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57話(ヨシュア編)
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数日間の休息を経て、ハルの熱はすっかり引いていた。一行は南へと進路を取り、第二の綻びが眠る「大樹の回廊」へと足を踏み入れた。そこは巨木が折り重なるように空を覆い尽くし、地上には色鮮やかだが毒々しい蔦が脈打つように這い回る、植物の迷宮であった。
入り口となる緑の結界門を前に、守護者たちは足を止めた。ギルバートとの旅と同様、ここからはハルと誰か一人のみが進むことになる。ヨシュアは震える拳を握りしめ、一歩前へ出た。
「……次は、僕が行く。僕がハルを連れて行くんだ」
その言葉に、背後に控えていた他の守護者たちの間に、微かな沈黙が流れた。カイルが心配そうに眉を寄せ、ヨシュアの細い肩に手を置く。
「ヨシュア。……気持ちはわかるが、ここは植物の魔力が異常に強い。あの日、月の温室で起きたことを忘れたわけではないだろう? 無理はするな」
「わかってるよ。……わかってるから、行かなきゃいけないんだ」
ヨシュアはカイルの手をそっと振り払った。その瞳には、少し前の苦い記憶が鮮明に宿っている。ハルを喜ばせようと案内した「月の温室」で、暴走した蔦にハルを奪われ、自分は泣きじゃくることしかできなかったあの日。結局、他の守護者に助けられ、自分の部屋で「守れなかった」と涙を流したあの夜の非力さが、今も彼を縛り続けていた。
「ヨシュア。……影の動きが必要なら、俺が代わってもいいんだぞ」
フェンが静かに、けれど案じるように声をかける。
「いいや、ここはヨシュアの専門分野だ」
ギルバートが、重厚な声で制した。彼はライオンの獣人らしい鋭い眼差しで、幼い魔導師を真っ直ぐに見つめる。
「失敗を恐れて逃げれば、その傷は一生癒えない。ヨシュア、お前の魔導がハルを守る盾になると、俺たちに証明してみせろ」
「……うん。証明するよ。団長みたいに力ずくじゃない、僕にしかできないやり方で」
ヨシュアは杖を握り直し、隣に立つハルを見上げた。ハルは、周りの心配を一身に浴びるヨシュアの手を優しく包み込む。
「ヨシュアくん。……大丈夫だよ。今日は、僕が隣にいるから」
ハルの温かな感触に、ヨシュアはハッと我に返り、覚悟を決めた顔で頷いた。二人が門に刻まれた手形に触れると、身体が淡い緑の光に包まれ、迷宮の奥深くへと吸い込まれていった。
結界の奥は、異常なまでに高まった植物の魔力が充満し、湿った土と花の濃厚な香りが鼻を突いた。進むごとに蔦が生き物のように動き、二人の行く手を阻む。
「『ファイア・バレット』!」
ヨシュアが杖を振るい、次々と迫る蔦を焼き払っていく。しかし、森の深部へ進むにつれ、植物の動きはより狡猾に、より凶暴になっていった。
突然、地響きと共に地面から巨大な吸血蔦が飛び出した。それは月の温室でハルを襲ったものよりも遥かに大きく、無数の棘を逆立てている。
「あ……っ!」
ヨシュアの足元から伸びた蔦が彼の杖を弾き飛ばし、別の蔦がハルの細い足首を絡め取った。ハルの身体が宙に吊るされ、鋭い棘がその柔らかな肌を傷つけようと迫る。
「ハル! ……だめだ、また、また僕のせいで……!」
一瞬で血の気が引いたヨシュアの脳内に、あの温室の記憶が重なった。魔力が指先で凍りつき、恐怖で声が出なくなる。自分は何も変わっていない。またハルを危険に晒してしまった。絶望に支配されそうになったその時、頭上からハルの凛とした声が響いた。
「ヨシュアくん、見て! 俺、大丈夫だよ!」
吊るされたまま、ハルは恐怖に震えるどころか、真っ直ぐにヨシュアを見つめていた。その瞳には、かつてのような怯えはなく、ヨシュアへの揺るぎない信頼だけが宿っている。
「ヨシュアくん。君の魔法は、すごく温かくて優しいんだ。俺、知ってるよ。君は誰よりも一生懸命、俺のために魔法を教えてくれたり、考えてくれてた。……君ならできる。ヨシュアくんの力を見せて!」
ハルの身体から、あの時と同じ、甘く清らかな「香り」が溢れ出した。それは恐怖を麻痺させるためではなく、ヨシュアの心を縛る過去の呪縛を解き、彼の魔力を呼び覚ますための、聖者のエールだった。
「ハル……。君は、僕を信じてくれてるの……?」
ハルの放つフェロモンがヨシュアの鼻腔をくすぐり、彼の冷え切った内側に熱い奔流を流し込む。
(守らなきゃ。僕が、ハルを。……ううん、ハルが信じてくれる、僕自身を!)
