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20話
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「……ユヅル。あの『かんらんしゃ』という巨大な水車……いえ、空飛ぶ檻ですが。あれは、二人きりで空の結界に閉じ込められる、極めて親密な儀式の場だったのですね」
コーヒーカップの酔いからようやく覚めたアルヴィスが、ゆっくりと上昇する観覧車のゴンドラの中で、神妙な面持ちで呟いた。
眼下に広がる遊園地の景色は、宝石を散りばめたように色とりどりで、夕暮れ時の空は紫とオレンジの混ざり合った幻想的な色に染まっている。
「儀式っていうか、ただの景色を楽しむ乗り物だよ。……ほら、あっちの方に僕たちの住んでる街が見えるよ」
結弦が窓の外を指差すと、アルヴィスは身を乗り出して、空色の瞳を輝かせた。
「おお……! 私たちが日々を過ごす拠点が、あんなに小さく……。あそこには今、スレイプニルが『犬』として留守を守り、田中さんが大根を収穫しているのですね。なんと愛おしい世界だ」
「……田中さんは年中大根を収穫してるわけじゃないけどね。でも、そうだね。あそこに僕たちの日常があるんだ」
結弦がふと手元を見ると、アルヴィスの大きな手が、落ち着かない様子で自分の膝の上で握りしめられていた。
戦場では決して揺らぐことのなかったその手が、今は観覧車の揺れ……ではなく、別の理由で震えているように見えた。
「ユヅル。私は……このまま、時が止まればいいとさえ思ってしまいます。この狭い檻の中で、あなたと二人、空の果てまで漂っていられたら、と」
「アルヴィス?」
「……いえ、忘れてください。私は騎士です。主(あるじ)を元の世界……現実へと安全に帰還させるのが務めでした」
アルヴィスは少し寂しげに笑うと、右手の薬指……あの日、結弦と一緒に買った「お守り」のリングをそっと撫でた。
その仕草があまりに切実で、結弦は反射的に、彼の大きな手の上に自分の手を重ねていた。
「帰らなきゃダメだよ。だって、明日は月曜日で仕事だし。アルヴィスも、モデルの撮影が入ってるでしょ?」
「……。……そうですね。明日は、あのレオという術師に『秋の新作・アンニュイな騎士様スタイル』を施される予定でした」
「でしょ? それに、スレイプニルにお土産の人参も買ったし。……ねえ、アルヴィス。僕、君が来てから、毎日がすごく騒がしくて大変だけど……でも、今が一番、自分が『生きてる』って感じがするんだ」
結弦の言葉に、アルヴィスは目を見開いた。
「……ユヅル」
「だから、そんな悲しい顔しないで。観覧車が降りても、僕たちの日常は続くんだから。……ね?」
結弦が微笑むと、アルヴィスは溢れ出しそうな想いを堪えるように深く頷き、重ねられた結弦の手を、壊れ物を扱うような優しさで握り締めた。
「はい。了解しました、ユヅル。私は、あなたが望む限り、あなたの隣という名の『最前線』に立ち続けます!」
観覧車がゆっくりと地上へと降り立ち、扉が開く。
外はすっかり暗くなり、イルミネーションが夜の遊園地を魔法のように彩っていた。
「さあ、帰りましょう、ユヅル! スレイプニルが空腹のあまり、家の柱を『齧り木』にしていないか心配です!」
「……それは本当にありそうだから急ごう」
二人は手を繋いだまま、夜の遊園地を後にした。
しかし、そんな二人の幸せな背中を、遠くの木陰からじっと見つめる影があった。
それは、現代の服を無理やり着崩し、手には古びた銀の羅針盤を持った、見慣れぬ男だった。
男は羅針盤の針がアルヴィスを指して激しく回転しているのを確認すると、低く歪んだ声で呟いた。
「……見つけたぞ、アルヴィス。こんな平穏なまどろみの中に逃げ込んでいたとはな」
男の手元で、黒い魔力の火花がバチバチと弾ける。
だが、その気配に、アルヴィスはまだ気づいていない。
彼はただ、隣を歩く結弦が「楽しかったね」と笑う顔を、守るべき唯一の宝物のように見つめ続けていた。
帰宅後のアパートでは、予想通りスレイプニルが玄関マットを少しだけ噛みちぎって反省していたが、アルヴィスが買ってきた『特選・極甘人参』を差し出すと、すぐに機嫌を直して「ワン(高音)」と鳴いてみせた。
「ふふ、アルヴィス、スレイプニルも楽しそうだよ」
「ええ。我ら一行の結束は、いかなる魔王軍よりも強固です!」
夕食後、アルヴィスはキッチンで鼻歌を歌いながら洗い物をし、結弦はソファでスレイプニルのブラッシングをする。
そんな、どこにでもある(馬がいる以外は)平和な夜。
だが、窓の外の闇は、少しずつ、確実に深まっていた。
異世界からの追手は、馬だけではなかった。
そして、彼らが運んできたのは、温かな再会ではなく、静かに忍び寄る「再戦」の予感だった。
「……ユヅル。明日の朝食は、私が『フレンチトースト』という名の、卵とパンの融合魔導料理を作ります!」
「楽しみにしてるよ。……あ、でも砂糖は控えめにしてね」
「了解しました! あなたの健康管理も、騎士の重要な任務ですから!」
アルヴィスの明るい声が、不安を打ち消すように響く。
