路地裏の王子様と秘密のカフェ ―10年ぶりに再会した親友はトップアイドルでした―

たら昆布

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22話

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 出発の朝は、まだ空が深い紺色に染まっている時間だった。

 都会の喧騒が眠りについている午前四時。僕の住むアパートの前に、一台の黒いワンボックスカーが静かに止まった。運転席には、深く帽子を被ったシオンさんが座っている。

「おはよう、千秋くん。……レオはもう、車の中で半分夢の中だよ」

 シオンさんが苦笑しながら後部座席を指差す。そこには、大きなマスクと分厚いダウンジャケットに身を包んだレオが、スモークガラス越しに小さく丸まって座っていた。
 僕は大きなボストンバッグをトランクに積み込み、レオの隣のシートに滑り込んだ。

「……ん。……千秋? おはよう。……僕、もう準備万端だよ」

 寝ぼけ眼のレオが、僕の腕を掴んで自分の肩に引き寄せる。車が静かに走り出すと、街灯の光が規則正しく車内を横切り、彼の綺麗な睫毛を照らした。
 
 シオンさんは数時間かけて、僕たちを都内から少し離れたレンタカー会社の営業所まで送り届けてくれた。そこで、さらに目立たない軽自動車に乗り換えるのが今回の作戦だ。

「よし、ここからは二人きりだ。……レオ、絶対に目立つことはするなよ。千秋くん、何かあったらすぐに僕に連絡して。……それじゃ、最高の冬休みを」

 シオンさんはそう言って、兄のような優しい手つきでレオの頭を乱暴に撫で、僕にウィンクをして去っていった。
 
 運転席には僕、助手席にはレオ。
 高速道路に乗り、北へと車を走らせるにつれて、窓の外の景色は灰色のコンクリートから、次第に深い緑と、山肌に張り付いた白い雪へと変わっていった。

「……ねえ、千秋。見て! あそこ、全部雪だよ! すごい、真っ白だ!」

 都心を離れた解放感からか、レオのテンションは目に見えて上がっていった。彼は窓に張り付くようにして外を眺め、時折スマホを取り出しては「見て見て、今の木、すごく綺麗だった!」とはしゃいでいる。
 ドームで五万人を沈黙させたカリスマの姿はそこにはない。ただ、初めて見る景色に心を躍らせる、十歳のあの頃のままの玲央がそこにいた。

「レオ、そんなに動くと危ないよ。……でも、本当に綺麗だね。僕もこんなに積もってる雪を見るのは久しぶりだ」

「でしょ? ……ああ、なんだか不思議だな。昨日までは、数分おきに誰かに名前を呼ばれて、カメラを向けられていたのに。……今は、世界に僕と千秋の二人しかいないみたいだ」

 レオはシートを少し倒し、リラックスした様子で僕の横顔を見つめた。

「……千秋。僕、アイドルになってからね、ずっと『透明な檻』の中にいるみたいだったんだ。どこへ行っても、何をしても、誰かのフィルターを通した『レオ』っていう像が僕を追いかけてくる。……でも、この車の中には、それがない。千秋が僕を呼ぶ声だけが、僕を僕に戻してくれるんだ」

 彼の言葉は、雪道に響くエンジン音のように、静かに僕の心に染み込んでいった。
 僕はハンドルを握る手に少しだけ力を込め、前方の白い道を見つめた。

「……レオ。僕は、君がどんなに有名になっても、最初からずっと君自身のことを知ってるよ。……泣き虫で、甘えん坊で、でも誰よりも優しくて、一生懸命な君をね」

「……あはは、泣き虫は余計だよ。……でも、嬉しいな。千秋がそう言ってくれるなら、僕、また明日から頑張れる気がする」

 車は次第に、除雪されたばかりの細い山道へと入っていった。周囲には民家もまばらになり、立ち枯れた木々が雪の重みに耐えながら整然と並んでいる。
 時折、道路を横切る小動物の姿に驚いたり、コンビニで買った温かい肉まんを半分こして食べたりしながら、僕たちは一歩ずつ、都会のしがらみを脱ぎ捨てていった。

「……あ、見えた! 千秋、あそこじゃない? 僕たちが予約した宿!」

 レオが指差した先には、深い谷底から立ち上る温泉の湯気の向こうに、古めかしくも重厚な佇まいの木造建築が見えた。雪に埋もれるようにして建つその宿は、まさに僕たちが求めていた「秘密の隠れ家」そのものだった。

 車を止め、エンジンを切ると、周囲は圧倒的な静寂に包まれた。
 ただ、時折「しん、しん」と雪が降り積もる音だけが聞こえてくるような、そんな静寂。

「……着いたね。レオ」

「うん。……着いたよ。僕たちの、特別な場所」

 レオは車から降りると、真っ白な新雪の上に、自分の靴跡を力強く刻み込んだ。そして、その横に僕を招き、僕の手をぎゅっと握りしめた。

「……ねえ、千秋。この旅行が終わるまで、僕は『GALAXYのレオ』を休業するね。……今の僕は、ただの、千秋が大好きな玲央だから。……いいでしょ?」

 雪の反射で、彼の瞳がいつになく透き通って見えた。
 僕は頷き、彼の冷たい手を自分のポケットの中で温め直した。
 
 白銀の世界に、二人の笑い声が静かに溶けていく。
 誰にも邪魔されない、僕たちだけの秘密の時間が、今、ゆっくりと幕を開けた。
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