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10話
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午後の陽光が、高い窓から書斎の床に長い影を落としている。
俺の書斎は、ログハウスの中でも最も「情報の密度」が高い場所だ。壁一面を埋め尽くす書架には、この三年間で書き溜めた研究ノートや、森で見つけた珍しい植物の標本、そして解析待ちの魔導具が所狭しと並んでいる。
普段は自分一人が通れるスペースがあれば十分なのだが、今はそこに、場違いなほど体格の良い男が入り込んでいた。
「リィエル、この棚の奥にある巻物は、あちらの防湿魔法が掛かった箱に移しても構わないか?」
ガイアスは、埃を被らないよう袖を捲り、慎重な手つきで古びた羊皮紙を手に取った。
彼が一歩動くたびに、床の板張りが微かにきしみ、書斎の空気が揺れる。
「ええ、お願いします。それは以前、森の北側にある遺跡で拾ったログデータ……いえ、古い記録です。湿気に弱いので、その箱で保管するのが最適ですね」
俺はデスクに向かい、昨日ガイアスが持ってきた古文書の解読を続けていた。
本来、俺の聖域であるこの場所に他人を入れるなど、以前の俺なら考えられなかった。しかし、ガイアスの「恩返し」という名の労働意欲は底知れず、薪割りを終えた彼は、次に俺の「生活環境の最適化」を申し出てきたのだ。
「お前は知識を蓄えることには熱心だが、その整理にはあまり興味がないようだな」
ガイアスは苦笑しながら、バラバラに置かれていたインク瓶を背の順に並べ替えていく。
「興味がないわけではありません。ただ、俺一人ならどこに何があるかインデックス化されているので問題ないんです。……まあ、あなたが整理してくれるなら、検索コストが下がって助かりますが」
「けんさくこすと……。また難しい言葉だが、要するに俺が役に立っているということだな」
ガイアスは満足げに頷くと、今度は床に積み上げられていた重厚な魔導書を持ち上げた。
一般の人間なら両手で抱えるような厚みの本を、彼は片手で軽々と扱い、高い位置にある棚へと収めていく。その動作に無駄はなく、鍛え抜かれた背中の筋肉が、薄いシャツ越しに滑らかに動くのが見えた。
俺はペンを走らせる手を止め、その背中をぼんやりと眺めてしまう。
この男がいるだけで、この部屋の「片付け」という面倒なタスクが、驚くべき速度で消化されていく。
「きゅう、きゅう」
足元では、シロがガイアスの移動に合わせてちょこちょこと付いて回っていた。
ガイアスが本を置くたびに、シロはその場所を確認するように匂いを嗅ぎ、短い尻尾をパタパタと振る。完全に、ガイアスの「助手」気取りだ。
「……シロ、お前も邪魔をしないように。ガイアスさんの足元にいたら踏まれますよ」
「はは、大丈夫だ。この小さな気配を感じ取れないほど、俺の勘は鈍っていない」
ガイアスはしゃがみ込み、シロの頭を一撫でしてから、俺の方を振り返った。
「リィエル、この標本瓶の中身は……魔力の残滓か? 美しい青色をしているな」
「それは、月光花の蜜を魔力で結晶化させたものです。暗所で見ると自ら発光するので、夜間の光源として再利用しようと考えていまして」
「なるほど、お前の発想にはいつも驚かされる。……だが、あまり根を詰めすぎるなよ。さっきからペンを握る指に力が入りすぎている。お前は集中すると、周りのリソース……いや、自分の体力の限界を忘れる癖がある」
ガイアスはいつの間にか俺の隣に立ち、デスクの端に手を置いていた。
彼の大きな影が俺を包み込み、心地よい圧迫感を与える。
「……慣れていますから。前世では、これくらいの集中はデフォルトでした」
「デフォルト、か。……よくは分からんが、今の俺の任務はお前の健康を守ることだ。少し休憩しよう。庭の風が涼しくなってきた」
ガイアスは強引に俺の手からペンを取り上げ、代わりに温かな布を差し出してきた。
「目を休めろ。……整理はもうすぐ終わる。その後、俺と一緒に夕食の準備をしないか? 今日は王都から持ってきた特別な塩があるんだ」
「……あなたは本当に、俺を働かせないつもりですね」
「ああ。お前が穏やかに笑って、好きな研究に没頭できる環境を作る。それが今の俺の、一番のやりがいなのだから」
真っ直ぐな琥珀色の瞳に見つめられ、俺はまたしても反論のソースコードを見失った。
論理的ではない。効率的でもない。
ただ、この男の差し出す不器用な優しさが、俺の頑ななシステムを、少しずつ、穏やかに書き換えていく。
「……わかりました。一区切りついたら、庭に出ますよ」
「ああ、待っているぞ」
ガイアスは嬉しそうに微笑み、再び本棚へと戻っていった。
整頓されていく書斎。
