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8話
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「……ああ、もう! 間に合わない!」
翌朝の結弦は、絶望の淵に立たされていた。
昨夜の疲れが残っていたのか、あるいはアルヴィスの肩揉みが心地よすぎて熟睡してしまったのか、人生で初めての「寝坊」をかましたのである。
しかも、よりによって今日は、絶対に忘れてはならない大事な会議資料を会社へ持参しなければならない日だった。
「アルヴィス! ごめん、朝ごはん作れなかった! 冷蔵庫の納豆食べてて! 行ってきます!」
「ゆ、ユヅル!? 待ってください、そんなに慌てて……ああっ、主! 忘れ物です! その『せいなる……』ではなく、『だいじな書類』が机の上に!」
「ええっ!? うわあああ、もう電車が来る! アルヴィス、それ絶対に触らないで置いておいて! 後で取りに戻るから……いや、無理だ!」
結弦はパニックになりながら、ネクタイを半分締めた状態で家を飛び出した。
だが、結局駅に着いたところで、次の電車に乗っても会議には間に合わないことが判明し、駅のホームで膝をついた。
「終わった……。課長に怒鳴られる……僕のサラリーマン人生、ここで終了だ……」
その時だった。
「ユヅルーーーッ!」
駅前のロータリーに、地鳴りのような咆哮が響き渡った。
見れば、朝の通勤客が皆、呆然として一方向を見つめている。
そこには、黄金の髪を激しくなびかせ、アスファルトを蹴って爆走してくるアルヴィスの姿があった。
「はぁ、はぁ……! 追いつきました……! ユヅル、これを!」
アルヴィスは結弦の目の前で急停止すると、片膝をついて例の資料が入ったクリアファイルを捧げ持った。
その姿は、戦場を駆け抜け、主君に勝利の報告を届ける騎士そのものだ。
「アルヴィス!? 君、家からここまで走ってきたの!? 電車より早いんだけど!」
「騎士にとって、この程度の距離は『せいなる……』ええと、ただの散歩道です! あなたが悲しむ顔など見たくありませんから!」
「……ありがとう、助かったよ! でも、その格好……」
アルヴィスは、結弦が昨日貸した「派手な英字プリントのTシャツ」に「ジャージのズボン」という、あまりにもラフな格好だった。しかし、顔が国宝級に整っているせいで、周囲の女性客(そして一部の男性客)の視線が釘付けになっている。
「ええい、こうなったら一緒に行くしかない! アルヴィス、僕の会社までついてきて! 資料を運ぶのを手伝って!」
「御意! どこまでも共に参ります!」
二人はタクシーを拾い(アルヴィスは『走った方が早いのでは?』と疑問を呈していたが、結弦が必死に止めた)、なんとか会議開始の五分前に会社へ滑り込んだ。
「瀬戸くん! 遅いぞ、資料は……って、誰だね、そのイケメンは」
受付で待ち構えていた藤代課長が、結弦の後ろに控えるアルヴィスを見て目を丸くした。
アルヴィスは即座に背筋を伸ばし、完璧な会釈を披露する。
「お初にお目に掛かります。私はユヅルの『せいなる……』ではなく、ええと、『身の回りのお世話係』をしているアルヴィスと申します。本日は彼が資料を失念したため、急ぎお届けに参りました」
「お、お世話係……? 瀬戸くん、君、いつの間にこんなモデルみたいな親戚を……」
「あ、あはは。従兄弟なんです。ほら、アルヴィス、資料渡して」
アルヴィスは恭しく、かつスマートに資料を課長に手渡した。その動作一つ一つが洗練されており、もはや「宅配員」というよりは「王室からの親書を届ける使者」のようである。
「……素晴らしい。瀬戸くん、君の……ええと、アルヴィス君か。彼、もしよかったらうちのパンフレットのモデルになってくれないかな?」
「えっ!?」
「いや、あまりにも見栄えがいい。彼がうちの会社のロゴが入った封筒を持っているだけで、我が社の信頼度が爆上がりしそうだ!」
課長までアルヴィスのオーラに毒されている。
結弦は慌ててアルヴィスを会議室の影に引っ張っていった。
「アルヴィス、今日はもう帰っていいよ。本当に助かった。ありがとう」
「いいえ、ユヅル。あなたの『かいしゃ』がこれほどまでに活気に満ちた戦場だとは知りませんでした。皆、あの『ぱそこん』という魔導具と必死に戦っている……。私は誇らしいです、あなたがこの地で立派に戦っていることが」
「……ただの事務作業なんだけどね。でも、そう言ってもらえると嬉しいよ」
結弦が少し照れくさそうに笑うと、アルヴィスは満足げに頷き、再びフードを深く被った。
「では、私は家に戻り、夕食の準備を整えておきます。……ユヅル、今日の戦いも、ご武運を!」
そう言って、風のように去っていく勇者の背中を見送りながら、結弦は思った。
お人好しで拾った異世界の住人は、今や自分にとって、ただの居候以上の「救世主」になりつつあるのだと。
その日の会議は、アルヴィスが運んできた資料のおかげか、これまでにないほどスムーズに進んだ。
結弦の机には、同僚の女性陣から「さっきのイケメン、誰!?」という付箋が大量に貼られていたが、彼はそれを一枚ずつ剥がしながら、少しだけ自慢げな気分で仕事に戻るのだった。
