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20話
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地鳴りのような歓声が響いたドーム公演の最終日から一夜明け、世界は驚くほど静かだった。
昨夜、打ち上げを早々に切り上げたレオを、僕は事務所の車からこっそり引き受けた。そのまま僕のアパートへと連れ帰った彼は、玄関で靴を脱ぐなり「千秋……充電させて……」と呟き、僕の背中に倒れ込んできた。そのまま彼は、朝まで一度も目を覚ますことなく、僕のベッドで泥のように眠り続けていた。
お昼近くになり、カーテンの隙間から冬の明るい日差しが差し込む頃、ようやく隣でモゾモゾという動きがあった。
「……ん。……ここ、どこだっけ」
寝癖で髪を爆発させたレオが、半分しか開かない目で周囲を見渡している。その姿は、昨夜、五万人の前でスポットライトを浴びていたトップアイドルとは到底思えないほど、無防備で、少しだけ抜けていた。
「僕の部屋だよ。おはよう、玲央。……よく眠れた?」
僕が声をかけると、レオはしばらくフリーズしていたが、やがて自分の状況を理解したのか、顔を真っ赤にして布団に潜り込んだ。
「……思い出した。千秋に抱きついたまま寝ちゃったんだ。恥ずかしい……」
「今さらだよ。ほら、もうお昼。お腹空いたでしょ? 何か作ろうか」
レオは布団から目だけを出して、僕をじっと見つめた。
「……千秋の作ったお味噌汁と、白いご飯。あと、卵焼き。それが食べたいな。……ドームのあとの最初のご飯は、絶対それがいいって決めてたんだ」
僕は苦笑しながらキッチンに立ち、出汁を取る。トントンとネギを刻む音、卵を溶く音。そんな当たり前の生活の音が、レオにとっては最高の贅沢なのだという。
「……ああ、この音。生きてるって感じがするよ」
レオは僕のパジャマを借りて(少し丈が短くて足首が出ているのが面白い)、僕の椅子の背もたれに顎を乗せて料理を眺めている。
「レオ、そんなところで見てると邪魔だよ。……それにしても、ドーム公演、本当にお疲れ様。リーダーのシオンさんも、レオは本当によくやったって褒めてたよ」
「シオン、そんなこと言ってたんだ。……でもね、千秋。ステージで歌っているとき、僕は何度も客席の中に千秋の姿を探しちゃったよ。関係者席のあそこに、千秋が座ってるって思うだけで、不思議と足の震えが止まるんだ」
彼はそう言って、僕の背中にそっと額を押し当てた。
「五万人の拍手も、光の海も、もちろんすごく嬉しかった。でも、僕にとっての一番の『ご褒美』は、こうして千秋の部屋で、寝癖を笑われながらご飯を待つ時間なんだよね。……ねえ、千秋。僕、頑張ってよかった」
その言葉には、スターとしての誇りよりも、大切な人に認められたいという、一人の青年の純粋な喜びが溢れていた。
出来上がった朝昼兼用の食事をテーブルに並べると、レオは「わあ、美味しそう!」と歓声を上げ、夢中で食べ始めた。卵焼きを頬張り、「甘い! 美味しい!」と身悶えする姿は、かつての泣き虫で食いしん坊だった玲央そのものだった。
「これこれ。この味が、僕のエネルギーの源なんだ」
「大げさだな。……でも、そんなに喜んでくれるなら、作った甲斐があるよ」
食事を終えたあとも、僕たちは着替えることなく、コタツに入って録画していたバラエティ番組を観たり、スマホでお互いの変な写真を撮り合ったりして過ごした。窓の外では冬の冷たい風が吹いているけれど、この小さな部屋の中だけは、春のように穏やかで温かい。
「ねえ、千秋。次のオフには、二人で温泉でも行かない? 誰も僕たちのことを知らないような、山奥の静かな宿。そこで、一日中お湯に浸かって、美味しいものを食べて……二人で将来の話とかしたりしてさ」
レオはコタツに突っ伏したまま、上目遣いで僕を誘ってきた。
「温泉か。……いいね。レオがしっかり休めるなら、どこへでも付き合うよ」
「本当? やった! じゃあ、僕が最高の宿を予約しておくね。……千秋と一緒なら、どこへ行っても最高に楽しいに決まってるもん」
レオは満足そうに笑うと、今度は僕の膝の上に頭を乗せてきた。
「……千秋、大好きだよ。……アイドルとしての僕も、ただの泣き虫な僕も、全部、千秋に見守っててほしいんだ」
穏やかな昼下がり。ドーム公演の熱狂さえも、今は遠い出来事のように感じられる。
僕の膝の上で再びうたた寝を始めたレオの、静かな寝息を聞きながら、僕は思った。
彼がどんなに遠くへ羽ばたいていっても、この「普通」の時間は、僕たちが守り続けるべき一番の宝物なのだと。
