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25話
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月光を裂いて、漆黒の森を疾走する。
背後からは、規則正しい金属の擦れる音が執拗に追いすがってくる。ヴァンは腕の中にあるリナートの重みを確かめ、さらに脚に力を込めた。湿った土と腐葉土の匂いが鼻腔を突き、冷たい夜風が切り傷のように頬を打つ。
「……、……ここまで来れば、馬車の合流地点はすぐそこだ」
ヴァンの声は、激しい運動のせいで熱を帯びていた。
「ヴァン、後ろから銀色のカブトムシさんが、ものすごい速さで走ってきます!」
リナートがヴァンの肩越しに振り返り、のんきな声を上げる。
「カブトムシじゃねえ、騎士団長だ! ったく、あの方向音痴のくせに、なんでこういう時だけ勘が冴えやがる……!」
ヴァンが毒づいた瞬間、前方の木々をなぎ倒すような勢いで、銀色の影が飛び出してきた。
月光を反射する白銀の甲冑。アラリックが、愛剣を抜いた構えで立ち塞がっていた。
「……そこまでだ、義賊。殿下をこちらへお渡し願おう」
アラリックの声は、鍛え上げられた鋼のように冷たく、重い。
ヴァンはリナートを静かに地面へ下ろし、自身の腰から愛用の短剣を抜き放った。
「何度言わせるんだ。こいつは、帰りたくねえと言ってる。無理やり連れて行くのが、騎士様の正義かよ」
「殿下は国の宝だ。貴様のような、明日をも知れぬ泥棒に預けていい存在ではない。……退け。さもなくば、その命、ここで散らすことになる」
アラリックが鋭い踏み込みと共に、大剣を振り下ろした。
ヴァンは紙一重でそれを躱し、木の幹を蹴って横へと跳ぶ。
凄まじい風切り音が鼓膜を震わせた。一撃でも食らえば、命はない。ヴァンの指先は、極限の緊張で白く強張っていた。心臓が、リナートと初めて手を繋いだ時よりも激しく、警鐘を打ち鳴らしている。
「ヴァン、危ないです! あちらの方、剣を振るたびにキラキラして綺麗ですが、とっても怒っていますよ!」
「見物してんじゃねえ! リナート、お前はあっちの大きな岩の陰に隠れてろ!」
ヴァンは叫びながら、アラリックの懐へと飛び込んだ。
正規の剣技に対し、ヴァンの戦い方は泥臭い。足払いをかけ、肘を打ち込み、隙あらば急所を狙う。
火花が散り、金属音が森の静寂を幾度も引き裂いた。
「……、……っ、なぜこれほどまで抗う。貴様にとって、殿下はただの『拾い物』に過ぎないはずだ!」
アラリックの剣が、ヴァンの肩口をかすめる。
熱い痛みが走るが、ヴァンは眉一つ動かさない。それどころか、彼の瞳には烈火のような決意が宿っていた。
「ああ、そうだ。最初はただの拾い物だったさ! 掃除もできねえ、石鹸は食う、すぐ俺の服の裾を掴んでくる……。手のかかる、最高に厄介な拾い物だ!」
ヴァンは短剣の柄を握り直し、アラリックの剣を真っ向から受け止めた。
「だがな! こいつが笑うと、俺の拠点はどんな宝石を運び込んだ時よりも明るくなるんだよ! こいつがいねえと、俺の食う飯は全部泥の味になっちまうんだ!」
重なり合った刃の向こう側で、ヴァンの吠え声が響く。
「こいつを泣かせて連れ帰るのがお前の誇りなら、そんなもん、俺がこの手で叩き壊してやる!」
ヴァンの全身から、形容しがたいほどの熱気が溢れ出した。
その言葉は、リナートへの愛着であり、執着であり、そして何より、自分自身の魂の叫びだった。
その時。
岩陰から飛び出したリナートが、アラリックの背中に向かって叫んだ。
「アラリックさん! 私、ヴァンと一緒にいたいです! ヴァンは、私のためにこんなに一生懸命になってくれています! 王宮で美味しいものを食べるより、ヴァンの横で、あの煤けた味のスープを飲んで笑っていたいんです!」
リナートの翡翠色の瞳には、一片の迷いもなかった。
アラリックの剣が、僅かに止まった。
その隙を、ヴァンは見逃さなかった。
剣の腹を蹴り上げ、アラリックの体勢を崩すと、そのまま彼の首筋に短剣の峰を突きつけた。
「……、……、……俺の勝ちだ。騎士様」
