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2話
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目が覚めると、視界いっぱいに無骨な木の天井が広がっていた。
フィノは毛布を顎まで引き上げ、瞬きを繰り返す。
鼻をくすぐるのは、昨日嗅いだマントと同じ、革と乾燥させたハーブの匂い。
(……夢じゃ、なかったんだ)
勇者パーティーを追い出され、雨の中で凍え死ぬのを待つだけだった昨日。
自分を「箱」としてではなく「子供」と呼び、大きな手で抱き上げてくれた黒い甲冑の男。
「起きたか、箱」
低い声が降ってきて、フィノは跳ねるように起き上がった。
部屋の隅、執務机に座って書類を検分していたウォルターが、冷徹とも取れる灰色の瞳をこちらに向けている。
その顔は相変わらず険しく、眉間の皺は深い。
「おはようございます、ええと……団長さん」
「ウォルターでいい。……体調はどうだ」
「はい、とっても元気です。昨日のスープが、まだお腹の中でぽかぽかしてます」
フィノが笑顔で答えると、ウォルターはふい、と視線を書類に戻した。
耳の先端がわずかに赤くなっているようにも見えたが、影のせいだろうか。
「カミルが朝食を持ってくる。食ったら、お前の『中身』を整理しろ。……昨日の雨で、私物が湿っているはずだ」
「あ!そうでした。ええと、エリック……前の主さんの荷物がまだ入ったままで」
フィノは自分のリュックを引き寄せ、その「入り口」に手を伸ばす。
フィノの体内空間は、彼の意志一つで出し入れが可能だ。
リュックの口はただの目印に過ぎない。
フィノが意識を集中させると、空間の中から「いらなくなったもの」が次々と吐き出されていった。
泥のついたスペアの靴、穴の空いた靴下、使いかけの砥石、そして勇者の傲慢さが詰まったような高価な酒瓶。
「……ひどいな」
いつの間にか背後に立っていたカミルが、山積みになったゴミを見て呆れ果てたように呟いた。
手には湯気を立てるパンとミルクの盆を持っている。
「これ、全部あの勇者の私物?フィノちゃん、君よくこんなの溜め込んでたね。重くなかった?」
「いえ、空間の中に入っちゃえば重さは感じないんです。でも……中身がぐちゃぐちゃだと、少しだけお腹が痛くなるというか、もやもやします」
「それは一種の消化不良みたいなものかな。よし、そのゴミは俺が処分しといてあげる。フィノちゃんはまずこれ食べて」
差し出された朝食は、素朴だが質の良いものだった。
白パンの柔らかな弾力と、新鮮なミルクの甘み。
フィノは一口ごとに、自分が「物」ではなく「生き物」として扱われている実感を噛み締める。
食後、フィノはカミルに案内されて、騎士団の備品倉庫へと向かった。
そこは、ウォルターの厳格な性格とは裏腹に、驚くほど混沌とした空間だった。
「ひゃあ……すごい」
「あはは、笑ってくれよ。遠征から戻るたびに、みんな疲れて適当に放り込むからさ。どこに何があるか、団長以外誰も把握してないんだ」
棚から溢れ出した毛布、床に転がる錆びた鉄鍋、絡まり合ったロープ。
整理整頓を本能とするフィノにとって、それは放っておけない光景だった。
「……片付けても、いいですか?」
「えっ? いいけど、これ一人じゃ何日かかるか――」
カミルの言葉が終わる前に、フィノが動いた。
フィノが大きく両手を広げ、倉庫の空間をなぞるように歩く。
「収納(ストック)!」
フィノの体が淡い光に包まれた。
次の瞬間、床に散らばっていた雑多な荷物が、まるで吸い込まれるようにフィノのリュック、もとい「体内空間」へと消えていく。
「えええええ!?」
「えーと、消耗品は奥の棚に。重い調理器具は下の方へ。……よいしょ」
