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12話
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「……アルヴィス。あのさ、さっきから何してるの?」
雨の音がしとしとと窓を叩く、静かな夜。
結弦はパジャマに着替え、自分用の狭い布団(元は来客用だ)に入ったところだった。
ふと横を見ると、本来はソファベッドで寝るはずのアルヴィスが、枕を小脇に抱え、結弦の布団のすぐ横に体育座りで待機していた。
「見ての通り、騎士の夜番です。ユヅル、今日の雨は少し……冷たい予感がします」
「冷たいのは当たり前だよ、雨なんだから。それより、アルヴィスはソファで寝なよ。体が大きいんだから、床じゃ痛いでしょ」
「いいえ。雨の夜は、魔力が不安定になり……いえ、空気が冷えて、あなたが風邪を引くかもしれません。それに、先ほどまで外を歩いていたせいか、少しだけ……その、一人は心細いのです」
アルヴィスは黄金の髪を少し揺らし、空色の瞳を伏せた。
あんなに強くて逞しい勇者が、少しだけ寂しそうにしている。
お人好しの結弦は、その表情にめっぽう弱かった。
「……はぁ。分かったよ。じゃあ、布団、並べて敷こうか。ソファベッドを広げるよりは、床に布団二枚の方がマシでしょ」
「本当ですか!? 感謝します、ユヅル!」
アルヴィスは途端にパッと顔を輝かせた。
二人は狭い部屋のフローリングに、隙間なく二組の布団を並べた。
結弦が明かりを消すと、暗闇の中に雨音だけが優しく響く。
「……ねえ、アルヴィス」
「はい、ユヅル」
「こっちの世界に来て、一ヶ月くらい経つけど……。元の世界に、帰りたくなったりしない?」
結弦はずっと気になっていたことを口にした。
伝説の勇者として、国中から崇められていたはずの彼だ。
こんな狭いアパートで、慣れない家事に四苦八苦し、コンビニ弁当を「聖なる食べ物」だと喜ぶ生活。彼にとって、不本意ではないのだろうか。
暗闇の中で、アルヴィスが少しだけ身を動かした。
布団が擦れる音の後、大きな温かい手が、そっと結弦の手を包み込んだ。
「正直に言いましょう。最初は、困惑していました。剣も魔法も通用せず、空を飛ぶ鉄の塊や、光る箱に支配されたこの地は、まるで別の星のようだと」
「……そうだよね」
「ですが、今は違います。……ユヅル。私はこの世界に来て初めて、誰かのために戦うのではなく、誰かと共に『生きる』ことの喜びを知りました」
アルヴィスの声は、いつになく穏やかで、真っ直ぐだった。
「私の国では、勇者は常に孤独な象徴でした。ですがここでは、私はただの『アルヴィス』です。あなたが叱ってくれて、一緒に肉じゃがを作り、雨の中に傘を届ければ、あなたは笑ってくれる。……それが、私には何よりも誇らしいのです」
「アルヴィス……」
「だから、帰り道を探そうとは思いません。あなたの隣で、明日の朝食に何を食べるか。次にどのスタンプをあなたに送るか。それを考えている時間こそが、今の私にとっての最高の冒険ですから」
繋がれた手から、アルヴィスの体温が伝わってくる。
異世界で魔王を倒してきた伝説の力。その力は今、結弦を傷つけるためではなく、ただその不安を溶かすために使われている。
結弦は少しだけ手を握り返した。
「そっか。……アルヴィスがそう言ってくれるなら、僕も嬉しいよ」
「……ユヅル。今、とても良い香りがします」
「え?」
「今日のシャンプーは、あなたが選んでくれた『シトラスの香り』ですね。この香りに包まれていると、とても深い眠りにつけそうです」
「……もう、変なこと言わないでよ」
結弦は照れくさくなって布団を鼻先まで被った。
アルヴィスは「ふふっ」と低く笑うと、繋いだ手はそのままで、静かに寝息を立て始めた。
窓の外では雨が降り続いている。
けれど、この四畳半ほどの空間だけは、どんな聖域よりも温かく、平和な空気に満ちていた。
明日もまた、仕事は忙しいだろうし、アルヴィスは何か新しい失敗をして結弦を驚かせるかもしれない。
でも、この大きな手がある限り、どんなトラブルも笑って乗り越えられる。そんな気がしていた。
「……おやすみ、アルヴィス」