結弦は、指に光るリングをもう一度見つめ、静かに目を閉じた。
明日の朝、またいつもと同じように、騒がしくて愛おしい一日が始まることを信じて。
コーヒーカップの酔いからようやく覚めたアルヴィスが、ゆっくりと上昇する観覧車のゴンドラの中で、神妙な面持ちで呟いた。
眼下に広がる遊園地の景色は、宝石を散りばめたように色とりどりで、夕暮れ時の空は紫とオレンジの混ざり合った幻想的な色に染まっている。
「儀式っていうか、ただの景色を楽しむ乗り物だよ。……ほら、あっちの方に僕たちの住んでる街が見えるよ」
結弦が窓の外を指差すと、アルヴィスは身を乗り出して、空色の瞳を輝かせた。
「おお……! 私たちが日々を過ごす拠点が、あんなに小さく……。あそこには今、スレイプニルが『犬』として留守を守り、田中さんが大根を収穫しているのですね。なんと愛おしい世界だ」
「……田中さんは年中大根を収穫してるわけじゃないけどね。でも、そうだね。あそこに僕たちの日常があるんだ」
結弦がふと手元を見ると、アルヴィスの大きな手が、落ち着かない様子で自分の膝の上で握りしめられていた。
戦場では決して揺らぐことのなかったその手が、今は観覧車の揺れ……ではなく、別の理由で震えているように見えた。
「ユヅル。私は……このまま、時が止まればいいとさえ思ってしまいます。この狭い檻の中で、あなたと二人、空の果てまで漂っていられたら、と」
「アルヴィス?」
「……いえ、忘れてください。私は騎士です。主(あるじ)を元の世界……現実へと安全に帰還させるのが務めでした」
アルヴィスは少し寂しげに笑うと、右手の薬指……あの日、結弦と一緒に買った「お守り」のリングをそっと撫でた。
その仕草があまりに切実で、結弦は反射的に、彼の大きな手の上に自分の手を重ねていた。
「帰らなきゃダメだよ。だって、明日は月曜日で仕事だし。アルヴィスも、モデルの撮影が入ってるでしょ?」
「……。……そうですね。明日は、あのレオという術師に『秋の新作・アンニュイな騎士様スタイル』を施される予定でした」
「でしょ? それに、スレイプニルにお土産の人参も買ったし。……ねえ、アルヴィス。僕、君が来てから、毎日がすごく騒がしくて大変だけど……でも、今が一番、自分が『生きてる』って感じがするんだ」
結弦の言葉に、アルヴィスは目を見開いた。
「……ユヅル」
「だから、そんな悲しい顔しないで。観覧車が降りても、僕たちの日常は続くんだから。……ね?」
結弦が微笑むと、アルヴィスは溢れ出しそうな想いを堪えるように深く頷き、重ねられた結弦の手を、壊れ物を扱うような優しさで握り締めた。
「はい。了解しました、ユヅル。私は、あなたが望む限り、あなたの隣という名の『最前線』に立ち続けます!」
観覧車がゆっくりと地上へと降り立ち、扉が開く。
外はすっかり暗くなり、イルミネーションが夜の遊園地を魔法のように彩っていた。
「さあ、帰りましょう、ユヅル! スレイプニルが空腹のあまり、家の柱を『齧り木』にしていないか心配です!」
「……それは本当にありそうだから急ごう」
二人は手を繋いだまま、夜の遊園地を後にした。
しかし、そんな二人の幸せな背中を、遠くの木陰からじっと見つめる影があった。
それは、現代の服を無理やり着崩し、手には古びた銀の羅針盤を持った、見慣れぬ男だった。
男は羅針盤の針がアルヴィスを指して激しく回転しているのを確認すると、低く歪んだ声で呟いた。
「……見つけたぞ、アルヴィス。こんな平穏なまどろみの中に逃げ込んでいたとはな」
男の手元で、黒い魔力の火花がバチバチと弾ける。
だが、その気配に、アルヴィスはまだ気づいていない。
彼はただ、隣を歩く結弦が「楽しかったね」と笑う顔を、守るべき唯一の宝物のように見つめ続けていた。
帰宅後のアパートでは、予想通りスレイプニルが玄関マットを少しだけ噛みちぎって反省していたが、アルヴィスが買ってきた『特選・極甘人参』を差し出すと、すぐに機嫌を直して「ワン(高音)」と鳴いてみせた。
「ふふ、アルヴィス、スレイプニルも楽しそうだよ」
「ええ。我ら一行の結束は、いかなる魔王軍よりも強固です!」
夕食後、アルヴィスはキッチンで鼻歌を歌いながら洗い物をし、結弦はソファでスレイプニルのブラッシングをする。
そんな、どこにでもある(馬がいる以外は)平和な夜。
だが、窓の外の闇は、少しずつ、確実に深まっていた。
異世界からの追手は、馬だけではなかった。
そして、彼らが運んできたのは、温かな再会ではなく、静かに忍び寄る「再戦」の予感だった。
「……ユヅル。明日の朝食は、私が『フレンチトースト』という名の、卵とパンの融合魔導料理を作ります!」
「楽しみにしてるよ。……あ、でも砂糖は控えめにしてね」
「了解しました! あなたの健康管理も、騎士の重要な任務ですから!」
アルヴィスの明るい声が、不安を打ち消すように響く。
結弦は、指に光るリングをもう一度見つめ、静かに目を閉じた。
明日の朝、またいつもと同じように、騒がしくて愛おしい一日が始まることを信じて。
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