フィノが再び手をかざすと、今度は整理された状態で、荷物が整然と棚に並べ直されていく。
わずか十分足らず。
ゴミ一つ落ちていない、鏡のように磨き上げられた倉庫がそこにあった。
「完、成……です」
「……君、すごいよ!これ、魔法師を雇うよりずっと効率的だ。団長ー!団長、見てください!」
カミルの呼び声に応えて現れたウォルターは、整いすぎた倉庫を見て、しばし言葉を失った。
彼はゆっくりと歩き回り、指先で棚の埃をなぞる。
「……機能的だ」
「よかったです!お腹の中も、すっきりしました」
フィノが胸を張ると、ウォルターはフィノの頭に大きな掌をポンと置いた。
昨日よりも、ずっと温かくて力強い感触。
フィノの心臓が、少しだけ速いリズムを刻む。
しかし、喜びも束の間。
慣れない作業に集中したせいか、夕方になる頃にはフィノの体力が限界を迎えていた。
魔法生物としての魔力消費だ。
「……お腹、空いたなぁ」
割り当てられた個室で、フィノは力なく呟いた。
夕食は食べたはずなのに、中身を大規模に整理したせいで、体内が「空虚」を訴えている。
眠ろうとしても、胃のあたりがソワソワして落ち着かない。
こっそり調理場へ行けば、何か余り物があるだろうか。
フィノは暗い廊下を忍び足で進み、調理場へと向かった。
すると、扉の隙間から、柔らかな光とパチパチという音が漏れている。
(あれ?誰かいるのかな)
そっと中を覗き込むと、そこには意外な人物の背中があった。
昼間、威風堂々と騎士たちを率いていたウォルターだ。
彼は甲冑を脱ぎ、白いシャツの袖を逞しい腕まで捲り上げている。
大きな手が、繊細な手つきでナイフを動かし、林檎の皮を剥いていく。
フライパンの上では、バターと蜂蜜が黄金色に溶け、甘い香りを振り撒いていた。
「……誰だ」
振り返りもせず、ウォルターが低く問う。
フィノはビクリと肩を揺らし、隠れきれずに姿を現した。
「ご、ごめんなさい!あの、ちょっとお腹が空いちゃって……」
「…………」
ウォルターは無言でフィノを凝視した。
バレてしまった。怒られる、と思ってフィノが縮こまっていると。
「……座れ」
促されたのは、調理場の隅にある小さな木の椅子。
ウォルターは手際よく、熱々のフライパンから林檎のソテーを皿に移し、フィノの前に差し出した。
とろりと溶けたシナモンシュガーが、食欲を猛烈に刺激する。
「これ、団長さんが作ったんですか?」
「……趣味だ。カミルたちには言うな」
「はふっ、おいひい……!」
口に入れた瞬間、林檎の酸味とバターのコクが弾けた。
ウォルターは自分の分を用意することもなく、夢中で食べるフィノを腕組みして眺めている。
その目は、怖いけれど、どこか慈しむような光を湛えていた。
「お前の『箱』は、空っぽになりやすいのか」
「あ……はい。収納の整理をしたり、魔法を使うと、すごくお腹が減るんです。前の主さんは『燃費が悪い』って怒ってましたけど……」
「そうか」
ウォルターは短く応じると、棚から小瓶を取り出し、フィノの前に置いた。
中には、彼が手作りしたと思われる、琥珀色のドライフルーツが詰まっている。
「これを『収納』しておけ。腹が減ったら、いつでも中から出して食え」
「えっ、いいんですか?これ、すごく手間がかかってるのに」
「……お前の箱を空にするな。それが、今の持ち主としての命令だ」
不器用な、けれど何よりも温かい言葉。
フィノは小瓶を大切に抱き抱え、自分の体内空間の一番「特等席」にそれを仕舞い込んだ。
「ありがとうございます、ウォルターさん!」
満面の笑みを向けられたウォルターは、咳払いを一つ。
そして、照れ隠しのように強引にフィノの背中を押して、調理場から追い出した。
夜の静寂の中、フィノは自分の胸のあたりをそっと撫でる。
そこには今、世界で一番甘くて優しい「宝物」が詰まっていた。
二人の距離は、まだ触れ合うほどではない。
