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9話
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陽光が石畳を白く焼き、市場は熱気に包まれていた。
香辛料が混ざり合った刺激的な香りと、焼き立てのパンが放つ甘い匂いが鼻をくすぐる。王都の喧騒は日ごとに増しているようで、人波を縫って歩くだけでも一苦労だ。
「……おい、リナート。俺の外套を掴んでおけと言っただろ」
ヴァンは振り返り、数歩後ろで足を止めていた銀髪の青年を呼び寄せる。
リナートは色とりどりの果実が並ぶ屋台の前で、宝石でも眺めるように瞳を輝かせていた。彼に与えた古着のジャケットは、動くたびにそのしなやかな肢体を浮き彫りにする。ただ立っているだけで、通り過ぎる人々が思わず足を止め、溜息を漏らすほどの美貌。
ヴァンは、その周囲に漂う「見惚れる視線」が、肌を刺す針のように不快でならなかった。
「ヴァン、見てください。この赤い果実、太陽の欠片みたいに綺麗です」
「ただの林檎だ。さっさと来い。今日は革製品の卸問屋へ行く予定なんだ」
ヴァンはリナートの細い手首を掴み、強引に引き寄せる。
リナートは「わあ」と小さく声を上げ、ヴァンの大きな掌に身を任せた。彼にとって、ヴァンに触れられることは既に日常の一部であり、絶対的な安心の象徴となっているようだった。
だが、二人が大通りを横切ろうとしたその時、派手な羽飾りのついた帽子を被った男が、二人の前に立ちはだかった。
「おやおや、これは失礼。あまりの美しさに、神の悪戯かと思ってしまいましたよ」
男は芝居がかった仕草で頭を下げ、リナートを舐めるように見つめた。
男の名はロザン。この界隈で手広く商売をしている高級服飾店の主だ。その指には贅沢な指輪がいくつも嵌められ、全身から高価な香水の香りを漂わせている。
「……何の用だ。道を開けろ」
ヴァンはリナートを背中に隠し、野獣のような低い声で威嚇する。
しかし、ロザンはヴァンの殺気など意に介さない様子で、リナートに向けて甘い微笑を投げかけた。
「そちらの麗しいお方。どうでしょう、その泥を被ったような服を脱ぎ捨て、私の店に来ませんか? 最高級の絹と宝石で、あなたの価値を正しく彩って差し上げましょう。今のままでは、美しい真珠が汚物の中に埋もれているようなものだ」
ロザンの言葉に、ヴァンの血管が浮き出た。
汚物。
自分たちが暮らす拠点を、そしてリナートと過ごす時間を、その一言で否定されたような気がした。
リナートはヴァンの背中からひょいと顔を出し、不思議そうに瞬きをする。
「私が……真珠ですか? でも、私はリナートです。それに、この服はヴァンが選んでくれた大切なものです」
「ふふ、なんて謙虚なお方だ。その男と一緒にいても、あなたは飢えと汚れを共有するだけでしょう? 私の元へ来れば、ふかふかのベッドと、溢れるほどの美食を約束しますよ」
ロザンがリナートの銀髪に手を伸ばそうとした、その瞬間。
ヴァンの拳がロザンの胸ぐらを掴み、そのまま近くの壁へと叩きつけた。
「ひっ……!」
「よく聞け、色ボケ商人が。こいつは……リナートは、俺の所有物だ。義賊の掟を知らねえわけじゃねえだろ。俺が拾った獲物に、指一本でも触れてみろ」
ヴァンの瞳に、灼熱の炎が宿る。
「……次は、その肥えた首を叩き折る」
至近距離で放たれた殺気に、ロザンは顔を土色に変え、ガタガタと震え出した。
ヴァンは男をゴミのように放り投げると、リナートの手を今まで以上に強く握りしめ、その場を立ち去った。
一言も発さず、大股で歩くヴァン。
リナートは懸命にその背中を追いかけながら、繋いだ手から伝わってくる激しい鼓動を感じ取っていた。
路地裏に入り、人影が途絶えたところで、ヴァンはようやく足を止める。
「……ヴァン、怒っていますか?」
リナートの問いに、ヴァンは答えられなかった。
怒っている。いや、それ以上に、自分でも制御できない激しい感情に翻弄されていた。
自分は今、なんと言った。
「俺の所有物」だと?