「……うああああああっ!」
ヨシュアの全身から、これまでにないほど純粋な魔力の光が噴き出した。弾き飛ばされた杖を魔力で引き寄せ、彼は空中で魔法陣を描く。それは破壊の炎ではなく、生命を浄化し、秩序を与える緑の旋風であった。
「『エメラルド・リディーマー』!」
放たれた魔法は、ハルを掴んでいた吸血蔦を一瞬で清らかな草花へと変え、森の瘴気を一気に吹き飛ばした。ハルの身体がふわりと地面へ降り立つ。
「やったね、ヨシュアくん!」
駆け寄ったハルを、ヨシュアは杖を投げ出して強く抱きしめた。その身体はまだ震えていたが、今度は恐怖ではなく、自分の手でハルを守り抜いたという確かな実感に震えていた。
「ハル……ありがとう。僕、君の言葉がなかったら、また動けなくなってた。……僕、もっと強くなる。君が信じてくれた、僕になるために」
聖者の香りに導かれ、少年の心に宿った勇気。
「大樹の回廊」に漂うのは、毒々しい花の香りではなく、二人の絆が育んだ、新しい芽吹きの香りだった。
入り口となる緑の結界門を前に、守護者たちは足を止めた。ギルバートとの旅と同様、ここからはハルと誰か一人のみが進むことになる。ヨシュアは震える拳を握りしめ、一歩前へ出た。
「……次は、僕が行く。僕がハルを連れて行くんだ」
その言葉に、背後に控えていた他の守護者たちの間に、微かな沈黙が流れた。カイルが心配そうに眉を寄せ、ヨシュアの細い肩に手を置く。
「ヨシュア。……気持ちはわかるが、ここは植物の魔力が異常に強い。あの日、月の温室で起きたことを忘れたわけではないだろう? 無理はするな」
「わかってるよ。……わかってるから、行かなきゃいけないんだ」
ヨシュアはカイルの手をそっと振り払った。その瞳には、少し前の苦い記憶が鮮明に宿っている。ハルを喜ばせようと案内した「月の温室」で、暴走した蔦にハルを奪われ、自分は泣きじゃくることしかできなかったあの日。結局、他の守護者に助けられ、自分の部屋で「守れなかった」と涙を流したあの夜の非力さが、今も彼を縛り続けていた。
「ヨシュア。……影の動きが必要なら、俺が代わってもいいんだぞ」
フェンが静かに、けれど案じるように声をかける。
「いいや、ここはヨシュアの専門分野だ」
ギルバートが、重厚な声で制した。彼はライオンの獣人らしい鋭い眼差しで、幼い魔導師を真っ直ぐに見つめる。
「失敗を恐れて逃げれば、その傷は一生癒えない。ヨシュア、お前の魔導がハルを守る盾になると、俺たちに証明してみせろ」
「……うん。証明するよ。団長みたいに力ずくじゃない、僕にしかできないやり方で」
ヨシュアは杖を握り直し、隣に立つハルを見上げた。ハルは、周りの心配を一身に浴びるヨシュアの手を優しく包み込む。
「ヨシュアくん。……大丈夫だよ。今日は、僕が隣にいるから」
ハルの温かな感触に、ヨシュアはハッと我に返り、覚悟を決めた顔で頷いた。二人が門に刻まれた手形に触れると、身体が淡い緑の光に包まれ、迷宮の奥深くへと吸い込まれていった。
