異世界の勇者様が俺のワンルームに逆転生(居候)してきました。

たら昆布

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32話

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「……ユヅル。この拠点の近隣にある『こうえん』という広場に、異質な魔力反応を感知した。これは、先日の映像盤(ホラー映画)のような偽物の呪いではない。本物の……魔界の残滓だ」

翌朝、寝不足の目をこすりながら身支度を整える結弦に対し、エルリックは押し入れから這い出すなり、銀の羅針盤を突きつけてそう告げた。その表情には、いつもの皮肉めいた余裕はなく、四天王としての冷徹な緊張感が宿っている。

「魔界の残滓……。またエルリックさんみたいな追手が来たってこと?」

「いいえ、主。この気配……覚えがあります。エルリック、これは貴様が魔王城の庭園で飼っていた……いや、使役していたあの『忌まわしき獣』ではありませんか?」

アルヴィスもまた、窓の外を見つめながら青色の瞳を鋭く光らせた。彼の背後で、スレイプニルが落ち着きなく前足で床を叩き、激しく鼻を鳴らした。

「ヒヒーン!(間違いない! あの陰湿で小ざかしい、黒い影の塊だ!)」

一行はすぐさま、アパートの近くにある児童公園へと向かった。
平日の午前中、人気のない砂場の真ん中に、それはいた。

一匹の、漆黒の仔猫だ。
月のように金色の瞳を持ち、こちらをじっと見つめている。だが、その影は地面に落ちる日光を吸い込むように不自然に濃く、時折ゆらりと形を変えているように見えた。

「……やはりか。影の使い魔、シャドウ・キャット。俺たちの世界からこの地へ、次元の綻びを潜り抜けて追ってきたようだな。……ユヅル、下がっていろ。こいつは対象の影に潜り込み、精神を蝕む。四天王であるこの俺が、ここで引導を渡してやる」

エルリックが右手をかざし、微かな魔力を収束させようとしたその時。
黒猫は「……にゃあ」と、あまりにも頼りなく、そして切ない声で鳴いた。

「待て、エルリック! 殺気は感じられません。この者は……魔力を失い、消滅の危機に瀕しているようです。見てください、影が今にも霧散しそうだ」

アルヴィスがエルリックの手を抑え、膝をついて猫に視線を合わせた。
黒猫はふらふらとした足取りでアルヴィスを通り越し、あろうことか結弦の足元へと擦り寄ってきた。そして、結弦のジーンズの裾に顔を埋め、震えながら喉を鳴らした。

「え、僕……? ……。なんだか、すごくお腹を空かせてるみたいだね。エルリックさん、この子も元々は君の部下だったんでしょ?」

「部下ではない。単なる哨戒用の使い魔だ。……だが、こいつがこの地へ辿り着けたということは、俺たちの世界とこの世界を繋ぐ『穴』が、まだ完全に閉じていないという証拠だ。……ユヅル、このまま放置すれば、穴からさらなる災厄が流れ込むぞ」

エルリックは苦々しげに言い、黒猫を摘み上げた。猫は抵抗する力もなく、ただエルリックの指を甘噛みしている。

「……穴があるってことは、逆に言えば、そこを通ってあっちの世界へ戻れるってこと?」

結弦の問いに、その場の空気が凍りついた。
アルヴィスは顔を上げ、結弦の瞳をじっと見つめ返した。

「……はい、主。もし次元の扉が安定している場所を見つけ出せば、私やエルリック、そしてスレイプニルは、故郷へ戻ることが可能でしょう。……魔王亡き後の荒れ果てた私たちの世界を、今一度正しき秩序へ導くために」

「ふん。貴様一人の力では、また内乱に巻き込まれて命を落とすのが関の山だ、アルヴィス。……俺は魔王様を復活させねばならん。」

二人は、いつもの小競り合いとは違う、真剣な眼差しで言葉を交わした。
結弦は、胸の奥が少しだけチクリと痛むのを感じた。彼らがいつか帰るべき場所に帰る。それは当たり前のことであり、この奇妙な同居生活こそが「借り物の時間」だったのだ。

「……そっか。それじゃ、この子も連れて帰ろう。家で一度、ちゃんと作戦会議だね」

結弦は黒猫をアルヴィスの腕に預け、歩き出した。
スレイプニルが結弦の隣に寄り添い、励ますようにその手に鼻を押し付けた。

「ヒヒーン!(泣くなよユヅル。まだ決まったわけじゃないだろ。それに、行く時はお前も一緒かもしれないぜ)」

アパートに戻った四人と一匹、そして一羽の使い魔。
結弦の六畳一間の部屋は、今やこの世界の平和を揺るがす重大な拠点と化していた。

「よし。エルリックさん、その羅針盤で穴の場所を探して。アルヴィスは……あっちに帰る準備をして。僕は、君たちが向こうで困らないように、美味しい保存食をたくさん用意するから」

「ユヅル。……ありがとうございます。あなたの慈悲深さは、やはり聖者のそれだ」

「……人間。……いや、ユヅル。貴様が用意した食糧があれば、魔界の平定は三割早く終わるだろう。……精々、最高級のものを詰め込んでおけ」

エルリックはぶっきらぼうに言いながらも、羅針盤を構える手には力がこもっていた。

これが、この狭い部屋で過ごす一旦の終わり。
結弦という一人の人間が、勇者と四天王を連れて異世界の地へと足を踏み入れる……壮大な逆転物語への序章だった。

黒猫が結弦の膝の上で丸くなり、幸せそうに目を閉じる。
窓の外には、かつてないほど巨大な入道雲が湧き上がり、遠く異世界の空へと続いているかのように見えた。
結弦たちの物語は、今、六畳一間を飛び出し、理を越えた冒険へと大きく動き出そうとしていた。
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