けれど、フィノの真っさらな空間には、少しずつ、ウォルターの彩りが増え始めていた。
フィノは毛布を顎まで引き上げ、瞬きを繰り返す。
鼻をくすぐるのは、昨日嗅いだマントと同じ、革と乾燥させたハーブの匂い。
(……夢じゃ、なかったんだ)
勇者パーティーを追い出され、雨の中で凍え死ぬのを待つだけだった昨日。
自分を「箱」としてではなく「子供」と呼び、大きな手で抱き上げてくれた黒い甲冑の男。
「起きたか、箱」
低い声が降ってきて、フィノは跳ねるように起き上がった。
部屋の隅、執務机に座って書類を検分していたウォルターが、冷徹とも取れる灰色の瞳をこちらに向けている。
その顔は相変わらず険しく、眉間の皺は深い。
「おはようございます、ええと……団長さん」
「ウォルターでいい。……体調はどうだ」
「はい、とっても元気です。昨日のスープが、まだお腹の中でぽかぽかしてます」
フィノが笑顔で答えると、ウォルターはふい、と視線を書類に戻した。
耳の先端がわずかに赤くなっているようにも見えたが、影のせいだろうか。
「カミルが朝食を持ってくる。食ったら、お前の『中身』を整理しろ。……昨日の雨で、私物が湿っているはずだ」
「あ!そうでした。ええと、エリック……前の主さんの荷物がまだ入ったままで」
フィノは自分のリュックを引き寄せ、その「入り口」に手を伸ばす。
フィノの体内空間は、彼の意志一つで出し入れが可能だ。
リュックの口はただの目印に過ぎない。
フィノが意識を集中させると、空間の中から「いらなくなったもの」が次々と吐き出されていった。
泥のついたスペアの靴、穴の空いた靴下、使いかけの砥石、そして勇者の傲慢さが詰まったような高価な酒瓶。
「……ひどいな」
いつの間にか背後に立っていたカミルが、山積みになったゴミを見て呆れ果てたように呟いた。
手には湯気を立てるパンとミルクの盆を持っている。
「これ、全部あの勇者の私物?フィノちゃん、君よくこんなの溜め込んでたね。重くなかった?」
「いえ、空間の中に入っちゃえば重さは感じないんです。でも……中身がぐちゃぐちゃだと、少しだけお腹が痛くなるというか、もやもやします」
「それは一種の消化不良みたいなものかな。よし、そのゴミは俺が処分しといてあげる。フィノちゃんはまずこれ食べて」
差し出された朝食は、素朴だが質の良いものだった。
白パンの柔らかな弾力と、新鮮なミルクの甘み。
フィノは一口ごとに、自分が「物」ではなく「生き物」として扱われている実感を噛み締める。
食後、フィノはカミルに案内されて、騎士団の備品倉庫へと向かった。
そこは、ウォルターの厳格な性格とは裏腹に、驚くほど混沌とした空間だった。
「ひゃあ……すごい」
「あはは、笑ってくれよ。遠征から戻るたびに、みんな疲れて適当に放り込むからさ。どこに何があるか、団長以外誰も把握してないんだ」
棚から溢れ出した毛布、床に転がる錆びた鉄鍋、絡まり合ったロープ。
整理整頓を本能とするフィノにとって、それは放っておけない光景だった。
「……片付けても、いいですか?」
「えっ? いいけど、これ一人じゃ何日かかるか――」
カミルの言葉が終わる前に、フィノが動いた。
フィノが大きく両手を広げ、倉庫の空間をなぞるように歩く。
「収納(ストック)!」
フィノの体が淡い光に包まれた。
次の瞬間、床に散らばっていた雑多な荷物が、まるで吸い込まれるようにフィノのリュック、もとい「体内空間」へと消えていく。
「えええええ!?」
「えーと、消耗品は奥の棚に。重い調理器具は下の方へ。……よいしょ」
フィノが再び手をかざすと、今度は整理された状態で、荷物が整然と棚に並べ直されていく。
わずか十分足らず。
ゴミ一つ落ちていない、鏡のように磨き上げられた倉庫がそこにあった。
「完、成……です」