結界の奥は、異常なまでに高まった植物の魔力が充満し、湿った土と花の濃厚な香りが鼻を突いた。進むごとに蔦が生き物のように動き、二人の行く手を阻む。
「『ファイア・バレット』!」
ヨシュアが杖を振るい、次々と迫る蔦を焼き払っていく。しかし、森の深部へ進むにつれ、植物の動きはより狡猾に、より凶暴になっていった。
突然、地響きと共に地面から巨大な吸血蔦が飛び出した。それは月の温室でハルを襲ったものよりも遥かに大きく、無数の棘を逆立てている。
「あ……っ!」
ヨシュアの足元から伸びた蔦が彼の杖を弾き飛ばし、別の蔦がハルの細い足首を絡め取った。ハルの身体が宙に吊るされ、鋭い棘がその柔らかな肌を傷つけようと迫る。
「ハル! ……だめだ、また、また僕のせいで……!」
一瞬で血の気が引いたヨシュアの脳内に、あの温室の記憶が重なった。魔力が指先で凍りつき、恐怖で声が出なくなる。自分は何も変わっていない。またハルを危険に晒してしまった。絶望に支配されそうになったその時、頭上からハルの凛とした声が響いた。
「ヨシュアくん、見て! 俺、大丈夫だよ!」
吊るされたまま、ハルは恐怖に震えるどころか、真っ直ぐにヨシュアを見つめていた。その瞳には、かつてのような怯えはなく、ヨシュアへの揺るぎない信頼だけが宿っている。
「ヨシュアくん。君の魔法は、すごく温かくて優しいんだ。俺、知ってるよ。君は誰よりも一生懸命、俺のために魔法を教えてくれたり、考えてくれてた。……君ならできる。ヨシュアくんの力を見せて!」
ハルの身体から、あの時と同じ、甘く清らかな「香り」が溢れ出した。それは恐怖を麻痺させるためではなく、ヨシュアの心を縛る過去の呪縛を解き、彼の魔力を呼び覚ますための、聖者のエールだった。
「ハル……。君は、僕を信じてくれてるの……?」
ハルの放つフェロモンがヨシュアの鼻腔をくすぐり、彼の冷え切った内側に熱い奔流を流し込む。
(守らなきゃ。僕が、ハルを。……ううん、ハルが信じてくれる、僕自身を!)
「……うああああああっ!」
ヨシュアの全身から、これまでにないほど純粋な魔力の光が噴き出した。弾き飛ばされた杖を魔力で引き寄せ、彼は空中で魔法陣を描く。それは破壊の炎ではなく、生命を浄化し、秩序を与える緑の旋風であった。
「『エメラルド・リディーマー』!」
放たれた魔法は、ハルを掴んでいた吸血蔦を一瞬で清らかな草花へと変え、森の瘴気を一気に吹き飛ばした。ハルの身体がふわりと地面へ降り立つ。
「やったね、ヨシュアくん!」
駆け寄ったハルを、ヨシュアは杖を投げ出して強く抱きしめた。その身体はまだ震えていたが、今度は恐怖ではなく、自分の手でハルを守り抜いたという確かな実感に震えていた。
「ハル……ありがとう。僕、君の言葉がなかったら、また動けなくなってた。……僕、もっと強くなる。君が信じてくれた、僕になるために」
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