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12話
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湖畔での穏やかな誕生日の余韻に浸りながら、一行は夕暮れ時の駐屯地へと帰還した。
リヒトの首元にはジークヴァルトから贈られた碧い魔石が輝き、その手には帰り道に見つけた「綺麗な光る石」が大切に握られていた。
「今日の視察はこれで終了だ。リヒト、濡れた体はしっかり温めてから休め。いいな」
ジークヴァルトは馬から降りると、リヒトの頭を軽く撫でてから執務室へと向かった。その足取りは、溜まりに溜まった書類仕事への憂鬱さよりも、リヒトと過ごした時間の充足感でどこか軽やかだった。
しかし、その夜。駐屯地は予期せぬ事態に見舞われることとなる。
リヒトが管理棟で聖獣たちと眠りに就こうとしていた時、彼が棚に置いた「光る石」が、規則的なリズムで淡い黄金色の光を放ち始めたのだ。
「……ん、なんだろう。石が歌ってるみたい」
リヒトが寝ぼけ眼でその石に触れた瞬間、チリン、という澄んだ鈴の音が聖域全体に響き渡った。
直後、駐屯地の外壁を揺るがすほどの重低音が響き、騎士たちの怒号が飛び交った。
「敵襲か!?」「いや、魔力反応が巨大すぎる! 門の前に……何かいるぞ!」
ジークヴァルトは寝所から飛び起き、すぐさま現場へと駆けつけた。門の前で彼が目にしたのは、体長五メートルはあろうかという、黄金の毛並みを持つ巨大な山猫――伝説の聖獣『岩鉄猫』だった。
「岩鉄猫だと……? なぜこんな人里に、山の主が降りてくる」
ジークヴァルトが剣を抜きかけたその時、管理棟からリヒトが慌てて走り寄ってきた。
「待ってください! その子は戦いに来たんじゃないんです!」
「リヒト! 下がっていろ、そいつの一撃は城壁をも砕く!」
ジークヴァルトの声も届かず、リヒトは巨大な山猫の足元まで迷わず進んでいった。すると、猛々しく咆哮を上げていた山猫は、リヒトの姿を認めるなり、まるで子猫のように「にゃおん」と甘えた声を上げたのである。
山猫は巨大な前足でリヒトをそっと引き寄せると、そのまま彼を包み込むように丸くなった。
「あはは、大きいね。この石の音が聞こえたの? ごめんね、勝手に鳴らしちゃって」
リヒトが山猫の黄金の毛並みに手を埋めると、一帯に溜まっていた緊張感が一気に霧散した。リヒトが持ち帰った石は、古代の聖獣たちが仲間を呼ぶために使う『招集の鈴石』だったのだ。
ジークヴァルトは、抜いた剣を虚しく鞘に収め、深い溜息をついた。
「……リヒト。貴様という奴は、視察の帰り道ですら伝説級の聖獣を釣ってくるとはな」
「すみません、ジークヴァルト様……。でも、この子、背中の毛が少し絡まっていて痛そうなんです。整えてあげてもいいですか?」
リヒトは、ジークヴァルトが「監視」や「軍事規律」について小言を言うだろうと身構えていた。しかし、ジークヴァルトはしばらくの間、リヒトと巨大なもふもふの塊を交互に見つめた後、観念したように自分の髪をかき上げた。
「……夜通しやるつもりか。私が手伝おう」
「えっ!? ジークヴァルト様が、ですか?」
「言ったはずだ。これは『視察』と『管理』の一環だ。これほど巨大な聖獣を放置して、暴れ出されては困るからな」
こうして、真夜中の駐屯地で、前代未聞の「巨大もふもふブラッシング」が始まった。
ジークヴァルトはリヒトに指示されるまま、巨大な山猫の背中に梯子をかけ、リヒトが届かない高い場所の毛を解いていく。
「団長、そこです! もっと優しく、円を描くように……」
「……こうか?」
「はい、上手です! さすがジークヴァルト様!」
リヒトに褒められ、ジークヴァルトは顔を背けたが、その口元はわずかに緩んでいた。
松明の光に照らされながら、共に汗を流し、巨大な聖獣を癒やしていく。時折、手が触れそうになるたびに、二人の間に湖畔で感じたあの甘い緊張感が走る。
作業が終わる頃には、東の空が白み始めていた。
黄金の山猫は、宝石のように美しく整えられた自分の毛並みに満足したのか、リヒトの頬を一舐めして(リヒトはよろけてジークヴァルトの胸の中に飛び込んだ)、軽やかな足取りで山へと帰っていった。
「……ふぅ。疲れましたね、ジークヴァルト様」
リヒトはジークヴァルトの腕の中で、心地よい疲労感に目を細めた。
「……全くだ。誕生日の翌日から、とんだ重労働をさせられたな」
ジークヴァルトはそう言いながらも、腕の中にあるリヒトの温もりを手放そうとはしなかった。
「でも、ジークヴァルト様のおかげで、あの子も喜んでくれました。一緒に頑張ってくれて、すごく嬉しかったです」
見上げれば、リヒトの碧い瞳が信頼と親愛の色で満たされている。
ジークヴァルトは、その瞳に見つめられるだけで、徹夜の疲れなどどこかへ吹き飛んでしまう自分に呆れていた。
「……リヒト、お前は本当に……人を、いや獣を狂わせる天才だな」
ジークヴァルトは、リヒトの額にこびりついた山猫の抜け毛を優しく取ってやりながら、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
二人の距離は、事件が起きるたびに、そしてもふもふが増えるたびに、少しずつ、けれど確実に縮まっていく。
