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30話
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夜明けの光が執務室の窓に細い線を引く頃、ヴァンの眠りは最悪な形で破られた。
顔面に、氷水に浸したばかりのような、容赦のない冷たさと重みがのしかかる。
「……、……ッ!? なんだ、敵襲か!」
ヴァンは跳ね起き、枕元に置いていたナイフを掴もうとした。だが、視界を塞いでいたのは、冷たく湿った分厚いタオルだった。
「ヴァン、おはようございます! 所有物としての第一任務、『主人の起床を完璧にサポートする』を遂行しに来ました!」
目の前には、朝露を浴びた花のような笑顔を浮かべたリナートが立っていた。
彼は誇らしげに胸を張り、手には滴り落ちるほど水を含んだ桶を抱えている。
「……お前。俺を溺死させる気か」
ヴァンは顔からタオルを剥ぎ取り、濡れた前髪を掻き上げた。
寝巻きの胸元までじっとりと濡れている。怒鳴りつけようと息を吸い込んだが、リナートの翡翠色の瞳が、期待に満ちてキラキラと輝いているのを見て、言葉が喉に詰まった。
「メイさんに聞いたのです。献身的な所有物は、主人の身の回りの世話を完璧にこなすものだと。まずは清潔が一番ですよね」
「……あいつ、余計なことを吹き込みやがって」
ヴァンは天を仰いだ。
昨夜、執務室で「独占欲」だのなんだのと教え込んだ結果がこれだ。この天然の銀髪美男子は、所有物という立場を、どうやら「最高級の家事使用人」か何かと勘違いしているらしい。
ヴァンが着替えようと立ち上がると、リナートは待ってましたと言わんばかりに、棚から新しいシャツを引っ張り出してきた。
「あ、ヴァン、動かないでください。お着替えも私が……」
「やめろ、自分でできる!」
「ダメです。ヴァンの右肩はまだお休みが必要だと、私の目が言っています。ほら、腕を通してください」
リナートは強引にヴァンの腕を掴み、シャツの袖にねじ込もうとする。
狭い部屋で繰り広げられる、屈強な義賊の頭領と、細身ながらも意志の強い王子の攻防戦。
近すぎる距離。
リナートの指先が、ヴァンの剥き出しの背中や鎖骨に触れるたび、ヴァンの全身に火がついたような熱が走る。
「……、……おい。触る場所が、おかしいだろ」
「えっ? お洋服を着せるには、ここに触れないと……。あ、ヴァンの心臓、また朝から太鼓を叩いています。やっぱり、まだ体調が悪いのでしょうか」
リナートが心配そうに顔を寄せ、ヴァンの胸元に耳を当てようとする。
ヴァンの顔はもはや、茹で上がったタコのように真っ赤だ。
「……もういい! 朝飯だ、飯を食いに行くぞ!」
ヴァンはリナートを半ば引き剥がすようにして、食堂へと逃げ込んだ。
だが、そこにはさらなる惨状が待ち受けていた。
食堂のテーブルの上には、黒く焦げ付いた何かと、紫色の液体が入ったボウルが並んでいる。
「……、……これ、誰の仕業だ」
ヴァンが絶望的な声で問う。
「私です! ヴァンに力をつけてもらいたくて、倉庫で見つけた一番強そうな色のハーブと、お肉を煮込んでみました!」
リナートが自慢げにスプーンを差し出す。
背後では、ログとメイが腹を抱えて笑い転げていた。
「いいじゃない、頭領。殿下の愛がたっぷり詰まった特製スープだぜ。一滴残らず飲み干せよ」
「毒耐性がつくわね、ヴァン。おめでとう」
「……てめえら……っ」
ヴァンは覚悟を決め、その「強そうな色」のスープを口に運んだ。
鼻を突くのは、焦げた薪と、なぜかミントの強烈な香り。
舌の感覚が麻痺しそうな味だったが、隣でリナートが「どうですか? 美味しいですか?」と、今にも尻尾を振りそうな勢いで見つめてくる。
「……、……。ああ。……最高に、目が覚める味だ」
ヴァンは涙目になりながら、無理やり笑顔を作った。
リナートの無自覚な献身は、王宮の刺客よりも遥かにヴァンの命(と胃袋)を脅かしている。
だが、その騒がしい朝の光景の中に、自分だけの居場所を再確認している自分もいた。
