32 / 32
32話
しおりを挟む
「……ユヅル。この拠点の近隣にある『こうえん』という広場に、異質な魔力反応を感知した。これは、先日の映像盤(ホラー映画)のような偽物の呪いではない。本物の……魔界の残滓だ」
翌朝、寝不足の目をこすりながら身支度を整える結弦に対し、エルリックは押し入れから這い出すなり、銀の羅針盤を突きつけてそう告げた。その表情には、いつもの皮肉めいた余裕はなく、四天王としての冷徹な緊張感が宿っている。
「魔界の残滓……。またエルリックさんみたいな追手が来たってこと?」
「いいえ、主。この気配……覚えがあります。エルリック、これは貴様が魔王城の庭園で飼っていた……いや、使役していたあの『忌まわしき獣』ではありませんか?」
アルヴィスもまた、窓の外を見つめながら青色の瞳を鋭く光らせた。彼の背後で、スレイプニルが落ち着きなく前足で床を叩き、激しく鼻を鳴らした。
「ヒヒーン!(間違いない! あの陰湿で小ざかしい、黒い影の塊だ!)」
一行はすぐさま、アパートの近くにある児童公園へと向かった。
平日の午前中、人気のない砂場の真ん中に、それはいた。
一匹の、漆黒の仔猫だ。
月のように金色の瞳を持ち、こちらをじっと見つめている。だが、その影は地面に落ちる日光を吸い込むように不自然に濃く、時折ゆらりと形を変えているように見えた。
「……やはりか。影の使い魔、シャドウ・キャット。俺たちの世界からこの地へ、次元の綻びを潜り抜けて追ってきたようだな。……ユヅル、下がっていろ。こいつは対象の影に潜り込み、精神を蝕む。四天王であるこの俺が、ここで引導を渡してやる」
エルリックが右手をかざし、微かな魔力を収束させようとしたその時。
黒猫は「……にゃあ」と、あまりにも頼りなく、そして切ない声で鳴いた。
「待て、エルリック! 殺気は感じられません。この者は……魔力を失い、消滅の危機に瀕しているようです。見てください、影が今にも霧散しそうだ」
アルヴィスがエルリックの手を抑え、膝をついて猫に視線を合わせた。
黒猫はふらふらとした足取りでアルヴィスを通り越し、あろうことか結弦の足元へと擦り寄ってきた。そして、結弦のジーンズの裾に顔を埋め、震えながら喉を鳴らした。
「え、僕……? ……。なんだか、すごくお腹を空かせてるみたいだね。エルリックさん、この子も元々は君の部下だったんでしょ?」
「部下ではない。単なる哨戒用の使い魔だ。……だが、こいつがこの地へ辿り着けたということは、俺たちの世界とこの世界を繋ぐ『穴』が、まだ完全に閉じていないという証拠だ。……ユヅル、このまま放置すれば、穴からさらなる災厄が流れ込むぞ」
エルリックは苦々しげに言い、黒猫を摘み上げた。猫は抵抗する力もなく、ただエルリックの指を甘噛みしている。
「……穴があるってことは、逆に言えば、そこを通ってあっちの世界へ戻れるってこと?」
結弦の問いに、その場の空気が凍りついた。
アルヴィスは顔を上げ、結弦の瞳をじっと見つめ返した。
「……はい、主。もし次元の扉が安定している場所を見つけ出せば、私やエルリック、そしてスレイプニルは、故郷へ戻ることが可能でしょう。……魔王亡き後の荒れ果てた私たちの世界を、今一度正しき秩序へ導くために」
「ふん。貴様一人の力では、また内乱に巻き込まれて命を落とすのが関の山だ、アルヴィス。……俺は魔王様を復活させねばならん。」
二人は、いつもの小競り合いとは違う、真剣な眼差しで言葉を交わした。
結弦は、胸の奥が少しだけチクリと痛むのを感じた。彼らがいつか帰るべき場所に帰る。それは当たり前のことであり、この奇妙な同居生活こそが「借り物の時間」だったのだ。
「……そっか。それじゃ、この子も連れて帰ろう。家で一度、ちゃんと作戦会議だね」
結弦は黒猫をアルヴィスの腕に預け、歩き出した。
スレイプニルが結弦の隣に寄り添い、励ますようにその手に鼻を押し付けた。
「ヒヒーン!(泣くなよユヅル。まだ決まったわけじゃないだろ。それに、行く時はお前も一緒かもしれないぜ)」
アパートに戻った四人と一匹、そして一羽の使い魔。
結弦の六畳一間の部屋は、今やこの世界の平和を揺るがす重大な拠点と化していた。
「よし。エルリックさん、その羅針盤で穴の場所を探して。アルヴィスは……あっちに帰る準備をして。僕は、君たちが向こうで困らないように、美味しい保存食をたくさん用意するから」
「ユヅル。……ありがとうございます。あなたの慈悲深さは、やはり聖者のそれだ」
「……人間。……いや、ユヅル。貴様が用意した食糧があれば、魔界の平定は三割早く終わるだろう。……精々、最高級のものを詰め込んでおけ」
エルリックはぶっきらぼうに言いながらも、羅針盤を構える手には力がこもっていた。
これが、この狭い部屋で過ごす一旦の終わり。
結弦という一人の人間が、勇者と四天王を連れて異世界の地へと足を踏み入れる……壮大な逆転物語への序章だった。
黒猫が結弦の膝の上で丸くなり、幸せそうに目を閉じる。
窓の外には、かつてないほど巨大な入道雲が湧き上がり、遠く異世界の空へと続いているかのように見えた。