新しく配置された本たちの隙間に、ガイアスの気配が静かに溶け込んでいく。
一人で完結していた俺の世界は、今や彼という存在を含めた「新しい仕様」へと移行しつつあった。
俺の書斎は、ログハウスの中でも最も「情報の密度」が高い場所だ。壁一面を埋め尽くす書架には、この三年間で書き溜めた研究ノートや、森で見つけた珍しい植物の標本、そして解析待ちの魔導具が所狭しと並んでいる。
普段は自分一人が通れるスペースがあれば十分なのだが、今はそこに、場違いなほど体格の良い男が入り込んでいた。
「リィエル、この棚の奥にある巻物は、あちらの防湿魔法が掛かった箱に移しても構わないか?」
ガイアスは、埃を被らないよう袖を捲り、慎重な手つきで古びた羊皮紙を手に取った。
彼が一歩動くたびに、床の板張りが微かにきしみ、書斎の空気が揺れる。
「ええ、お願いします。それは以前、森の北側にある遺跡で拾ったログデータ……いえ、古い記録です。湿気に弱いので、その箱で保管するのが最適ですね」
俺はデスクに向かい、昨日ガイアスが持ってきた古文書の解読を続けていた。
本来、俺の聖域であるこの場所に他人を入れるなど、以前の俺なら考えられなかった。しかし、ガイアスの「恩返し」という名の労働意欲は底知れず、薪割りを終えた彼は、次に俺の「生活環境の最適化」を申し出てきたのだ。
「お前は知識を蓄えることには熱心だが、その整理にはあまり興味がないようだな」
ガイアスは苦笑しながら、バラバラに置かれていたインク瓶を背の順に並べ替えていく。
「興味がないわけではありません。ただ、俺一人ならどこに何があるかインデックス化されているので問題ないんです。……まあ、あなたが整理してくれるなら、検索コストが下がって助かりますが」
「けんさくこすと……。また難しい言葉だが、要するに俺が役に立っているということだな」
ガイアスは満足げに頷くと、今度は床に積み上げられていた重厚な魔導書を持ち上げた。
一般の人間なら両手で抱えるような厚みの本を、彼は片手で軽々と扱い、高い位置にある棚へと収めていく。その動作に無駄はなく、鍛え抜かれた背中の筋肉が、薄いシャツ越しに滑らかに動くのが見えた。
俺はペンを走らせる手を止め、その背中をぼんやりと眺めてしまう。
この男がいるだけで、この部屋の「片付け」という面倒なタスクが、驚くべき速度で消化されていく。
「きゅう、きゅう」
足元では、シロがガイアスの移動に合わせてちょこちょこと付いて回っていた。
ガイアスが本を置くたびに、シロはその場所を確認するように匂いを嗅ぎ、短い尻尾をパタパタと振る。完全に、ガイアスの「助手」気取りだ。
「……シロ、お前も邪魔をしないように。ガイアスさんの足元にいたら踏まれますよ」
「はは、大丈夫だ。この小さな気配を感じ取れないほど、俺の勘は鈍っていない」
ガイアスはしゃがみ込み、シロの頭を一撫でしてから、俺の方を振り返った。
「リィエル、この標本瓶の中身は……魔力の残滓か? 美しい青色をしているな」
「それは、月光花の蜜を魔力で結晶化させたものです。暗所で見ると自ら発光するので、夜間の光源として再利用しようと考えていまして」
「なるほど、お前の発想にはいつも驚かされる。……だが、あまり根を詰めすぎるなよ。さっきからペンを握る指に力が入りすぎている。お前は集中すると、周りのリソース……いや、自分の体力の限界を忘れる癖がある」
ガイアスはいつの間にか俺の隣に立ち、デスクの端に手を置いていた。
彼の大きな影が俺を包み込み、心地よい圧迫感を与える。
「……慣れていますから。前世では、これくらいの集中はデフォルトでした」
「デフォルト、か。……よくは分からんが、今の俺の任務はお前の健康を守ることだ。少し休憩しよう。庭の風が涼しくなってきた」
ガイアスは強引に俺の手からペンを取り上げ、代わりに温かな布を差し出してきた。
「目を休めろ。……整理はもうすぐ終わる。その後、俺と一緒に夕食の準備をしないか? 今日は王都から持ってきた特別な塩があるんだ」
「……あなたは本当に、俺を働かせないつもりですね」
「ああ。お前が穏やかに笑って、好きな研究に没頭できる環境を作る。それが今の俺の、一番のやりがいなのだから」
真っ直ぐな琥珀色の瞳に見つめられ、俺はまたしても反論のソースコードを見失った。
論理的ではない。効率的でもない。
ただ、この男の差し出す不器用な優しさが、俺の頑ななシステムを、少しずつ、穏やかに書き換えていく。
「……わかりました。一区切りついたら、庭に出ますよ」
「ああ、待っているぞ」
ガイアスは嬉しそうに微笑み、再び本棚へと戻っていった。
整頓されていく書斎。
新しく配置された本たちの隙間に、ガイアスの気配が静かに溶け込んでいく。
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