翌朝の結弦は、絶望の淵に立たされていた。
昨夜の疲れが残っていたのか、あるいはアルヴィスの肩揉みが心地よすぎて熟睡してしまったのか、人生で初めての「寝坊」をかましたのである。
しかも、よりによって今日は、絶対に忘れてはならない大事な会議資料を会社へ持参しなければならない日だった。
「アルヴィス! ごめん、朝ごはん作れなかった! 冷蔵庫の納豆食べてて! 行ってきます!」
「ゆ、ユヅル!? 待ってください、そんなに慌てて……ああっ、主! 忘れ物です! その『せいなる……』ではなく、『だいじな書類』が机の上に!」
「ええっ!? うわあああ、もう電車が来る! アルヴィス、それ絶対に触らないで置いておいて! 後で取りに戻るから……いや、無理だ!」
結弦はパニックになりながら、ネクタイを半分締めた状態で家を飛び出した。
だが、結局駅に着いたところで、次の電車に乗っても会議には間に合わないことが判明し、駅のホームで膝をついた。
「終わった……。課長に怒鳴られる……僕のサラリーマン人生、ここで終了だ……」
その時だった。
「ユヅルーーーッ!」
駅前のロータリーに、地鳴りのような咆哮が響き渡った。
見れば、朝の通勤客が皆、呆然として一方向を見つめている。
そこには、黄金の髪を激しくなびかせ、アスファルトを蹴って爆走してくるアルヴィスの姿があった。
「はぁ、はぁ……! 追いつきました……! ユヅル、これを!」
アルヴィスは結弦の目の前で急停止すると、片膝をついて例の資料が入ったクリアファイルを捧げ持った。
その姿は、戦場を駆け抜け、主君に勝利の報告を届ける騎士そのものだ。
「アルヴィス!? 君、家からここまで走ってきたの!? 電車より早いんだけど!」
「騎士にとって、この程度の距離は『せいなる……』ええと、ただの散歩道です! あなたが悲しむ顔など見たくありませんから!」
「……ありがとう、助かったよ! でも、その格好……」
アルヴィスは、結弦が昨日貸した「派手な英字プリントのTシャツ」に「ジャージのズボン」という、あまりにもラフな格好だった。しかし、顔が国宝級に整っているせいで、周囲の女性客(そして一部の男性客)の視線が釘付けになっている。
「ええい、こうなったら一緒に行くしかない! アルヴィス、僕の会社までついてきて! 資料を運ぶのを手伝って!」
「御意! どこまでも共に参ります!」
二人はタクシーを拾い(アルヴィスは『走った方が早いのでは?』と疑問を呈していたが、結弦が必死に止めた)、なんとか会議開始の五分前に会社へ滑り込んだ。
「瀬戸くん! 遅いぞ、資料は……って、誰だね、そのイケメンは」
受付で待ち構えていた藤代課長が、結弦の後ろに控えるアルヴィスを見て目を丸くした。
アルヴィスは即座に背筋を伸ばし、完璧な会釈を披露する。
「お初にお目に掛かります。私はユヅルの『せいなる……』ではなく、ええと、『身の回りのお世話係』をしているアルヴィスと申します。本日は彼が資料を失念したため、急ぎお届けに参りました」
「お、お世話係……? 瀬戸くん、君、いつの間にこんなモデルみたいな親戚を……」
「あ、あはは。従兄弟なんです。ほら、アルヴィス、資料渡して」
アルヴィスは恭しく、かつスマートに資料を課長に手渡した。その動作一つ一つが洗練されており、もはや「宅配員」というよりは「王室からの親書を届ける使者」のようである。
「……素晴らしい。瀬戸くん、君の……ええと、アルヴィス君か。彼、もしよかったらうちのパンフレットのモデルになってくれないかな?」
「えっ!?」
「いや、あまりにも見栄えがいい。彼がうちの会社のロゴが入った封筒を持っているだけで、我が社の信頼度が爆上がりしそうだ!」
課長までアルヴィスのオーラに毒されている。
結弦は慌ててアルヴィスを会議室の影に引っ張っていった。
「アルヴィス、今日はもう帰っていいよ。本当に助かった。ありがとう」
「いいえ、ユヅル。あなたの『かいしゃ』がこれほどまでに活気に満ちた戦場だとは知りませんでした。皆、あの『ぱそこん』という魔導具と必死に戦っている……。私は誇らしいです、あなたがこの地で立派に戦っていることが」
「……ただの事務作業なんだけどね。でも、そう言ってもらえると嬉しいよ」
結弦が少し照れくさそうに笑うと、アルヴィスは満足げに頷き、再びフードを深く被った。
「では、私は家に戻り、夕食の準備を整えておきます。……ユヅル、今日の戦いも、ご武運を!」
そう言って、風のように去っていく勇者の背中を見送りながら、結弦は思った。
お人好しで拾った異世界の住人は、今や自分にとって、ただの居候以上の「救世主」になりつつあるのだと。
その日の会議は、アルヴィスが運んできた資料のおかげか、これまでにないほどスムーズに進んだ。
結弦の机には、同僚の女性陣から「さっきのイケメン、誰!?」という付箋が大量に貼られていたが、彼はそれを一枚ずつ剥がしながら、少しだけ自慢げな気分で仕事に戻るのだった。
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