義賊としての縄張り意識や、獲物への執着などという言葉では説明がつかない。ただ、あの男がリナートに触れようとした瞬間、全身の血が逆流し、世界が真っ赤に染まったのだ。
「……あんな奴の言葉、気にするな。美食も、ふかふかのベッドも、俺は約束できねえが」
「ヴァン。私、さっきの言葉、とても嬉しかったです」
リナートがヴァンの前に回り込み、その顔を覗き込んできた。
翡翠色の瞳が、ヴァンの困惑を見透かすように、優しく潤んでいる。
「『俺の所有物』……。私はヴァンのものなのですね。誰かにそう言ってもらえたのは、生まれて初めてかもしれません。なんだか、とても胸が温かいです」
リナートはそう言って、ヴァンの胸板にそっと自分の額を預けた。
ヴァンの心臓が、鐘のように鳴り響く。
「……お前、馬鹿か。俺はただ、あいつが気に入らなかっただけで……」
「嘘ですね。ヴァンの心臓、さっきの商人さんを投げ飛ばした時よりも、ずっと速く動いていますよ」
リナートはくすくすと笑い、ヴァンの服をぎゅっと掴んだ。
ヴァンは天を仰いだ。
この天然の銀髪美男は、自分の放った言葉がどれほど重く、どれほど深い意味を持つのか、全く理解していない。
だが、彼を抱きしめたいと願う衝動を抑えるのに、これほどまでの労力が必要だとは。
「……帰るぞ。今日はもう、買い出しどころじゃねえ」
「はい! ヴァンの拠点に、帰りましょう」
リナートの明るい声が、路地に響く。
ヴァンは繋いだ手を離さないまま、自分の顔が熱くなっているのを隠すように、足早に歩き出した。
初恋の難易度は、もはや測定不能な領域にまで達していた。
自分でも気づかぬうちに口にした「所有」の二文字が、二人を繋ぐ運命の糸を、より強固に、より複雑に絡め取っていく。
その夜。
拠点に戻ったヴァンは、ログやメイの冷やかしを無視して、早々に自分の部屋に閉じこもった。
ベッドに横たわっても、リナートの翡翠色の瞳と、自分の胸に預けられた額の重みが消えない。
「……所有物、か」
独り言が、暗い部屋に溶ける。
ヴァンは自分の掌を見つめた。そこにはまだ、リナートの肌の柔らかさが残っている。
彼を守りたい。誰の手にも触れさせたくない。
その感情が「恋」であると認めるには、この義賊の頭領は、まだ少しだけ意固地すぎた。
香辛料が混ざり合った刺激的な香りと、焼き立てのパンが放つ甘い匂いが鼻をくすぐる。王都の喧騒は日ごとに増しているようで、人波を縫って歩くだけでも一苦労だ。
「……おい、リナート。俺の外套を掴んでおけと言っただろ」
ヴァンは振り返り、数歩後ろで足を止めていた銀髪の青年を呼び寄せる。
リナートは色とりどりの果実が並ぶ屋台の前で、宝石でも眺めるように瞳を輝かせていた。彼に与えた古着のジャケットは、動くたびにそのしなやかな肢体を浮き彫りにする。ただ立っているだけで、通り過ぎる人々が思わず足を止め、溜息を漏らすほどの美貌。
ヴァンは、その周囲に漂う「見惚れる視線」が、肌を刺す針のように不快でならなかった。
「ヴァン、見てください。この赤い果実、太陽の欠片みたいに綺麗です」
「ただの林檎だ。さっさと来い。今日は革製品の卸問屋へ行く予定なんだ」
ヴァンはリナートの細い手首を掴み、強引に引き寄せる。
リナートは「わあ」と小さく声を上げ、ヴァンの大きな掌に身を任せた。彼にとって、ヴァンに触れられることは既に日常の一部であり、絶対的な安心の象徴となっているようだった。
だが、二人が大通りを横切ろうとしたその時、派手な羽飾りのついた帽子を被った男が、二人の前に立ちはだかった。
「おやおや、これは失礼。あまりの美しさに、神の悪戯かと思ってしまいましたよ」
男は芝居がかった仕草で頭を下げ、リナートを舐めるように見つめた。
男の名はロザン。この界隈で手広く商売をしている高級服飾店の主だ。その指には贅沢な指輪がいくつも嵌められ、全身から高価な香水の香りを漂わせている。
「……何の用だ。道を開けろ」
ヴァンはリナートを背中に隠し、野獣のような低い声で威嚇する。
しかし、ロザンはヴァンの殺気など意に介さない様子で、リナートに向けて甘い微笑を投げかけた。