小さな声で呟くと、眠っているはずの勇者が、無意識にか、その手をぎゅっと握りしめた。
雨の音がしとしとと窓を叩く、静かな夜。
結弦はパジャマに着替え、自分用の狭い布団(元は来客用だ)に入ったところだった。
ふと横を見ると、本来はソファベッドで寝るはずのアルヴィスが、枕を小脇に抱え、結弦の布団のすぐ横に体育座りで待機していた。
「見ての通り、騎士の夜番です。ユヅル、今日の雨は少し……冷たい予感がします」
「冷たいのは当たり前だよ、雨なんだから。それより、アルヴィスはソファで寝なよ。体が大きいんだから、床じゃ痛いでしょ」
「いいえ。雨の夜は、魔力が不安定になり……いえ、空気が冷えて、あなたが風邪を引くかもしれません。それに、先ほどまで外を歩いていたせいか、少しだけ……その、一人は心細いのです」
アルヴィスは黄金の髪を少し揺らし、空色の瞳を伏せた。
あんなに強くて逞しい勇者が、少しだけ寂しそうにしている。
お人好しの結弦は、その表情にめっぽう弱かった。
「……はぁ。分かったよ。じゃあ、布団、並べて敷こうか。ソファベッドを広げるよりは、床に布団二枚の方がマシでしょ」
「本当ですか!? 感謝します、ユヅル!」
アルヴィスは途端にパッと顔を輝かせた。
二人は狭い部屋のフローリングに、隙間なく二組の布団を並べた。
結弦が明かりを消すと、暗闇の中に雨音だけが優しく響く。
「……ねえ、アルヴィス」
「はい、ユヅル」
「こっちの世界に来て、一ヶ月くらい経つけど……。元の世界に、帰りたくなったりしない?」
結弦はずっと気になっていたことを口にした。
伝説の勇者として、国中から崇められていたはずの彼だ。
こんな狭いアパートで、慣れない家事に四苦八苦し、コンビニ弁当を「聖なる食べ物」だと喜ぶ生活。彼にとって、不本意ではないのだろうか。
暗闇の中で、アルヴィスが少しだけ身を動かした。
布団が擦れる音の後、大きな温かい手が、そっと結弦の手を包み込んだ。
「正直に言いましょう。最初は、困惑していました。剣も魔法も通用せず、空を飛ぶ鉄の塊や、光る箱に支配されたこの地は、まるで別の星のようだと」
「……そうだよね」
「ですが、今は違います。……ユヅル。私はこの世界に来て初めて、誰かのために戦うのではなく、誰かと共に『生きる』ことの喜びを知りました」
アルヴィスの声は、いつになく穏やかで、真っ直ぐだった。
「私の国では、勇者は常に孤独な象徴でした。ですがここでは、私はただの『アルヴィス』です。あなたが叱ってくれて、一緒に肉じゃがを作り、雨の中に傘を届ければ、あなたは笑ってくれる。……それが、私には何よりも誇らしいのです」
「アルヴィス……」
「だから、帰り道を探そうとは思いません。あなたの隣で、明日の朝食に何を食べるか。次にどのスタンプをあなたに送るか。それを考えている時間こそが、今の私にとっての最高の冒険ですから」
繋がれた手から、アルヴィスの体温が伝わってくる。
異世界で魔王を倒してきた伝説の力。その力は今、結弦を傷つけるためではなく、ただその不安を溶かすために使われている。
結弦は少しだけ手を握り返した。
「そっか。……アルヴィスがそう言ってくれるなら、僕も嬉しいよ」
「……ユヅル。今、とても良い香りがします」
「え?」
「今日のシャンプーは、あなたが選んでくれた『シトラスの香り』ですね。この香りに包まれていると、とても深い眠りにつけそうです」
「……もう、変なこと言わないでよ」
結弦は照れくさくなって布団を鼻先まで被った。
アルヴィスは「ふふっ」と低く笑うと、繋いだ手はそのままで、静かに寝息を立て始めた。
窓の外では雨が降り続いている。
けれど、この四畳半ほどの空間だけは、どんな聖域よりも温かく、平和な空気に満ちていた。
明日もまた、仕事は忙しいだろうし、アルヴィスは何か新しい失敗をして結弦を驚かせるかもしれない。
でも、この大きな手がある限り、どんなトラブルも笑って乗り越えられる。そんな気がしていた。
「……おやすみ、アルヴィス」
小さな声で呟くと、眠っているはずの勇者が、無意識にか、その手をぎゅっと握りしめた。
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