駐屯地に訪れた新しい朝は、昨日よりもずっと柔らかな光に包まれていた。
リヒトの首元にはジークヴァルトから贈られた碧い魔石が輝き、その手には帰り道に見つけた「綺麗な光る石」が大切に握られていた。
「今日の視察はこれで終了だ。リヒト、濡れた体はしっかり温めてから休め。いいな」
ジークヴァルトは馬から降りると、リヒトの頭を軽く撫でてから執務室へと向かった。その足取りは、溜まりに溜まった書類仕事への憂鬱さよりも、リヒトと過ごした時間の充足感でどこか軽やかだった。
しかし、その夜。駐屯地は予期せぬ事態に見舞われることとなる。
リヒトが管理棟で聖獣たちと眠りに就こうとしていた時、彼が棚に置いた「光る石」が、規則的なリズムで淡い黄金色の光を放ち始めたのだ。
「……ん、なんだろう。石が歌ってるみたい」
リヒトが寝ぼけ眼でその石に触れた瞬間、チリン、という澄んだ鈴の音が聖域全体に響き渡った。
直後、駐屯地の外壁を揺るがすほどの重低音が響き、騎士たちの怒号が飛び交った。
「敵襲か!?」「いや、魔力反応が巨大すぎる! 門の前に……何かいるぞ!」
ジークヴァルトは寝所から飛び起き、すぐさま現場へと駆けつけた。門の前で彼が目にしたのは、体長五メートルはあろうかという、黄金の毛並みを持つ巨大な山猫――伝説の聖獣『岩鉄猫』だった。
「岩鉄猫だと……? なぜこんな人里に、山の主が降りてくる」
ジークヴァルトが剣を抜きかけたその時、管理棟からリヒトが慌てて走り寄ってきた。
「待ってください! その子は戦いに来たんじゃないんです!」
「リヒト! 下がっていろ、そいつの一撃は城壁をも砕く!」
ジークヴァルトの声も届かず、リヒトは巨大な山猫の足元まで迷わず進んでいった。すると、猛々しく咆哮を上げていた山猫は、リヒトの姿を認めるなり、まるで子猫のように「にゃおん」と甘えた声を上げたのである。
山猫は巨大な前足でリヒトをそっと引き寄せると、そのまま彼を包み込むように丸くなった。
「あはは、大きいね。この石の音が聞こえたの? ごめんね、勝手に鳴らしちゃって」
リヒトが山猫の黄金の毛並みに手を埋めると、一帯に溜まっていた緊張感が一気に霧散した。リヒトが持ち帰った石は、古代の聖獣たちが仲間を呼ぶために使う『招集の鈴石』だったのだ。
ジークヴァルトは、抜いた剣を虚しく鞘に収め、深い溜息をついた。
「……リヒト。貴様という奴は、視察の帰り道ですら伝説級の聖獣を釣ってくるとはな」
「すみません、ジークヴァルト様……。でも、この子、背中の毛が少し絡まっていて痛そうなんです。整えてあげてもいいですか?」
リヒトは、ジークヴァルトが「監視」や「軍事規律」について小言を言うだろうと身構えていた。しかし、ジークヴァルトはしばらくの間、リヒトと巨大なもふもふの塊を交互に見つめた後、観念したように自分の髪をかき上げた。
「……夜通しやるつもりか。私が手伝おう」
「えっ!? ジークヴァルト様が、ですか?」
「言ったはずだ。これは『視察』と『管理』の一環だ。これほど巨大な聖獣を放置して、暴れ出されては困るからな」
こうして、真夜中の駐屯地で、前代未聞の「巨大もふもふブラッシング」が始まった。
ジークヴァルトはリヒトに指示されるまま、巨大な山猫の背中に梯子をかけ、リヒトが届かない高い場所の毛を解いていく。
「団長、そこです! もっと優しく、円を描くように……」
「……こうか?」
「はい、上手です! さすがジークヴァルト様!」
リヒトに褒められ、ジークヴァルトは顔を背けたが、その口元はわずかに緩んでいた。
松明の光に照らされながら、共に汗を流し、巨大な聖獣を癒やしていく。時折、手が触れそうになるたびに、二人の間に湖畔で感じたあの甘い緊張感が走る。
作業が終わる頃には、東の空が白み始めていた。
黄金の山猫は、宝石のように美しく整えられた自分の毛並みに満足したのか、リヒトの頬を一舐めして(リヒトはよろけてジークヴァルトの胸の中に飛び込んだ)、軽やかな足取りで山へと帰っていった。
「……ふぅ。疲れましたね、ジークヴァルト様」
リヒトはジークヴァルトの腕の中で、心地よい疲労感に目を細めた。
「……全くだ。誕生日の翌日から、とんだ重労働をさせられたな」
ジークヴァルトはそう言いながらも、腕の中にあるリヒトの温もりを手放そうとはしなかった。
「でも、ジークヴァルト様のおかげで、あの子も喜んでくれました。一緒に頑張ってくれて、すごく嬉しかったです」
見上げれば、リヒトの碧い瞳が信頼と親愛の色で満たされている。
ジークヴァルトは、その瞳に見つめられるだけで、徹夜の疲れなどどこかへ吹き飛んでしまう自分に呆れていた。
「……リヒト、お前は本当に……人を、いや獣を狂わせる天才だな」
ジークヴァルトは、リヒトの額にこびりついた山猫の抜け毛を優しく取ってやりながら、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
二人の距離は、事件が起きるたびに、そしてもふもふが増えるたびに、少しずつ、けれど確実に縮まっていく。
駐屯地に訪れた新しい朝は、昨日よりもずっと柔らかな光に包まれていた。
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