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19話
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「……っ、ハル様。しっかり掴まっていてください」
背後でギルバートやタイガの怒号が響く中、フェンはハルを横抱きにし、窓から夜の帳へと飛び出した。
銀狼の獣人は、その俊敏さを活かした空中歩行に近い跳躍を得意とする。フェンは建物の屋根を羽のように軽く蹴り、混乱の渦中にある王宮から一気に距離を置いた。
街外れにある、古びた時計塔の最上階。
月明かりだけが差し込む静寂の中で、フェンはようやくハルを床に下ろした。
「……ふぅ。ここまで来れば、追手もすぐには来られません。……怖い思いをさせて、申し訳ありません」
フェンは膝をつき、肩で息をしながら頭を下げる。
ハルは、フェンの銀髪が激しい動きで乱れ、その頬に薄い切り傷ができていることに気づいた。闇の中で、刺客の武器を身を挺して防いでくれたのだ。
「ううん、助けてくれてありがとう、フェンくん。……あ、顔に怪我してる。じっとしてて」
「え……っ」
ハルは躊躇うことなく、フェンの両頬をそっと包み込んだ。
「伝説の癒やし香」が至近距離でフェンの肺を満たし、ハルの手のひらから溢れる柔らかな魔力が、彼の切り傷を瞬く間に塞いでいく。
「……ハル様……ダメです。俺のような、闇に生きる者に……そんなに優しくしては……」
フェンは顔を背けようとしたが、その体はハルの温もりに抗えず、小刻みに震え始めた。
この世界において、隠密という職能は、誰からもその存在を知られてはならず、誰とも深く関わってはならない。銀狼の双子として生まれたフェンは、光の中を歩く弟・カイルの影として、常に孤独の中にいた。
「フェンくん、ずっと一人で頑張ってたんだね。王宮でも、みんなの影に隠れて、俺のことを守ってくれてたんでしょ?」
「それは……任務ですから。……俺には、それしか……」
「任務じゃなくても、フェンくんはフェンくんだよ。……俺、フェンくんが側にいてくれると、すごく安心するんだ」
ハルが優しく微笑み、フェンの耳の付け根を、慈しむようにゆっくりと指先で撫でた。
その瞬間、フェンの中で張り詰めていた「隠密」としての糸が、ぷつりと切れた。
「…………っ、あ…………」
フェンはハルの膝に力なく頭を預け、獣の姿――美しい銀色の狼へと変化した。
人型の時よりもさらに剥き出しになった感情が、微かな鳴き声となって漏れる。
「……俺は……本当は、怖かった。……誰にも見られず、誰の記憶にも残らず、ただ消えていくことが。……でも、貴方の香りに触れた時、初めて『ここにいてもいい』と思えたんだ……」
銀狼の瞳から、一粒の涙が零れ、ハルの服を濡らす。
孤高を気取っていた隠密の、これが本当の姿だった。
ハルは、泣きじゃくる子供をあやすように、フェンの銀色の背中を何度も、何度も撫で続けた。
「大丈夫。俺が見てるよ。フェンくんがどこにいても、俺はフェンくんのこと、ちゃんと見つけるから」
「…………クゥン」
月明かりの下、二人の影が一つに重なる。
ハルの香りは、フェンの凍てついた心を溶かし、彼を「影」から一人の「個」へと引き戻していた。
しかし、その静寂を破るように、下層階からギルバートたちの激しい足音が近づいてくる。
「フェン!! 貴様、ハルを連れてどこへ行った! 抜け駆けは許さんぞ!」
「チッ……無粋な連中だ」
フェンは素早く人型に戻ると、ハルの唇に、自身の誓いを込めるように指先で触れた。
「ハル様。……これからは、任務としてではなく、俺の意思で貴方を守ります。……たとえ、他の誰が貴方を忘れても、俺だけは貴方の影であり続ける」