結弦たちの物語は、今、六畳一間を飛び出し、理を越えた冒険へと大きく動き出そうとしていた。
翌朝、寝不足の目をこすりながら身支度を整える結弦に対し、エルリックは押し入れから這い出すなり、銀の羅針盤を突きつけてそう告げた。その表情には、いつもの皮肉めいた余裕はなく、四天王としての冷徹な緊張感が宿っている。
「魔界の残滓……。またエルリックさんみたいな追手が来たってこと?」
「いいえ、主。この気配……覚えがあります。エルリック、これは貴様が魔王城の庭園で飼っていた……いや、使役していたあの『忌まわしき獣』ではありませんか?」
アルヴィスもまた、窓の外を見つめながら青色の瞳を鋭く光らせた。彼の背後で、スレイプニルが落ち着きなく前足で床を叩き、激しく鼻を鳴らした。
「ヒヒーン!(間違いない! あの陰湿で小ざかしい、黒い影の塊だ!)」
一行はすぐさま、アパートの近くにある児童公園へと向かった。
平日の午前中、人気のない砂場の真ん中に、それはいた。
一匹の、漆黒の仔猫だ。
月のように金色の瞳を持ち、こちらをじっと見つめている。だが、その影は地面に落ちる日光を吸い込むように不自然に濃く、時折ゆらりと形を変えているように見えた。
「……やはりか。影の使い魔、シャドウ・キャット。俺たちの世界からこの地へ、次元の綻びを潜り抜けて追ってきたようだな。……ユヅル、下がっていろ。こいつは対象の影に潜り込み、精神を蝕む。四天王であるこの俺が、ここで引導を渡してやる」
エルリックが右手をかざし、微かな魔力を収束させようとしたその時。
黒猫は「……にゃあ」と、あまりにも頼りなく、そして切ない声で鳴いた。
「待て、エルリック! 殺気は感じられません。この者は……魔力を失い、消滅の危機に瀕しているようです。見てください、影が今にも霧散しそうだ」
アルヴィスがエルリックの手を抑え、膝をついて猫に視線を合わせた。
黒猫はふらふらとした足取りでアルヴィスを通り越し、あろうことか結弦の足元へと擦り寄ってきた。そして、結弦のジーンズの裾に顔を埋め、震えながら喉を鳴らした。
「え、僕……? ……。なんだか、すごくお腹を空かせてるみたいだね。エルリックさん、この子も元々は君の部下だったんでしょ?」
「部下ではない。単なる哨戒用の使い魔だ。……だが、こいつがこの地へ辿り着けたということは、俺たちの世界とこの世界を繋ぐ『穴』が、まだ完全に閉じていないという証拠だ。……ユヅル、このまま放置すれば、穴からさらなる災厄が流れ込むぞ」
エルリックは苦々しげに言い、黒猫を摘み上げた。猫は抵抗する力もなく、ただエルリックの指を甘噛みしている。
「……穴があるってことは、逆に言えば、そこを通ってあっちの世界へ戻れるってこと?」
結弦の問いに、その場の空気が凍りついた。
アルヴィスは顔を上げ、結弦の瞳をじっと見つめ返した。
「……はい、主。もし次元の扉が安定している場所を見つけ出せば、私やエルリック、そしてスレイプニルは、故郷へ戻ることが可能でしょう。……魔王亡き後の荒れ果てた私たちの世界を、今一度正しき秩序へ導くために」
「ふん。貴様一人の力では、また内乱に巻き込まれて命を落とすのが関の山だ、アルヴィス。……俺は魔王様を復活させねばならん。」
二人は、いつもの小競り合いとは違う、真剣な眼差しで言葉を交わした。
結弦は、胸の奥が少しだけチクリと痛むのを感じた。彼らがいつか帰るべき場所に帰る。それは当たり前のことであり、この奇妙な同居生活こそが「借り物の時間」だったのだ。
「……そっか。それじゃ、この子も連れて帰ろう。家で一度、ちゃんと作戦会議だね」
結弦は黒猫をアルヴィスの腕に預け、歩き出した。
スレイプニルが結弦の隣に寄り添い、励ますようにその手に鼻を押し付けた。
「ヒヒーン!(泣くなよユヅル。まだ決まったわけじゃないだろ。それに、行く時はお前も一緒かもしれないぜ)」
アパートに戻った四人と一匹、そして一羽の使い魔。
結弦の六畳一間の部屋は、今やこの世界の平和を揺るがす重大な拠点と化していた。
「よし。エルリックさん、その羅針盤で穴の場所を探して。アルヴィスは……あっちに帰る準備をして。僕は、君たちが向こうで困らないように、美味しい保存食をたくさん用意するから」
「ユヅル。……ありがとうございます。あなたの慈悲深さは、やはり聖者のそれだ」
「……人間。……いや、ユヅル。貴様が用意した食糧があれば、魔界の平定は三割早く終わるだろう。……精々、最高級のものを詰め込んでおけ」
エルリックはぶっきらぼうに言いながらも、羅針盤を構える手には力がこもっていた。
これが、この狭い部屋で過ごす一旦の終わり。
結弦という一人の人間が、勇者と四天王を連れて異世界の地へと足を踏み入れる……壮大な逆転物語への序章だった。
黒猫が結弦の膝の上で丸くなり、幸せそうに目を閉じる。
窓の外には、かつてないほど巨大な入道雲が湧き上がり、遠く異世界の空へと続いているかのように見えた。
