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後日談8
磁力騒動によって「物理的にリヒトと引き離される」という恐怖を味わったジークヴァルトの行動は、迅速かつ過剰だった。
「リヒト。今日から管理棟の隣に、新たな『聖獣訓練施設』を併設する。そこには私の執務デスクも移動させることにした」
朝食の席で唐突に告げられた宣言に、リヒトはトーストを咥えたまま目を丸くした。
「えっ、執務デスクを? でも、そこは聖獣たちが走り回る場所ですよ? お仕事の邪魔になりませんか?」
「問題ない。お前が目の届く範囲にいない方が、よほど仕事の効率が落ちる」
ジークヴァルトは真顔で言い切り、リヒトの頬に付いたパン屑を親指で優しく拭った。その眼差しは、もはや「警護」という言葉では説明がつかないほどの熱を帯びている。
こうして完成したのが、床一面に防音と衝撃吸収の魔法が施された、世界で最も贅沢な訓練場だった。
リヒトが聖獣たちに「お座り」や「待て」を教える横で、帝国最強の騎士団長が山積みの書類を捌くという、なんとも奇妙な共同作業が始まったのである。
そんなある日の午後、リヒトがフェンリルのブラッシングを終えて一息ついていると、訓練場の隅で一人、熱心にメモを取る人物の姿があった。
それは、いつもジークヴァルトに振り回されている苦労人の副官、ハンスだった。
「あれ、ハンスさん? そんなところで何をされているんですか?」
「おっと、リヒト君。……いや、実はね、君のブラッシングの技術を、騎士団の正式なカリキュラムに組み込めないかと思って研究していたんだよ」
ハンスの手元のノートには、リヒトが以前教えた「毛流れに沿った魔力導入法」や「耳の裏のツボ押し」が、軍事機密かと思うほど緻密に図解されていた。
「もふもふの健康管理は、騎士団の機動力に直結するからね。……それにほら、見てごらん。あの不器用な男を」
ハンスが視線を向けた先では、ジークヴァルトがペンを置き、足元で眠る月影猫を、バレないようにこっそりと撫でようとしていた。
ジークヴァルトは、リヒトがこちらを見ていないことを確認してから、大きな手を猫の背中にそっと置く。だが、指先の力が強すぎたのか、猫は「にゃっ」と鳴いて逃げ出してしまった。
「…………チッ」
舌打ちをして、寂しそうに自分の掌を見つめる団長。
「あはは、ジークヴァルト様、力んじゃダメですよ」
リヒトが笑いながら近寄り、ジークヴァルトの大きな手の上から自分の手を重ねた。
「こうやって、力を抜いて……空気を含むように、ふんわりと。やってみてください」
リヒトの柔らかな掌に包まれ、ジークヴァルトの強張っていた肩の力がふっと抜ける。
彼はリヒトに教えられるまま、今度は優しく、逃げ戻ってきた猫の喉元を掻いた。
「……にゃあ……ん」
猫が満足げに目を細めるのを見て、ジークヴァルトの瞳に、子供のような純粋な喜びが灯った。
「……できたな、リヒト」
「はい! ジークヴァルト様、とってもお上手です!」
「お前が教えてくれるなら、私は何にでもなれる気がする。……騎士団長よりも、お前専任の『もふもふ職人』の方が、私には向いているのかもしれん」
「それは困りますよ、団長! 帝国が泣きます!」
ハンスの叫びが訓練場に響き、聖獣たちが一斉に鳴き声を上げる。
リヒトは、ジークヴァルトが自分の世界を大切に想うあまり、少しずつ「もふもふへの情熱」まで共有してくれるようになったことが、たまらなく愛おしかった。
「ジークヴァルト様。お仕事が終わったら、今度はフェンリルも一緒に、皆でお昼寝しませんか?」
「ああ。……いや、その前に。リヒト、私自身の調律も忘れないでもらいたい」
ジークヴァルトはリヒトの手を引き、その指先を自分の髪へと導いた。
「今日の仕事は、これで終わりだ」
まだ午後の三時前。ハンスの「早すぎます!」という悲鳴を背中で聞き流しながら、ジークヴァルトはリヒトと共に、訓練場の奥にある「特等席」へと向かった。
新しくできた訓練場は、厳しい訓練の場所ではなく、リヒトの聖力とジークヴァルトの不器用な愛、そして聖獣たちの温もりが混じり合う、世界で一番甘い「家族の居場所」となっていた。
