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2話
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揺られている。
それも、驚くほど心地よい、革と鉄の匂い。そして、抱きしめてくれている男――グレンディルから漂う、どこか冷涼で清々しい香りに包まれて。
ルベリス帝国の居城へと続く道中、トアはグレンディルの愛馬に、彼と一緒に乗せられていた。
背中から回された大きな腕が、トアを逃がさないように、けれど決して痛くない絶妙な力加減で固定している。
「あの……陛下。僕は自分で歩けます。重いですし……」
「黙っていろ。お前は今にも折れそうなほど細い。歩かせてさらに削れるなど、私が許さん」
グレンディルの答えは断固としていた。
トアはそれ以上何も言えず、借りてきた猫のように丸くなるしかない。
やがて、巨大な黒亜鉛の門が見えてきた。ルベリス帝国の帝都だ。
門をくぐると、そこにはトアがいた国よりもずっと活気のある街並みが広がっていた。
そして、城の入り口では、一人の騎士が馬を止めて待っていた。
「おかえりなさいませ、陛下。……して、その腕の中におわす方は?」
声をかけてきたのは、銀色の甲冑を隙なく纏った、生真面目そうな青年だった。
鋭い眼差しだが、どこか誠実さを感じさせる。彼こそが、帝国騎士団の筆頭騎士、イザークだった。
「私の命の恩人だ。名はトア。イザーク、今すぐ城中の侍女を集めろ。トアの体を清め、傷一つ残さぬよう手配しろ」
「命の、恩人……?」
イザークがトアを凝視する。
トアはあまりの視線の強さに、ひょこっとグレンディルの胸元に顔を隠した。
その小動物のような仕草を見た瞬間、イザークの頬がわずかにぴくりと動く。
「……承知いたしました。陛下がこれほどまでにお心を砕く方だ。騎士団を挙げて警護にあたらせます」
「警護は当然だ。だが、男くさい騎士どもをトアに近づけすぎるなよ。怯える」
「心得ております。まずは私のマントをお使いください。風が冷たくなってきました」
イザークは流れるような動作で、自分の上質なマントを脱ぐと、馬上のトアの肩にふわりとかけた。
騎士団長の私物。それは、本来ならトアのような身分の者が触れることさえ許されない、高価なものだ。
「わ、ありがとうございます……」
「……いや。礼には及ばん。お前が風邪を引けば、陛下の機嫌が悪くなるからな」
そう言いながら、イザークの耳たぶがほんのりと赤くなっているのを、トアはまだ気づかない。
城内に入ると、トアはそのまま豪華な貴賓室へと案内された。
ふかふかの絨毯、磨き上げられた調度品、そして――。
「……うわぁ、お城の中に、お花がいっぱい……」
テラスから差し込む光に照らされた部屋には、至る所に色鮮やかな花が飾られていた。
トアの緊張を和らげるために、グレンディルが早馬を出して命じていたものだ。
「トア。まずは風呂に入れ。それから食事だ」
「あ、あの……お風呂は、僕一人で入れます!」
「……ふむ。本当は私が洗ってやりたいところだが、あまり急かして逃げられても困るからな。今日は侍女に任せよう」
冗談なのか本気なのか分からないグレンディルの言葉に、トアの顔は茹で上がったように真っ赤になった。
しばらくして、湯浴みを終え、真っ白なコットンの寝着に着替えさせられたトアが部屋に戻ると、そこには山のような料理が並んでいた。
温かいスープ、柔らかく煮込まれた肉、焼きたての白いパン。
どれもセフィリア王国では、王族しか口にできないようなご馳走ばかりだ。
トアは恐る恐る、一口スープを飲んだ。
胃の奥からじわぁっと温かさが広がり、自然と涙がこぼれ落ちる。
「……おいしい。すごく、温かいです……」
傍らで見守っていたグレンディルの表情が、ふっと和らいだ。
彼は大きな手でトアの髪を撫でる。
「今まで、どれほど酷い扱いを受けてきたんだ。……セフィリアの愚か者どもめ。こんな宝を捨てるなどな」
「僕、本当に『宝』なんて言われるような人間じゃないんです。魔力も全然ないし……」
「まだ言うか。お前の魔力は『微弱』なのではない。あまりにも純度が高すぎて、既存の測定器では計りきれないだけだ。現に、私の荒れていた魔力は、今も凪のように静まっている」
グレンディルはトアの手をとり、自分の胸元――心臓の鼓動が伝わる場所に当てた。
「お前が触れてくれるだけで、私は救われる。……トア。ここはもう、お前の家だ。誰に遠慮する必要もない」
トアは、その掌から伝わる力強い鼓動を感じながら、少しずつ、硬く閉ざしていた心の扉が緩んでいくのを感じた。
その夜、トアは人生で初めて、冷たい床でも硬い藁の上でもなく、雲のようなベッドで眠りについた。
不思議と怖い夢は見なかった。
ただ、夢の中でも、あの紅い瞳の男が、ずっと自分を見守ってくれているような気がしたのだ。
翌朝。
トアの部屋の前に、なぜか騎士団長イザークが、山のような「甘い菓子」を持って立っているところから、彼の新しい日常が本格的に動き出すことになる。
それも、驚くほど心地よい、革と鉄の匂い。そして、抱きしめてくれている男――グレンディルから漂う、どこか冷涼で清々しい香りに包まれて。
ルベリス帝国の居城へと続く道中、トアはグレンディルの愛馬に、彼と一緒に乗せられていた。
背中から回された大きな腕が、トアを逃がさないように、けれど決して痛くない絶妙な力加減で固定している。
「あの……陛下。僕は自分で歩けます。重いですし……」
「黙っていろ。お前は今にも折れそうなほど細い。歩かせてさらに削れるなど、私が許さん」
グレンディルの答えは断固としていた。
トアはそれ以上何も言えず、借りてきた猫のように丸くなるしかない。
やがて、巨大な黒亜鉛の門が見えてきた。ルベリス帝国の帝都だ。
門をくぐると、そこにはトアがいた国よりもずっと活気のある街並みが広がっていた。
そして、城の入り口では、一人の騎士が馬を止めて待っていた。
「おかえりなさいませ、陛下。……して、その腕の中におわす方は?」
声をかけてきたのは、銀色の甲冑を隙なく纏った、生真面目そうな青年だった。
鋭い眼差しだが、どこか誠実さを感じさせる。彼こそが、帝国騎士団の筆頭騎士、イザークだった。
「私の命の恩人だ。名はトア。イザーク、今すぐ城中の侍女を集めろ。トアの体を清め、傷一つ残さぬよう手配しろ」
「命の、恩人……?」
イザークがトアを凝視する。
トアはあまりの視線の強さに、ひょこっとグレンディルの胸元に顔を隠した。
その小動物のような仕草を見た瞬間、イザークの頬がわずかにぴくりと動く。
「……承知いたしました。陛下がこれほどまでにお心を砕く方だ。騎士団を挙げて警護にあたらせます」
「警護は当然だ。だが、男くさい騎士どもをトアに近づけすぎるなよ。怯える」
「心得ております。まずは私のマントをお使いください。風が冷たくなってきました」
イザークは流れるような動作で、自分の上質なマントを脱ぐと、馬上のトアの肩にふわりとかけた。
騎士団長の私物。それは、本来ならトアのような身分の者が触れることさえ許されない、高価なものだ。
「わ、ありがとうございます……」
「……いや。礼には及ばん。お前が風邪を引けば、陛下の機嫌が悪くなるからな」
そう言いながら、イザークの耳たぶがほんのりと赤くなっているのを、トアはまだ気づかない。
城内に入ると、トアはそのまま豪華な貴賓室へと案内された。
ふかふかの絨毯、磨き上げられた調度品、そして――。
「……うわぁ、お城の中に、お花がいっぱい……」
テラスから差し込む光に照らされた部屋には、至る所に色鮮やかな花が飾られていた。
トアの緊張を和らげるために、グレンディルが早馬を出して命じていたものだ。
「トア。まずは風呂に入れ。それから食事だ」
「あ、あの……お風呂は、僕一人で入れます!」
「……ふむ。本当は私が洗ってやりたいところだが、あまり急かして逃げられても困るからな。今日は侍女に任せよう」
冗談なのか本気なのか分からないグレンディルの言葉に、トアの顔は茹で上がったように真っ赤になった。
しばらくして、湯浴みを終え、真っ白なコットンの寝着に着替えさせられたトアが部屋に戻ると、そこには山のような料理が並んでいた。
温かいスープ、柔らかく煮込まれた肉、焼きたての白いパン。
どれもセフィリア王国では、王族しか口にできないようなご馳走ばかりだ。
トアは恐る恐る、一口スープを飲んだ。
胃の奥からじわぁっと温かさが広がり、自然と涙がこぼれ落ちる。
「……おいしい。すごく、温かいです……」
傍らで見守っていたグレンディルの表情が、ふっと和らいだ。
彼は大きな手でトアの髪を撫でる。
「今まで、どれほど酷い扱いを受けてきたんだ。……セフィリアの愚か者どもめ。こんな宝を捨てるなどな」
「僕、本当に『宝』なんて言われるような人間じゃないんです。魔力も全然ないし……」
「まだ言うか。お前の魔力は『微弱』なのではない。あまりにも純度が高すぎて、既存の測定器では計りきれないだけだ。現に、私の荒れていた魔力は、今も凪のように静まっている」
グレンディルはトアの手をとり、自分の胸元――心臓の鼓動が伝わる場所に当てた。
「お前が触れてくれるだけで、私は救われる。……トア。ここはもう、お前の家だ。誰に遠慮する必要もない」
トアは、その掌から伝わる力強い鼓動を感じながら、少しずつ、硬く閉ざしていた心の扉が緩んでいくのを感じた。
その夜、トアは人生で初めて、冷たい床でも硬い藁の上でもなく、雲のようなベッドで眠りについた。
不思議と怖い夢は見なかった。
ただ、夢の中でも、あの紅い瞳の男が、ずっと自分を見守ってくれているような気がしたのだ。
翌朝。
トアの部屋の前に、なぜか騎士団長イザークが、山のような「甘い菓子」を持って立っているところから、彼の新しい日常が本格的に動き出すことになる。
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