ヴァンの荒い吐息が、アラリックの耳元で弾ける。
周囲には、ただ風に揺れる葉の音だけが流れていた。
アラリックはしばらくの間、動かずにいたが、やがて大きく溜め息をつくと、ゆっくりと剣を鞘に納めた。
「……、……、……殿下のあの顔を見せられては、これ以上剣を振るう理由は、私にはありませんな」
アラリックは視線を逸らし、後頭部をガリガリと掻いた。
「殿下が、あれほどまでに……無防備な、一人の人間としての顔をされている。王宮では、一度も拝見したことのない表情だ」
騎士は踵を返すと、再び森の奥へと歩き出した。
「……今日は、方向を見失ったことにしましょう。王宮へは『義賊の罠にかかり、殿下を逃した』と報告します。ですが、頭領殿」
アラリックが、一度だけ振り返った。
「殿下を泣かせるようなことがあれば、地の果てまで追い詰め、その首を撥ねますぞ。方向音痴の私が、迷わず貴様の元へ辿り着くほどにな」
「……ふん、やってみろよ。二度とお前に会う機会なんて作らねえからな」
ヴァンは突き放すように言ったが、その指先の震えはようやく収まっていた。
アラリックの銀色の背中が、闇に溶けて見えなくなる。
静寂が戻った森の中で、リナートがヴァンの元へ駆け寄ってきた。
「ヴァン! 今のあなた、とっても格好良かったです! お空の星より輝いて見えました!」
リナートがヴァンの腰に抱きつき、その胸板に顔を埋める。
「……、……っ、おい、くっつくな。傷に響くだろ」
「あ、血が出ています! 大変です、私が舐めて治してあげます!」
「やめろ! お前は犬か!」
ヴァンは顔を真っ赤に染め、リナートの頭を大きな掌で押さえつけた。
だが、その指先は、どこまでも優しくリナートの銀髪を撫でていた。
ヴァンの心臓は、まだ激しい鼓動を刻んでいる。
それは恐怖のせいではない。自分の本当の気持ちを、図らずも叫んでしまった後の、言いようのない気恥ずかしさと、確かな幸福感のせいだった。
「……帰るぞ。みんなが待ってる」
「はい! ヴァン、大好きです!」
「……、……五月蝿い、このアホ王子」
ヴァンはそっぽを向きながらも、リナートの手をしっかりと、今度は二度と離さない強さで握りしめた。
夜明け前の蒼い光が、二人の行く先を静かに照らし始めていた。
背後からは、規則正しい金属の擦れる音が執拗に追いすがってくる。ヴァンは腕の中にあるリナートの重みを確かめ、さらに脚に力を込めた。湿った土と腐葉土の匂いが鼻腔を突き、冷たい夜風が切り傷のように頬を打つ。
「……、……ここまで来れば、馬車の合流地点はすぐそこだ」
ヴァンの声は、激しい運動のせいで熱を帯びていた。
「ヴァン、後ろから銀色のカブトムシさんが、ものすごい速さで走ってきます!」
リナートがヴァンの肩越しに振り返り、のんきな声を上げる。
「カブトムシじゃねえ、騎士団長だ! ったく、あの方向音痴のくせに、なんでこういう時だけ勘が冴えやがる……!」
ヴァンが毒づいた瞬間、前方の木々をなぎ倒すような勢いで、銀色の影が飛び出してきた。
月光を反射する白銀の甲冑。アラリックが、愛剣を抜いた構えで立ち塞がっていた。
「……そこまでだ、義賊。殿下をこちらへお渡し願おう」
アラリックの声は、鍛え上げられた鋼のように冷たく、重い。
ヴァンはリナートを静かに地面へ下ろし、自身の腰から愛用の短剣を抜き放った。
「何度言わせるんだ。こいつは、帰りたくねえと言ってる。無理やり連れて行くのが、騎士様の正義かよ」
「殿下は国の宝だ。貴様のような、明日をも知れぬ泥棒に預けていい存在ではない。……退け。さもなくば、その命、ここで散らすことになる」
アラリックが鋭い踏み込みと共に、大剣を振り下ろした。
ヴァンは紙一重でそれを躱し、木の幹を蹴って横へと跳ぶ。
凄まじい風切り音が鼓膜を震わせた。一撃でも食らえば、命はない。ヴァンの指先は、極限の緊張で白く強張っていた。心臓が、リナートと初めて手を繋いだ時よりも激しく、警鐘を打ち鳴らしている。
「ヴァン、危ないです! あちらの方、剣を振るたびにキラキラして綺麗ですが、とっても怒っていますよ!」
「見物してんじゃねえ! リナート、お前はあっちの大きな岩の陰に隠れてろ!」