二人の距離は、一歩ずつ、けれど着実に、誰にも邪魔できないほど深く結ばれていくのであった。
「リヒト。今日から管理棟の隣に、新たな『聖獣訓練施設』を併設する。そこには私の執務デスクも移動させることにした」
朝食の席で唐突に告げられた宣言に、リヒトはトーストを咥えたまま目を丸くした。
「えっ、執務デスクを? でも、そこは聖獣たちが走り回る場所ですよ? お仕事の邪魔になりませんか?」
「問題ない。お前が目の届く範囲にいない方が、よほど仕事の効率が落ちる」
ジークヴァルトは真顔で言い切り、リヒトの頬に付いたパン屑を親指で優しく拭った。その眼差しは、もはや「警護」という言葉では説明がつかないほどの熱を帯びている。
こうして完成したのが、床一面に防音と衝撃吸収の魔法が施された、世界で最も贅沢な訓練場だった。
リヒトが聖獣たちに「お座り」や「待て」を教える横で、帝国最強の騎士団長が山積みの書類を捌くという、なんとも奇妙な共同作業が始まったのである。
そんなある日の午後、リヒトがフェンリルのブラッシングを終えて一息ついていると、訓練場の隅で一人、熱心にメモを取る人物の姿があった。
それは、いつもジークヴァルトに振り回されている苦労人の副官、ハンスだった。
「あれ、ハンスさん? そんなところで何をされているんですか?」
「おっと、リヒト君。……いや、実はね、君のブラッシングの技術を、騎士団の正式なカリキュラムに組み込めないかと思って研究していたんだよ」
ハンスの手元のノートには、リヒトが以前教えた「毛流れに沿った魔力導入法」や「耳の裏のツボ押し」が、軍事機密かと思うほど緻密に図解されていた。
「もふもふの健康管理は、騎士団の機動力に直結するからね。……それにほら、見てごらん。あの不器用な男を」
ハンスが視線を向けた先では、ジークヴァルトがペンを置き、足元で眠る月影猫を、バレないようにこっそりと撫でようとしていた。
ジークヴァルトは、リヒトがこちらを見ていないことを確認してから、大きな手を猫の背中にそっと置く。だが、指先の力が強すぎたのか、猫は「にゃっ」と鳴いて逃げ出してしまった。
「…………チッ」
舌打ちをして、寂しそうに自分の掌を見つめる団長。
「あはは、ジークヴァルト様、力んじゃダメですよ」
リヒトが笑いながら近寄り、ジークヴァルトの大きな手の上から自分の手を重ねた。
「こうやって、力を抜いて……空気を含むように、ふんわりと。やってみてください」
リヒトの柔らかな掌に包まれ、ジークヴァルトの強張っていた肩の力がふっと抜ける。
彼はリヒトに教えられるまま、今度は優しく、逃げ戻ってきた猫の喉元を掻いた。
「……にゃあ……ん」
猫が満足げに目を細めるのを見て、ジークヴァルトの瞳に、子供のような純粋な喜びが灯った。
「……できたな、リヒト」
「はい! ジークヴァルト様、とってもお上手です!」
「お前が教えてくれるなら、私は何にでもなれる気がする。……騎士団長よりも、お前専任の『もふもふ職人』の方が、私には向いているのかもしれん」
「それは困りますよ、団長! 帝国が泣きます!」
ハンスの叫びが訓練場に響き、聖獣たちが一斉に鳴き声を上げる。
リヒトは、ジークヴァルトが自分の世界を大切に想うあまり、少しずつ「もふもふへの情熱」まで共有してくれるようになったことが、たまらなく愛おしかった。
「ジークヴァルト様。お仕事が終わったら、今度はフェンリルも一緒に、皆でお昼寝しませんか?」
「ああ。……いや、その前に。リヒト、私自身の調律も忘れないでもらいたい」
ジークヴァルトはリヒトの手を引き、その指先を自分の髪へと導いた。
「今日の仕事は、これで終わりだ」
まだ午後の三時前。ハンスの「早すぎます!」という悲鳴を背中で聞き流しながら、ジークヴァルトはリヒトと共に、訓練場の奥にある「特等席」へと向かった。
新しくできた訓練場は、厳しい訓練の場所ではなく、リヒトの聖力とジークヴァルトの不器用な愛、そして聖獣たちの温もりが混じり合う、世界で一番甘い「家族の居場所」となっていた。
二人の距離は、一歩ずつ、けれど着実に、誰にも邪魔できないほど深く結ばれていくのであった。
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