「……君、すごいよ!これ、魔法師を雇うよりずっと効率的だ。団長ー!団長、見てください!」
カミルの呼び声に応えて現れたウォルターは、整いすぎた倉庫を見て、しばし言葉を失った。
彼はゆっくりと歩き回り、指先で棚の埃をなぞる。
「……機能的だ」
「よかったです!お腹の中も、すっきりしました」
フィノが胸を張ると、ウォルターはフィノの頭に大きな掌をポンと置いた。
昨日よりも、ずっと温かくて力強い感触。
フィノの心臓が、少しだけ速いリズムを刻む。
しかし、喜びも束の間。
慣れない作業に集中したせいか、夕方になる頃にはフィノの体力が限界を迎えていた。
魔法生物としての魔力消費だ。
「……お腹、空いたなぁ」
割り当てられた個室で、フィノは力なく呟いた。
夕食は食べたはずなのに、中身を大規模に整理したせいで、体内が「空虚」を訴えている。
眠ろうとしても、胃のあたりがソワソワして落ち着かない。
こっそり調理場へ行けば、何か余り物があるだろうか。
フィノは暗い廊下を忍び足で進み、調理場へと向かった。
すると、扉の隙間から、柔らかな光とパチパチという音が漏れている。
(あれ?誰かいるのかな)
そっと中を覗き込むと、そこには意外な人物の背中があった。
昼間、威風堂々と騎士たちを率いていたウォルターだ。
彼は甲冑を脱ぎ、白いシャツの袖を逞しい腕まで捲り上げている。
大きな手が、繊細な手つきでナイフを動かし、林檎の皮を剥いていく。
フライパンの上では、バターと蜂蜜が黄金色に溶け、甘い香りを振り撒いていた。
「……誰だ」
振り返りもせず、ウォルターが低く問う。
フィノはビクリと肩を揺らし、隠れきれずに姿を現した。
「ご、ごめんなさい!あの、ちょっとお腹が空いちゃって……」
「…………」
ウォルターは無言でフィノを凝視した。
バレてしまった。怒られる、と思ってフィノが縮こまっていると。
「……座れ」
促されたのは、調理場の隅にある小さな木の椅子。
ウォルターは手際よく、熱々のフライパンから林檎のソテーを皿に移し、フィノの前に差し出した。
とろりと溶けたシナモンシュガーが、食欲を猛烈に刺激する。
「これ、団長さんが作ったんですか?」
「……趣味だ。カミルたちには言うな」
「はふっ、おいひい……!」
口に入れた瞬間、林檎の酸味とバターのコクが弾けた。
ウォルターは自分の分を用意することもなく、夢中で食べるフィノを腕組みして眺めている。
その目は、怖いけれど、どこか慈しむような光を湛えていた。
「お前の『箱』は、空っぽになりやすいのか」
「あ……はい。収納の整理をしたり、魔法を使うと、すごくお腹が減るんです。前の主さんは『燃費が悪い』って怒ってましたけど……」
「そうか」
ウォルターは短く応じると、棚から小瓶を取り出し、フィノの前に置いた。
中には、彼が手作りしたと思われる、琥珀色のドライフルーツが詰まっている。
「これを『収納』しておけ。腹が減ったら、いつでも中から出して食え」
「えっ、いいんですか?これ、すごく手間がかかってるのに」
「……お前の箱を空にするな。それが、今の持ち主としての命令だ」
不器用な、けれど何よりも温かい言葉。
フィノは小瓶を大切に抱き抱え、自分の体内空間の一番「特等席」にそれを仕舞い込んだ。
「ありがとうございます、ウォルターさん!」
満面の笑みを向けられたウォルターは、咳払いを一つ。
そして、照れ隠しのように強引にフィノの背中を押して、調理場から追い出した。
夜の静寂の中、フィノは自分の胸のあたりをそっと撫でる。
そこには今、世界で一番甘くて優しい「宝物」が詰まっていた。
二人の距離は、まだ触れ合うほどではない。
けれど、フィノの真っさらな空間には、少しずつ、ウォルターの彩りが増え始めていた。
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