聖獣のお気に召し!〜追放された最弱治癒師はもふもふの聖域で冷徹騎士団長に全力で甘やかされる〜

たら昆布

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9話

 聖域の静寂を破ったのは、華美な装飾が施された軍靴の音だった。
 ジークヴァルトがリヒトの傍らで静かな時間を過ごしていたその時、管理棟の扉が遠慮もなく押し開けられた。現れたのは、レムリア公国の特使、カスティール伯爵である。

「おやおや、これは失礼。帝国最強の騎士団長殿が、このような獣の臭いのする小屋で、子供の寝顔を眺めておられるとは。意外なご趣味をお持ちですな」
 カスティールの言葉には、隠しきれない棘と傲慢さが混じっていた。
 ジークヴァルトは音もなく立ち上がり、リヒトを背に隠すように一歩前へ出た。その黄金の瞳には、先ほどまでの穏やかさは微塵もなく、氷のような鋭い殺気が宿っている。

「……許可なく立ち入るとは、レムリアの礼儀作法はどうなっている。伯爵、ここには監視対象がいる。貴様の命の保証はできんぞ」
 ジークヴァルトの低く威圧的な声に、カスティールは一瞬たじろいだが、すぐに薄笑いを浮かべて後ろを指差した。
「我が国がここに参ったのは、単なる外交のためではありません。……この子の救済を求めてのことです」

 彼の部下が運び込んできたのは、重厚な檻、ではなく、ふかふかのクッションが敷かれた籠だった。
 その中にいたのは、一匹の小さな子狐――「星天狐(せいてんこ)」だった。本来なら夜空を閉じ込めたような深い紺色の毛並みを持つはずの聖獣だが、今のその体は見る影もなく、毛は至る所で抜け落ち、皮膚は乾燥してひび割れている。

「っ……」
 背後で目を覚ましていたリヒトが、息を呑んで駆け寄った。
「そんな……ひどい。魔力が、内側から悲鳴をあげています」
 リヒトの瞳には、ジークヴァルトへの恐怖も、使者への警戒もなかった。ただ、目の前の小さな命が受けている苦痛への、深い悲しみだけが溢れていた。

「レムリア公国では、この子を国の象徴として祀ってきましたが、一ヶ月ほど前から急にこの有様でしてな。帝国の『奇跡の癒やし手』なら、なんとかできるのではと思い、連れて参りました」
 カスティールは、リヒトの反応を見て勝ち誇ったように言った。もしリヒトがこの聖獣を救えば、それを口実に彼を「聖獣の主」として本国へ招き入れる算段だ。

 ジークヴァルトは、カスティールの下劣な意図をすぐに見抜いた。
「リヒト、触れるな。それは他国の管轄だ。責任が取れん」
「でも、ジークヴァルト様! このままじゃ、この子……魔力欠乏で消えてしまいます!」
 リヒトはジークヴァルトの制止を振り切り、震える手で子狐を抱き上げた。

 その瞬間、ジークヴァルトの胸の奥で、経験したことのない激しい感情が渦巻いた。
 自分以外の者のために、リヒトが必死になることへの、焦燥。
 そして、自分ですら慎重に触れていたリヒトの手が、見ず知らずの他国が持ち込んだ獣を、真っ先に慈しんでいることへの……嫉妬。

(……私は、何を考えている)
 ジークヴァルトは、自分の醜い独占欲に自ら戦慄した。だが、リヒトの必死な横顔から目を離すことができない。

「大丈夫だよ、怖くないからね。……『洗浄』、そして『深層調律』」
 リヒトの両手から、これまでにないほど強く、清らかな光が溢れ出した。
 子狐の体にこびりついていた、過剰な信仰による「澱んだ祈り」という名の魔力汚染が、リヒトの光によって一つずつ剥がれ落ちていく。

 ――さらり、さらり。
 リヒトが撫でるたびに、子狐の皮膚に潤いが戻り、抜けていた場所から瑞々しい紺色の産毛が芽吹き始めた。
 それはまさに、神殿が「無能」と切り捨てたリヒトにしかできない、繊細な魂の洗濯だった。

「ぴゃぅ……っ」
 子狐が弱々しく声を上げ、リヒトの胸元に顔を埋める。
 リヒトは安堵して微笑み、そのまま子狐を愛おしそうに抱きしめた。

「……素晴らしい! まさかこれほどとは! さあ、リヒト殿。我が国へ来てください。あなたこそ、レムリアが求める真の聖者だ!」
 カスティールがリヒトの手を掴もうと、ずいと身を乗り出した。

 パチン、と。
 ジークヴァルトの中で、何かが弾ける音がした。

 次の瞬間、カスティールの喉元には、鞘に収まったままのジークヴァルトの剣が突きつけられていた。
「……その汚い手で、私の管理対象に触れるな」
 ジークヴァルトの瞳は、もはや黄金ではなく、闇を孕んだ灼熱の色をしていた。
「この少年は、帝国の、そして私の騎士団が保護している。レムリアの勝手は許さん。……この獣の治療が終われば、貴様らは即刻立ち去れ」

「な……っ、何を! これは国際問題になりますぞ!」
「国際問題? 結構だ。宣戦布告と受け取っても構わん。だが、リヒトは渡さない」

 ジークヴァルトの放つ凄まじい覇気に、カスティールは腰を抜かして座り込んだ。
 リヒトは、そんな二人を呆然と見つめていた。
 ジークヴァルトが、これほどまでに感情を露わにしたのを見たのは、初めてだったからだ。

 抱えられた子狐が、ジークヴァルトの殺気に怯えてリヒトの腕の中で震える。
 リヒトは慌ててジークヴァルトの袖を引いた。
「ジークヴァルト様……! 怖いです、やめてください」

「…………」
 リヒトの声に、ジークヴァルトはハッと我に返った。
 突きつけていた剣を下げ、彼はリヒトの腕の中にいる「新たなもふもふ」を、苦々しげに、そして酷く悲しげな目で見つめる。

「……すまない。だが、リヒト。お前は……」
 お前は、私のものだ。
 そう言いかけて、ジークヴァルトは言葉を飲み込んだ。まだそれを口にする資格も、勇気も、彼には備わっていない。

 聖域に満ちたのは、救われた命の息吹と、狂おしいほどの沈黙。
 ジークヴァルトの恋心は、もう「もふもふへの興味」という隠れ蓑では、隠しきれなくなっていた。
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