僕は、彼の寝癖をそっと撫で、窓から見える青空を眺めながら、穏やかな幸せを噛みしめていた。
昨夜、打ち上げを早々に切り上げたレオを、僕は事務所の車からこっそり引き受けた。そのまま僕のアパートへと連れ帰った彼は、玄関で靴を脱ぐなり「千秋……充電させて……」と呟き、僕の背中に倒れ込んできた。そのまま彼は、朝まで一度も目を覚ますことなく、僕のベッドで泥のように眠り続けていた。
お昼近くになり、カーテンの隙間から冬の明るい日差しが差し込む頃、ようやく隣でモゾモゾという動きがあった。
「……ん。……ここ、どこだっけ」
寝癖で髪を爆発させたレオが、半分しか開かない目で周囲を見渡している。その姿は、昨夜、五万人の前でスポットライトを浴びていたトップアイドルとは到底思えないほど、無防備で、少しだけ抜けていた。
「僕の部屋だよ。おはよう、玲央。……よく眠れた?」
僕が声をかけると、レオはしばらくフリーズしていたが、やがて自分の状況を理解したのか、顔を真っ赤にして布団に潜り込んだ。
「……思い出した。千秋に抱きついたまま寝ちゃったんだ。恥ずかしい……」
「今さらだよ。ほら、もうお昼。お腹空いたでしょ? 何か作ろうか」
レオは布団から目だけを出して、僕をじっと見つめた。
「……千秋の作ったお味噌汁と、白いご飯。あと、卵焼き。それが食べたいな。……ドームのあとの最初のご飯は、絶対それがいいって決めてたんだ」
僕は苦笑しながらキッチンに立ち、出汁を取る。トントンとネギを刻む音、卵を溶く音。そんな当たり前の生活の音が、レオにとっては最高の贅沢なのだという。
「……ああ、この音。生きてるって感じがするよ」
レオは僕のパジャマを借りて(少し丈が短くて足首が出ているのが面白い)、僕の椅子の背もたれに顎を乗せて料理を眺めている。
「レオ、そんなところで見てると邪魔だよ。……それにしても、ドーム公演、本当にお疲れ様。リーダーのシオンさんも、レオは本当によくやったって褒めてたよ」
「シオン、そんなこと言ってたんだ。……でもね、千秋。ステージで歌っているとき、僕は何度も客席の中に千秋の姿を探しちゃったよ。関係者席のあそこに、千秋が座ってるって思うだけで、不思議と足の震えが止まるんだ」
彼はそう言って、僕の背中にそっと額を押し当てた。
「五万人の拍手も、光の海も、もちろんすごく嬉しかった。でも、僕にとっての一番の『ご褒美』は、こうして千秋の部屋で、寝癖を笑われながらご飯を待つ時間なんだよね。……ねえ、千秋。僕、頑張ってよかった」
その言葉には、スターとしての誇りよりも、大切な人に認められたいという、一人の青年の純粋な喜びが溢れていた。
出来上がった朝昼兼用の食事をテーブルに並べると、レオは「わあ、美味しそう!」と歓声を上げ、夢中で食べ始めた。卵焼きを頬張り、「甘い! 美味しい!」と身悶えする姿は、かつての泣き虫で食いしん坊だった玲央そのものだった。
「これこれ。この味が、僕のエネルギーの源なんだ」
「大げさだな。……でも、そんなに喜んでくれるなら、作った甲斐があるよ」
食事を終えたあとも、僕たちは着替えることなく、コタツに入って録画していたバラエティ番組を観たり、スマホでお互いの変な写真を撮り合ったりして過ごした。窓の外では冬の冷たい風が吹いているけれど、この小さな部屋の中だけは、春のように穏やかで温かい。
「ねえ、千秋。次のオフには、二人で温泉でも行かない? 誰も僕たちのことを知らないような、山奥の静かな宿。そこで、一日中お湯に浸かって、美味しいものを食べて……二人で将来の話とかしたりしてさ」
レオはコタツに突っ伏したまま、上目遣いで僕を誘ってきた。
「温泉か。……いいね。レオがしっかり休めるなら、どこへでも付き合うよ」
「本当? やった! じゃあ、僕が最高の宿を予約しておくね。……千秋と一緒なら、どこへ行っても最高に楽しいに決まってるもん」
レオは満足そうに笑うと、今度は僕の膝の上に頭を乗せてきた。
「……千秋、大好きだよ。……アイドルとしての僕も、ただの泣き虫な僕も、全部、千秋に見守っててほしいんだ」
穏やかな昼下がり。ドーム公演の熱狂さえも、今は遠い出来事のように感じられる。
僕の膝の上で再びうたた寝を始めたレオの、静かな寝息を聞きながら、僕は思った。
彼がどんなに遠くへ羽ばたいていっても、この「普通」の時間は、僕たちが守り続けるべき一番の宝物なのだと。
僕は、彼の寝癖をそっと撫で、窓から見える青空を眺めながら、穏やかな幸せを噛みしめていた。
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