とかいうキラキラした言葉で誤魔化すな。……レン、お前、この城の家計簿見たか?」

「カケイボ? 何それ、美味しいの?」

「死ね。……いや、もう一度死んでるからいいのか。いいか、この魔王城は今、深刻な財政難だ。前代の魔王が勇者との戦争に注ぎ込みすぎて、国庫は空っぽ。それどころか、近隣の魔物ギルドからの借金が雪だるま式に増えている。お前がさっき食っていたあの豪華な肉料理、あれ一つで下級魔族の月給が飛ぶんだぞ」

「えっ、マジで? これ、タダじゃないの?」

 レンが衝撃を受けたような顔をして、皿に残った骨を見つめる。
 こいつ、魔王になれば何でも無限に湧いてくると思っていたらしい。おめでたい頭だ。

「タダなわけがあるか。このままだと、あと三ヶ月でこの城は差し押さえだ。お前は路上生活魔王、俺は……浮浪者魔族に格下げだ。そんなの、俺のプライドが許さない」

 俺はガタッと椅子を引き、レンに向き直った。
 前世では、クライアントの不明瞭な会計を徹底的に叩き直す「歩く監査法人」と呼ばれた俺だ。
 異世界に来てまで、どんぶり勘定のツケを払わされるのは御免だ。

「いいか、レン。今日から俺はこの城の経理部長になる。お前は今日から、間食禁止、宴会禁止、無駄な遠征禁止だ」

「えぇーっ!? 魔王なのに? 俺、魔王になったら毎日パーティーだと思ってたのに!」

「うるさい。嫌ならお前が計算しろ。できるのか?」

「……無理。一桁の足し算でも怪しい」

「だろうな。なら、黙って俺の指示に従え。……あ、それから」

 俺は、レンが親しげに近づいてこようとするのを、手近にあった厚い帳簿でガードした。

「物理的な距離も、あと五十センチは空けろ。暑苦しいし、計算の邪魔だ」

「ひどいなカナデ! 俺たち、あんなに仲良く居酒屋で語り合ってた仲じゃん! 異世界で二人きりなんだから、もっとこう、ラブコメ的な展開とかあってもよくない!?」

「あるわけないだろ。……仕事だ、仕事。残業代が出るかどうかも怪しいんだからな」

 俺は冷たく言い放ち、ペンを走らせ始めた。
 レンは「ちぇーっ」と唇を尖らせて、巨大な体を小さく丸めて玉座に戻っていく。その姿は、叱られた大型犬そのものだ。

 こうして、俺たちの異世界生活が始まった。
 魔王と経理。
 かつての親友という関係が、いつか「それ以上」になるなんて、この時の俺は一ミリも……いや、原子レベルですら考えていなかったのである。

「あ、カナデ。一つ言い忘れてた」

「なんだ。忙しい、手短にしろ」

「そのメガネ、すっげー似合ってるぞ! なんか前より、ちょっとだけ色っぽくなったんじゃね?」

「……。黙れ。マイナス一万ゴールド」

「ええええ!? 褒めたのに罰金!?」

 魔王城に、無能な王の悲鳴が虚しく響き渡った。
 俺たちの夜は、まだまだ長い。
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