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20話
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リヒトの「風邪疑惑」という名の過保護な看病から数日。駐屯地の正門に、これまでにない威圧感を放つ巨大な聖歌隊の行列が現れた。
中央に座すのは、神殿の頂点、大司教グロリアス。彼はリヒトを「無能」として放逐した決定を下した、いわばリヒトの過去における絶望の象徴だった。
「リヒト……。やはりここにいたのですね」
大司教の声は静かだが、周囲の空気を重く押し潰すような圧があった。
「神殿は過ちを認めましょう。あなたの力は、単なる治癒ではない。失われた古代の『調律聖力』……すなわち、この世界の理(ことわり)である魔獣や聖獣の暴走を鎮め、共生を促すための鍵だったのです」
大司教は、リヒトに跪くように両手を広げた。
「さあ、王都へ。あなたが戻れば、帝国の全ての魔獣を従え、地上に神の楽園を築くことができるのです。それは、一騎士団の世話係で終わるような器ではありません」
リヒトは震える足で、大司教の前に一歩踏み出した。かつての自分なら、その威光に屈していただろう。だが、今のリヒトの背中には、彼を信じ、愛し、そして共に「もふもふ」を分かち合ってきた仲間たちがいた。
「……大司教様。僕は、楽園を築くなんて大きなことはできません」
リヒトは、胸元の碧いペンダントを握りしめた。
「僕はただ、目の前で傷ついた子がいたら、その毛並みを整えてあげたい。それだけでいいんです。そして、それを一緒に『綺麗になったね』って笑ってくれる人がいる……。僕にとっての楽園は、もうここにあるんです」
「愚かな……。ならば、力ずくでも連れ戻すまで。神の資産を、一騎士に独占させるわけにはいかん!」
大司教が杖を振り上げ、神聖な魔力の檻をリヒトに放とうとした、その瞬間。
「――我が聖域で、何をしている」
爆風と共に現れたのは、漆黒の魔力を纏ったジークヴァルトだった。その背後には、牙を剥くフェンリル、少年の姿で鋭い瞳を光らせるコン、そして空を覆うほどの羽ばたきを見せるピピ。
ジークヴァルトはリヒトの前に立ち、大司教の杖を剣の鞘で冷徹に弾き飛ばした。
「グロリアス。貴様は一つ、大きな勘違いをしている」
ジークヴァルトの黄金の瞳が、これまでにないほど深く、そして確かな光を宿す。
「リヒトは『神の資産』ではない。私の、そしてこの駐屯地全ての命にとっての、たった一人の大切な『家族』だ」
「家族だと……? 騎士団長ともあろう者が、そのような私情で……!」
「私情こそが、世界を守る最強の盾だ。……リヒトを傷つける者は、例え神であろうと私が斬る」
ジークヴァルトが放つ圧倒的な「守護」の意志。それに呼応するように、駐屯地中の聖獣たちが一斉に咆哮を上げた。その声は、神殿の重苦しい空気を一瞬で霧散させ、代わりに暖かな、リヒト特有の「癒やしの風」を呼び込んだ。
大司教はその光景に圧倒され、震える手で杖を拾い上げた。
「……獣たちが、これほどまでに一人の人間に……。くっ、今日のところは引き上げましょう。だが、覚えておくがいい。その力はいつか――」
負け惜しみを言いながら去っていく神殿の一行。リヒトは、去りゆく彼らの背中を見送りながら、静かに、けれど晴れやかな顔で息を吐いた。
「……終わったんですね」
「ああ。もうお前を縛るものは何もない」
ジークヴァルトは剣を収め、ゆっくりとリヒトに向き直った。
リヒトは、感極まってジークヴァルトの胸に飛び込んだ。
「ジークヴァルト様……! ありがとうございます。僕、ずっとここにいてもいいんですよね?」
「……当たり前だ。お前がいなければ、私の髪を誰が整えるというのだ」
ジークヴァルトは、少しだけ照れくさそうに、けれどリヒトの体を壊れ物を扱うように、力強く抱き締め返した。
「リヒト……。改めて言わせてくれ。私はお前を、一人の人間として愛している。この先何があっても、お前の手を取ることは辞めない」
リヒトの碧い瞳に、嬉し涙が溢れる。
「……はい! 僕も、ジークヴァルト様が、世界で一番大好きです」
二人の周囲では、フェンリルが満足そうに体を擦り寄せ、コンとピピが祝福のダンスを踊っている。
かつて孤独だった少年は、最強の騎士と最高のもふもふたちに囲まれ、自分だけの「聖域」を手に入れたのだ。
帝国の辺境に建つこの駐屯地には、今日も優しい光が降り注ぐ。
そこには、一人の無自覚な癒やし手と、彼を溺愛する過保護な騎士団長の、どこまでも甘く穏やかな日常が、これからもずっと続いていくのであった。
(完)
中央に座すのは、神殿の頂点、大司教グロリアス。彼はリヒトを「無能」として放逐した決定を下した、いわばリヒトの過去における絶望の象徴だった。
「リヒト……。やはりここにいたのですね」
大司教の声は静かだが、周囲の空気を重く押し潰すような圧があった。
「神殿は過ちを認めましょう。あなたの力は、単なる治癒ではない。失われた古代の『調律聖力』……すなわち、この世界の理(ことわり)である魔獣や聖獣の暴走を鎮め、共生を促すための鍵だったのです」
大司教は、リヒトに跪くように両手を広げた。
「さあ、王都へ。あなたが戻れば、帝国の全ての魔獣を従え、地上に神の楽園を築くことができるのです。それは、一騎士団の世話係で終わるような器ではありません」
リヒトは震える足で、大司教の前に一歩踏み出した。かつての自分なら、その威光に屈していただろう。だが、今のリヒトの背中には、彼を信じ、愛し、そして共に「もふもふ」を分かち合ってきた仲間たちがいた。
「……大司教様。僕は、楽園を築くなんて大きなことはできません」
リヒトは、胸元の碧いペンダントを握りしめた。
「僕はただ、目の前で傷ついた子がいたら、その毛並みを整えてあげたい。それだけでいいんです。そして、それを一緒に『綺麗になったね』って笑ってくれる人がいる……。僕にとっての楽園は、もうここにあるんです」
「愚かな……。ならば、力ずくでも連れ戻すまで。神の資産を、一騎士に独占させるわけにはいかん!」
大司教が杖を振り上げ、神聖な魔力の檻をリヒトに放とうとした、その瞬間。
「――我が聖域で、何をしている」
爆風と共に現れたのは、漆黒の魔力を纏ったジークヴァルトだった。その背後には、牙を剥くフェンリル、少年の姿で鋭い瞳を光らせるコン、そして空を覆うほどの羽ばたきを見せるピピ。
ジークヴァルトはリヒトの前に立ち、大司教の杖を剣の鞘で冷徹に弾き飛ばした。
「グロリアス。貴様は一つ、大きな勘違いをしている」
ジークヴァルトの黄金の瞳が、これまでにないほど深く、そして確かな光を宿す。
「リヒトは『神の資産』ではない。私の、そしてこの駐屯地全ての命にとっての、たった一人の大切な『家族』だ」
「家族だと……? 騎士団長ともあろう者が、そのような私情で……!」
「私情こそが、世界を守る最強の盾だ。……リヒトを傷つける者は、例え神であろうと私が斬る」
ジークヴァルトが放つ圧倒的な「守護」の意志。それに呼応するように、駐屯地中の聖獣たちが一斉に咆哮を上げた。その声は、神殿の重苦しい空気を一瞬で霧散させ、代わりに暖かな、リヒト特有の「癒やしの風」を呼び込んだ。
大司教はその光景に圧倒され、震える手で杖を拾い上げた。
「……獣たちが、これほどまでに一人の人間に……。くっ、今日のところは引き上げましょう。だが、覚えておくがいい。その力はいつか――」
負け惜しみを言いながら去っていく神殿の一行。リヒトは、去りゆく彼らの背中を見送りながら、静かに、けれど晴れやかな顔で息を吐いた。
「……終わったんですね」
「ああ。もうお前を縛るものは何もない」
ジークヴァルトは剣を収め、ゆっくりとリヒトに向き直った。
リヒトは、感極まってジークヴァルトの胸に飛び込んだ。
「ジークヴァルト様……! ありがとうございます。僕、ずっとここにいてもいいんですよね?」
「……当たり前だ。お前がいなければ、私の髪を誰が整えるというのだ」
ジークヴァルトは、少しだけ照れくさそうに、けれどリヒトの体を壊れ物を扱うように、力強く抱き締め返した。
「リヒト……。改めて言わせてくれ。私はお前を、一人の人間として愛している。この先何があっても、お前の手を取ることは辞めない」
リヒトの碧い瞳に、嬉し涙が溢れる。
「……はい! 僕も、ジークヴァルト様が、世界で一番大好きです」
二人の周囲では、フェンリルが満足そうに体を擦り寄せ、コンとピピが祝福のダンスを踊っている。
かつて孤独だった少年は、最強の騎士と最高のもふもふたちに囲まれ、自分だけの「聖域」を手に入れたのだ。
帝国の辺境に建つこの駐屯地には、今日も優しい光が降り注ぐ。
そこには、一人の無自覚な癒やし手と、彼を溺愛する過保護な騎士団長の、どこまでも甘く穏やかな日常が、これからもずっと続いていくのであった。
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