結弦たちの物語は、今、六畳一間を飛び出し、理を越えた冒険へと大きく動き出そうとしていた。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
まったり書いていきます。
2024.05.14
閲覧ありがとうございます。
午後4時に更新します。
よろしくお願いします。
栞、お気に入り嬉しいです。
いつもありがとうございます。
2024.05.29
閲覧ありがとうございます。
m(_ _)m
明日のおまけで完結します。
反応ありがとうございます。
とても嬉しいです。
明後日より新作が始まります。
良かったら覗いてみてください。
(^O^)
ビッチです!誤解しないでください!
モカ
BL
男好きのビッチと噂される主人公 西宮晃
「ほら、あいつだろ?あの例のやつ」
「あれな、頼めば誰とでも寝るってやつだろ?あんな平凡なやつによく勃つよな笑」
「大丈夫か?あんな噂気にするな」
「晃ほど清純な男はいないというのに」
「お前に嫉妬してあんな下らない噂を流すなんてな」
噂じゃなくて事実ですけど!!!??
俺がくそビッチという噂(真実)に怒るイケメン達、なぜか噂を流して俺を貶めてると勘違いされてる転校生……
魔性の男で申し訳ない笑
めちゃくちゃスロー更新になりますが、完結させたいと思っているので、気長にお待ちいただけると嬉しいです!
たとえば、俺が幸せになってもいいのなら
夜月るな
BL
全てを1人で抱え込む高校生の少年が、誰かに頼り甘えることを覚えていくまでの物語―――
父を目の前で亡くし、母に突き放され、たった一人寄り添ってくれた兄もいなくなっていまった。
弟を守り、罪悪感も自責の念もたった1人で抱える新谷 律の心が、少しずつほぐれていく。
助けてほしいと言葉にする権利すらないと笑う少年が、救われるまでのお話。
BLゲームの主人公に憑依した弟×悪役令息兄
笹井凩
BL
「BLゲーの主人公に憑依したら、悪役令息の兄が不器用すぎてメロかった」……になる予定の第一話のようなものです。
彼氏に遊ばれまくってきた主人公が性格終わっている男共を粛清してやろうとするのに、情が湧いてなかなか上手くいかない。
そんな中、一番嫌いであったはずの悪役令息、兄の本性を知って愛情が芽生えてしまい——。
となるアレです。性癖。
何より、対人関係に恵まれなかったせいで歪んだ愛情を求め、与えてしまう二人が非常に好きなんですよね。
本当は義理の兄弟とかにしたほうが倫理観からすると良いのでしょうが、本能には抗えませんでした。
今日までの短編公募に間に合わなかったため供養。
プロットはあるので、ご好評でしたら続きも載せたいなと思っております。
性癖の近しい方に刺されば、非常に嬉しいです。
いいね、ご感想大変励みになります。ありがとうございます。
BLゲームの脇役に転生したはずなのに
れい
BL
腐男子である牧野ひろは、ある日コンビニ帰りの事故で命を落としてしまう。
しかし次に目を覚ますと――そこは、生前夢中になっていた学園BLゲームの世界。
転生した先は、主人公の“最初の友達”として登場する脇役キャラ・アリエス。
恋愛の当事者ではなく安全圏のはず……だったのに、なぜか攻略対象たちの視線は主人公ではなく自分に向かっていて――。
脇役であるはずの彼が、気づけば物語の中心に巻き込まれていく。
これは、予定外の転生から始まる波乱万丈な学園生活の物語。
⸻
脇役くん総受け作品。
地雷の方はご注意ください。
随時更新中。
主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。
小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。
そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。
先輩×後輩
攻略キャラ×当て馬キャラ
総受けではありません。
嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。
ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。
だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。
え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。
でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!!
……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。
本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。
こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる