身代わり婚相手が「最推し」だった件。~無表情な副社長の過剰な愛が限界オタクの俺には刺激が強すぎます!~

たら昆布

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28話

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 午前六時。アラームが鳴るよりも早く、枕元でタブレットが低く、規則正しい電子音を奏でた。
 旭はシーツの海から這い出し、隣で眠る「神」の寝顔を薄暗い光の中で一瞥する。
 
(……生きてる。今日も俺、生きて朝を迎えた。本物のREN様と、一条副社長。その二つの心臓を持つ男の隣で。……しかも今は、身代わりの『あゆみ』じゃない。瀬戸旭として、この場所にいる)

 旭は自分の頬を軽く叩き、浮かれた脳細胞を強制的に起動させた。
 新しい契約書によれば、旭の仕事は「一条蓮の心身の完璧な管理」だ。
 
 キッチンへ向かい、蓮の好む柑橘系のヘアワックスの蓋を開ける。
 爽やかなライムの香りがリビングに広がり、遅れて起きてきた蓮の足音がフローリングに硬く響いた。

「おはよう、旭。……今日のスケジュールを確認する」

 蓮は、まだボタンを外したままのシャツ姿で、旭の腰に背後から腕を回した。
 首筋に当たる、蓮の熱い吐息。
 
「……一条、……蓮さん。近いです。ワックスが付きますから」

「構わない。……君の存在を確認してからでないと、私の仕事効率は十五パーセント低下する。……これは合理的な必要経費だ」

 蓮は至極真面目な顔で、旭の項に鼻先を押し付けた。
 彼の身体から立ち上る、深いサンダルウッドと、覚醒したばかりの男の匂い。

(十五パーセントとか、適当な数字を! 結局ただの独占欲じゃないか! ……でも、その強引さが、ファンとしては最高のご褒美だって、一生教えないけど!)

 数時間後、二人は再び、あの撮影スタジオにいた。
 蓮はモデルの引退どころか、旭を「専属サポート」として帯同させることで、以前にも増して凄まじい神気を放っている。
 
 カシャッ、カシャッ、と鋭いシャッター音が響く。
 
 セットの中央。
 蓮がカメラのレンズを射抜くたび、スタジオ内の空気がじりじりと熱を帯びる。
 彼は旭が機材の影で見守っていることを確信し、かつてないほど挑発的な微笑をカメラに向けた。

「最高だREN! まるで誰かを誘惑しているような、熱い目だ!」

 カメラマンの絶叫に、旭はタオルを握りしめたまま、心の中で力一杯ペンライトを振った。
 
(あああ、今の角度! 絶対、後で公式SNSが爆発するやつ! 現場で、生で、この距離で浴びてる俺、前世でどんな徳を積んだんだ!)

 休憩に入ると、蓮はスタッフの制止を振り切り、真っ直ぐに旭の元へ歩み寄ってきた。
 革のジャケットが擦れる、ギュッ、という低い音が、旭の心臓を跳ねさせる。

「旭。……水。それから、……糖分を」

「はい。……お疲れ様です、蓮さん。これ、特注のチョコレートです」

 旭が差し出した一粒を、蓮は旭の指ごと、甘く、鋭く食んだ。
 指先に触れる、蓮の熱い舌の感触。
 
 旭は顔を真っ赤に染め、慌てて周囲を見渡した。
 スタッフたちは「一条副社長の過保護な専属秘書」という認識で、既にこの光景に慣れきっている。

「……一条さん。ここ、仕事場ですよ」

「分かっている。……仕事効率を最大化するための、不可欠な補給だ。……君は、私の契約相手だろう?」

 蓮は旭の耳元で囁くと、満足げに微笑んで再びセットへと戻っていった。
 
 身代わりの結婚から始まった、嘘だらけの生活。
 けれど、今、旭の手に残っている蓮の体温だけは、何よりも確かで、逃げようのない現実だった。
 
 窓の外、都会の空は眩しいほどに晴れ渡っている。
 
 旭は、次のカットに向けて豹変する推しの背中を見つめ、新しい契約書に記された「永遠」という文字を思い出した。
 
 ペンを走らせるインクの音。
 シーツの擦れる音。
 そして、二人の間に響く、少しだけ速い心臓の鼓動。
 
 瀬戸旭は、これからも推しの隣で、世界一忙しくて、世界一熱い「罰」を受け続けていくのだ。
 
 蓮がカメラに向かって、旭だけに伝わる、不器用で真っ直ぐな合図を投げた。
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