その瞳には、もはや迷いはなかった。
ハルを巡る絆は、また一つ、深く、重く、結ばれたのだった。
背後でギルバートやタイガの怒号が響く中、フェンはハルを横抱きにし、窓から夜の帳へと飛び出した。
銀狼の獣人は、その俊敏さを活かした空中歩行に近い跳躍を得意とする。フェンは建物の屋根を羽のように軽く蹴り、混乱の渦中にある王宮から一気に距離を置いた。
街外れにある、古びた時計塔の最上階。
月明かりだけが差し込む静寂の中で、フェンはようやくハルを床に下ろした。
「……ふぅ。ここまで来れば、追手もすぐには来られません。……怖い思いをさせて、申し訳ありません」
フェンは膝をつき、肩で息をしながら頭を下げる。
ハルは、フェンの銀髪が激しい動きで乱れ、その頬に薄い切り傷ができていることに気づいた。闇の中で、刺客の武器を身を挺して防いでくれたのだ。
「ううん、助けてくれてありがとう、フェンくん。……あ、顔に怪我してる。じっとしてて」
「え……っ」
ハルは躊躇うことなく、フェンの両頬をそっと包み込んだ。
「伝説の癒やし香」が至近距離でフェンの肺を満たし、ハルの手のひらから溢れる柔らかな魔力が、彼の切り傷を瞬く間に塞いでいく。
「……ハル様……ダメです。俺のような、闇に生きる者に……そんなに優しくしては……」
フェンは顔を背けようとしたが、その体はハルの温もりに抗えず、小刻みに震え始めた。
この世界において、隠密という職能は、誰からもその存在を知られてはならず、誰とも深く関わってはならない。銀狼の双子として生まれたフェンは、光の中を歩く弟・カイルの影として、常に孤独の中にいた。
「フェンくん、ずっと一人で頑張ってたんだね。王宮でも、みんなの影に隠れて、俺のことを守ってくれてたんでしょ?」
「それは……任務ですから。……俺には、それしか……」
「任務じゃなくても、フェンくんはフェンくんだよ。……俺、フェンくんが側にいてくれると、すごく安心するんだ」
ハルが優しく微笑み、フェンの耳の付け根を、慈しむようにゆっくりと指先で撫でた。
その瞬間、フェンの中で張り詰めていた「隠密」としての糸が、ぷつりと切れた。
「…………っ、あ…………」
フェンはハルの膝に力なく頭を預け、獣の姿――美しい銀色の狼へと変化した。
人型の時よりもさらに剥き出しになった感情が、微かな鳴き声となって漏れる。
「……俺は……本当は、怖かった。……誰にも見られず、誰の記憶にも残らず、ただ消えていくことが。……でも、貴方の香りに触れた時、初めて『ここにいてもいい』と思えたんだ……」
銀狼の瞳から、一粒の涙が零れ、ハルの服を濡らす。
孤高を気取っていた隠密の、これが本当の姿だった。
ハルは、泣きじゃくる子供をあやすように、フェンの銀色の背中を何度も、何度も撫で続けた。
「大丈夫。俺が見てるよ。フェンくんがどこにいても、俺はフェンくんのこと、ちゃんと見つけるから」
「…………クゥン」
月明かりの下、二人の影が一つに重なる。
ハルの香りは、フェンの凍てついた心を溶かし、彼を「影」から一人の「個」へと引き戻していた。
しかし、その静寂を破るように、下層階からギルバートたちの激しい足音が近づいてくる。
「フェン!! 貴様、ハルを連れてどこへ行った! 抜け駆けは許さんぞ!」
「チッ……無粋な連中だ」
フェンは素早く人型に戻ると、ハルの唇に、自身の誓いを込めるように指先で触れた。
「ハル様。……これからは、任務としてではなく、俺の意思で貴方を守ります。……たとえ、他の誰が貴方を忘れても、俺だけは貴方の影であり続ける」
その瞳には、もはや迷いはなかった。
ハルを巡る絆は、また一つ、深く、重く、結ばれたのだった。
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