「そちらの麗しいお方。どうでしょう、その泥を被ったような服を脱ぎ捨て、私の店に来ませんか? 最高級の絹と宝石で、あなたの価値を正しく彩って差し上げましょう。今のままでは、美しい真珠が汚物の中に埋もれているようなものだ」
ロザンの言葉に、ヴァンの血管が浮き出た。
汚物。
自分たちが暮らす拠点を、そしてリナートと過ごす時間を、その一言で否定されたような気がした。
リナートはヴァンの背中からひょいと顔を出し、不思議そうに瞬きをする。
「私が……真珠ですか? でも、私はリナートです。それに、この服はヴァンが選んでくれた大切なものです」
「ふふ、なんて謙虚なお方だ。その男と一緒にいても、あなたは飢えと汚れを共有するだけでしょう? 私の元へ来れば、ふかふかのベッドと、溢れるほどの美食を約束しますよ」
ロザンがリナートの銀髪に手を伸ばそうとした、その瞬間。
ヴァンの拳がロザンの胸ぐらを掴み、そのまま近くの壁へと叩きつけた。
「ひっ……!」
「よく聞け、色ボケ商人が。こいつは……リナートは、俺の所有物だ。義賊の掟を知らねえわけじゃねえだろ。俺が拾った獲物に、指一本でも触れてみろ」
ヴァンの瞳に、灼熱の炎が宿る。
「……次は、その肥えた首を叩き折る」
至近距離で放たれた殺気に、ロザンは顔を土色に変え、ガタガタと震え出した。
ヴァンは男をゴミのように放り投げると、リナートの手を今まで以上に強く握りしめ、その場を立ち去った。
一言も発さず、大股で歩くヴァン。
リナートは懸命にその背中を追いかけながら、繋いだ手から伝わってくる激しい鼓動を感じ取っていた。
路地裏に入り、人影が途絶えたところで、ヴァンはようやく足を止める。
「……ヴァン、怒っていますか?」
リナートの問いに、ヴァンは答えられなかった。
怒っている。いや、それ以上に、自分でも制御できない激しい感情に翻弄されていた。
自分は今、なんと言った。
「俺の所有物」だと?
義賊としての縄張り意識や、獲物への執着などという言葉では説明がつかない。ただ、あの男がリナートに触れようとした瞬間、全身の血が逆流し、世界が真っ赤に染まったのだ。
「……あんな奴の言葉、気にするな。美食も、ふかふかのベッドも、俺は約束できねえが」
「ヴァン。私、さっきの言葉、とても嬉しかったです」
リナートがヴァンの前に回り込み、その顔を覗き込んできた。
翡翠色の瞳が、ヴァンの困惑を見透かすように、優しく潤んでいる。
「『俺の所有物』……。私はヴァンのものなのですね。誰かにそう言ってもらえたのは、生まれて初めてかもしれません。なんだか、とても胸が温かいです」
リナートはそう言って、ヴァンの胸板にそっと自分の額を預けた。
ヴァンの心臓が、鐘のように鳴り響く。
「……お前、馬鹿か。俺はただ、あいつが気に入らなかっただけで……」
「嘘ですね。ヴァンの心臓、さっきの商人さんを投げ飛ばした時よりも、ずっと速く動いていますよ」
リナートはくすくすと笑い、ヴァンの服をぎゅっと掴んだ。
ヴァンは天を仰いだ。
この天然の銀髪美男は、自分の放った言葉がどれほど重く、どれほど深い意味を持つのか、全く理解していない。
だが、彼を抱きしめたいと願う衝動を抑えるのに、これほどまでの労力が必要だとは。
「……帰るぞ。今日はもう、買い出しどころじゃねえ」
「はい! ヴァンの拠点に、帰りましょう」
リナートの明るい声が、路地に響く。
ヴァンは繋いだ手を離さないまま、自分の顔が熱くなっているのを隠すように、足早に歩き出した。
初恋の難易度は、もはや測定不能な領域にまで達していた。
自分でも気づかぬうちに口にした「所有」の二文字が、二人を繋ぐ運命の糸を、より強固に、より複雑に絡め取っていく。
その夜。
拠点に戻ったヴァンは、ログやメイの冷やかしを無視して、早々に自分の部屋に閉じこもった。
ベッドに横たわっても、リナートの翡翠色の瞳と、自分の胸に預けられた額の重みが消えない。
「……所有物、か」
独り言が、暗い部屋に溶ける。
ヴァンは自分の掌を見つめた。そこにはまだ、リナートの肌の柔らかさが残っている。
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