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4話
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公爵邸での生活に慣れてきて分かったことがいくつかある。
一つは、このノイシュタイン領が、一年中深い霧と雪に閉ざされていること。
二つ目は、この冷気の一部が、ヴァルター様の「呪い」から漏れ出した魔力の影響だということ。
そして三つ目は……ヴァルター様が、信じられないほどの仕事人間だということだ。
「……閣下。もうお昼ですよ。休憩しませんか?」
執務室のソファで、僕は膝の上に置いた図鑑から目を上げて声をかけた。
僕の仕事は「閣下の傍にいること」なので、彼が仕事をしている間、僕はこうして読書をしたり、時折お茶を淹れたりして過ごしている。
「……あと少しだ。先に食べていろ」
ヴァルター様は眼鏡のブリッジを指で押し上げ、冷淡な声で答える。でも、その右手の指先がわずかに震えているのを僕は見逃さなかった。紋様が少しずつ、皮膚の奥で疼き始めている証拠だ。
僕はため息をついて立ち上がり、彼のデスクの隣まで歩いて行った。
「『あと少し』って言ってから、もう一時間経ってます。ほら、手を出してください」
「……しつこいぞ、ノア。私は別に苦しくなど……」
「嘘です。眉間にシワが寄ってますもん」
僕は強引に、彼の持っていたペンを取り上げて机に置いた。
ヴァルター様は一瞬、俺を睨むような仕草をしたが、すぐに諦めたように肩の力を抜いた。
「……好きにしろ。お前は一度言い出すと聞かないからな」
差し出された彼の大きな手を、僕は自分の両手で包み込む。
氷のように冷え切った指先。でも、僕が触れた瞬間、そこからトクン、トクンと力強い鼓動が伝わってくる。
「……っ、ふう……」
ヴァルター様が小さく吐息を漏らし、ゆっくりと目を閉じた。
僕の体温が彼の呪いを中和し、快い痺れとなって彼の全身を巡っていく。この「調律」の時間、ヴァルター様はいつも、戦うことを忘れた獣のような、とても無防備な顔をする。
「……ノア。お前は怖くないのか。私のこの腕は、多くの命を奪ってきた。この呪いは、破壊と拒絶の象徴だ。それをお前は、まるで陽だまりでも扱うように……」
「壊すための力だなんて、僕は思いません。だって、こうして僕と繋がってる時間は、とっても温かいですよ」
僕は彼の手に頬を寄せた。
ヴァルター様は一瞬息を呑み、それから戸惑うように、空いた方の手で僕の頭をそっと撫でた。
大きな、分厚い掌。少しだけゴツゴツしているけれど、そこから伝わってくるのは、彼が必死に隠そうとしている「寂しさ」だった。
「……変な奴だ、お前は。……だが、悪くない」
少しだけ、彼の声が柔らかくなった気がした。
窓の外では今日も雪が降っているけれど、この部屋の中だけは、小さな暖炉に火が灯ったような、優しい空気が流れていた。
一つは、このノイシュタイン領が、一年中深い霧と雪に閉ざされていること。
二つ目は、この冷気の一部が、ヴァルター様の「呪い」から漏れ出した魔力の影響だということ。
そして三つ目は……ヴァルター様が、信じられないほどの仕事人間だということだ。
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僕はため息をついて立ち上がり、彼のデスクの隣まで歩いて行った。
「『あと少し』って言ってから、もう一時間経ってます。ほら、手を出してください」
「……しつこいぞ、ノア。私は別に苦しくなど……」
「嘘です。眉間にシワが寄ってますもん」
僕は強引に、彼の持っていたペンを取り上げて机に置いた。
ヴァルター様は一瞬、俺を睨むような仕草をしたが、すぐに諦めたように肩の力を抜いた。
「……好きにしろ。お前は一度言い出すと聞かないからな」
差し出された彼の大きな手を、僕は自分の両手で包み込む。
氷のように冷え切った指先。でも、僕が触れた瞬間、そこからトクン、トクンと力強い鼓動が伝わってくる。
「……っ、ふう……」
ヴァルター様が小さく吐息を漏らし、ゆっくりと目を閉じた。
僕の体温が彼の呪いを中和し、快い痺れとなって彼の全身を巡っていく。この「調律」の時間、ヴァルター様はいつも、戦うことを忘れた獣のような、とても無防備な顔をする。
「……ノア。お前は怖くないのか。私のこの腕は、多くの命を奪ってきた。この呪いは、破壊と拒絶の象徴だ。それをお前は、まるで陽だまりでも扱うように……」
「壊すための力だなんて、僕は思いません。だって、こうして僕と繋がってる時間は、とっても温かいですよ」
僕は彼の手に頬を寄せた。
ヴァルター様は一瞬息を呑み、それから戸惑うように、空いた方の手で僕の頭をそっと撫でた。
大きな、分厚い掌。少しだけゴツゴツしているけれど、そこから伝わってくるのは、彼が必死に隠そうとしている「寂しさ」だった。
「……変な奴だ、お前は。……だが、悪くない」
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