ヴァンは自分の所有物(自称)が嬉しそうにパンを齧る横顔を見つめながら、これから続くであろう波乱万丈な毎日に、深く、甘い溜息をつくのだった。
顔面に、氷水に浸したばかりのような、容赦のない冷たさと重みがのしかかる。
「……、……ッ!? なんだ、敵襲か!」
ヴァンは跳ね起き、枕元に置いていたナイフを掴もうとした。だが、視界を塞いでいたのは、冷たく湿った分厚いタオルだった。
「ヴァン、おはようございます! 所有物としての第一任務、『主人の起床を完璧にサポートする』を遂行しに来ました!」
目の前には、朝露を浴びた花のような笑顔を浮かべたリナートが立っていた。
彼は誇らしげに胸を張り、手には滴り落ちるほど水を含んだ桶を抱えている。
「……お前。俺を溺死させる気か」
ヴァンは顔からタオルを剥ぎ取り、濡れた前髪を掻き上げた。
寝巻きの胸元までじっとりと濡れている。怒鳴りつけようと息を吸い込んだが、リナートの翡翠色の瞳が、期待に満ちてキラキラと輝いているのを見て、言葉が喉に詰まった。
「メイさんに聞いたのです。献身的な所有物は、主人の身の回りの世話を完璧にこなすものだと。まずは清潔が一番ですよね」
「……あいつ、余計なことを吹き込みやがって」
ヴァンは天を仰いだ。
昨夜、執務室で「独占欲」だのなんだのと教え込んだ結果がこれだ。この天然の銀髪美男子は、所有物という立場を、どうやら「最高級の家事使用人」か何かと勘違いしているらしい。
ヴァンが着替えようと立ち上がると、リナートは待ってましたと言わんばかりに、棚から新しいシャツを引っ張り出してきた。
「あ、ヴァン、動かないでください。お着替えも私が……」
「やめろ、自分でできる!」
「ダメです。ヴァンの右肩はまだお休みが必要だと、私の目が言っています。ほら、腕を通してください」
リナートは強引にヴァンの腕を掴み、シャツの袖にねじ込もうとする。
狭い部屋で繰り広げられる、屈強な義賊の頭領と、細身ながらも意志の強い王子の攻防戦。
近すぎる距離。
リナートの指先が、ヴァンの剥き出しの背中や鎖骨に触れるたび、ヴァンの全身に火がついたような熱が走る。
「……、……おい。触る場所が、おかしいだろ」
「えっ? お洋服を着せるには、ここに触れないと……。あ、ヴァンの心臓、また朝から太鼓を叩いています。やっぱり、まだ体調が悪いのでしょうか」
リナートが心配そうに顔を寄せ、ヴァンの胸元に耳を当てようとする。
ヴァンの顔はもはや、茹で上がったタコのように真っ赤だ。
「……もういい! 朝飯だ、飯を食いに行くぞ!」
ヴァンはリナートを半ば引き剥がすようにして、食堂へと逃げ込んだ。
だが、そこにはさらなる惨状が待ち受けていた。
食堂のテーブルの上には、黒く焦げ付いた何かと、紫色の液体が入ったボウルが並んでいる。
「……、……これ、誰の仕業だ」
ヴァンが絶望的な声で問う。
「私です! ヴァンに力をつけてもらいたくて、倉庫で見つけた一番強そうな色のハーブと、お肉を煮込んでみました!」
リナートが自慢げにスプーンを差し出す。
背後では、ログとメイが腹を抱えて笑い転げていた。
「いいじゃない、頭領。殿下の愛がたっぷり詰まった特製スープだぜ。一滴残らず飲み干せよ」
「毒耐性がつくわね、ヴァン。おめでとう」
「……てめえら……っ」
ヴァンは覚悟を決め、その「強そうな色」のスープを口に運んだ。
鼻を突くのは、焦げた薪と、なぜかミントの強烈な香り。
舌の感覚が麻痺しそうな味だったが、隣でリナートが「どうですか? 美味しいですか?」と、今にも尻尾を振りそうな勢いで見つめてくる。
「……、……。ああ。……最高に、目が覚める味だ」
ヴァンは涙目になりながら、無理やり笑顔を作った。
リナートの無自覚な献身は、王宮の刺客よりも遥かにヴァンの命(と胃袋)を脅かしている。
だが、その騒がしい朝の光景の中に、自分だけの居場所を再確認している自分もいた。
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