ヴァンは叫びながら、アラリックの懐へと飛び込んだ。
正規の剣技に対し、ヴァンの戦い方は泥臭い。足払いをかけ、肘を打ち込み、隙あらば急所を狙う。
火花が散り、金属音が森の静寂を幾度も引き裂いた。
「……、……っ、なぜこれほどまで抗う。貴様にとって、殿下はただの『拾い物』に過ぎないはずだ!」
アラリックの剣が、ヴァンの肩口をかすめる。
熱い痛みが走るが、ヴァンは眉一つ動かさない。それどころか、彼の瞳には烈火のような決意が宿っていた。
「ああ、そうだ。最初はただの拾い物だったさ! 掃除もできねえ、石鹸は食う、すぐ俺の服の裾を掴んでくる……。手のかかる、最高に厄介な拾い物だ!」
ヴァンは短剣の柄を握り直し、アラリックの剣を真っ向から受け止めた。
「だがな! こいつが笑うと、俺の拠点はどんな宝石を運び込んだ時よりも明るくなるんだよ! こいつがいねえと、俺の食う飯は全部泥の味になっちまうんだ!」
重なり合った刃の向こう側で、ヴァンの吠え声が響く。
「こいつを泣かせて連れ帰るのがお前の誇りなら、そんなもん、俺がこの手で叩き壊してやる!」
ヴァンの全身から、形容しがたいほどの熱気が溢れ出した。
その言葉は、リナートへの愛着であり、執着であり、そして何より、自分自身の魂の叫びだった。
その時。
岩陰から飛び出したリナートが、アラリックの背中に向かって叫んだ。
「アラリックさん! 私、ヴァンと一緒にいたいです! ヴァンは、私のためにこんなに一生懸命になってくれています! 王宮で美味しいものを食べるより、ヴァンの横で、あの煤けた味のスープを飲んで笑っていたいんです!」
リナートの翡翠色の瞳には、一片の迷いもなかった。
アラリックの剣が、僅かに止まった。
その隙を、ヴァンは見逃さなかった。
剣の腹を蹴り上げ、アラリックの体勢を崩すと、そのまま彼の首筋に短剣の峰を突きつけた。
「……、……、……俺の勝ちだ。騎士様」
ヴァンの荒い吐息が、アラリックの耳元で弾ける。
周囲には、ただ風に揺れる葉の音だけが流れていた。
アラリックはしばらくの間、動かずにいたが、やがて大きく溜め息をつくと、ゆっくりと剣を鞘に納めた。
「……、……、……殿下のあの顔を見せられては、これ以上剣を振るう理由は、私にはありませんな」
アラリックは視線を逸らし、後頭部をガリガリと掻いた。
「殿下が、あれほどまでに……無防備な、一人の人間としての顔をされている。王宮では、一度も拝見したことのない表情だ」
騎士は踵を返すと、再び森の奥へと歩き出した。
「……今日は、方向を見失ったことにしましょう。王宮へは『義賊の罠にかかり、殿下を逃した』と報告します。ですが、頭領殿」
アラリックが、一度だけ振り返った。
「殿下を泣かせるようなことがあれば、地の果てまで追い詰め、その首を撥ねますぞ。方向音痴の私が、迷わず貴様の元へ辿り着くほどにな」
「……ふん、やってみろよ。二度とお前に会う機会なんて作らねえからな」
ヴァンは突き放すように言ったが、その指先の震えはようやく収まっていた。
アラリックの銀色の背中が、闇に溶けて見えなくなる。
静寂が戻った森の中で、リナートがヴァンの元へ駆け寄ってきた。
「ヴァン! 今のあなた、とっても格好良かったです! お空の星より輝いて見えました!」
リナートがヴァンの腰に抱きつき、その胸板に顔を埋める。
「……、……っ、おい、くっつくな。傷に響くだろ」
「あ、血が出ています! 大変です、私が舐めて治してあげます!」
「やめろ! お前は犬か!」
ヴァンは顔を真っ赤に染め、リナートの頭を大きな掌で押さえつけた。
だが、その指先は、どこまでも優しくリナートの銀髪を撫でていた。
ヴァンの心臓は、まだ激しい鼓動を刻んでいる。
それは恐怖のせいではない。自分の本当の気持ちを、図らずも叫んでしまった後の、言いようのない気恥ずかしさと、確かな幸福感のせいだった。
「……帰るぞ。みんなが待ってる」
「はい! ヴァン、大好きです!」
「……、……五月蝿い、このアホ王子」
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