記憶喪失のフリをしたあざといスパイですが、全部お見通しの皇帝陛下に「嘘の婚約者」として閉じ込められています

たら昆布

文字の大きさ
13 / 20

13話

しおりを挟む
 初めての帝都デートから一夜明け、ロロは離宮のサンルームで、ヴァルが「ロロが気に入りそうだから」という理由だけでどこからか調達してきた、最高級のふかふかクッションに埋もれていた。

(……昨日の外出、楽しかったなぁ。リスの置物も可愛いし。……でも、ちょっとハッスルしすぎたかもしれない)

 ロロは、昨日ヴァルが男たちを投げ飛ばした瞬間の自分の動きを思い出し、少しだけ反省していた。あの時、ロロは無意識に「敵の急所」を瞬時に見極め、最短ルートでの逃走経路を確保しようとしていた。身体が勝手に動いてしまうのは、長年のスパイ教育の賜物……もとい、呪いである。

 そんなロロの懸念を肯定するかのように、サンルームの扉がノックもなしに静かに開いた。

「失礼いたします。ロロ様」

 入ってきたのは、眼鏡の奥で鋭い瞳を光らせる男。皇帝ヴァルが唯一「有能だが可愛げがない」と評する首席補佐官、カインだった。
 カインは手にした分厚い書類の束を、ロロの目の前にある大理石のテーブルに音を立てて置いた。

(出た。絶対に僕のことを疑ってる人だ)

「カインさん……。こんにちは。えっと、ヴァルなら今、会議中じゃないかな……?」

 ロロはわざとらしく小首をかしげ、おどおどとした「記憶喪失の小動物」を演じる。
 だが、カインは表情一つ変えず、淡々と口を開いた。

「陛下のお手を煩わせるまでもない、小さな確認事項がございまして。……ロロ様。昨日の市街地での騒動、近衛の報告書によれば、貴方は暴漢に囲まれた際、相手の重心の移動を完璧に予測し、反撃の構えを取っていたとのことですが?」

「えっ……? はんげき……? ううん、僕、怖くてただ震えてただけだよぉ。……あ、もしかして、怖すぎて変な格好になっちゃってたのかなぁ?」

 ロロは潤んだ瞳でカインを見つめ、自分の細い腕をさすってみせた。

「こんなに弱々しい僕が、反撃なんてできるわけないじゃない。カインさん、いじわる言わないで……」

「……。……貴方のその『演技』、陛下には通用しても、私には通用しません。貴方の筋肉の付き方、指先のタコ、そして何より先ほどから私の頸動脈を無意識に視線で追っているその挙動。……記憶を失う前、貴方は『隣国の鼠』だったはずだ」

 サンルームの空気が、一瞬で凍りついた。
 カインの言葉は正論であり、真実だ。スパイとしての正体が暴かれる。それは、この甘い生活の終わりと、処刑台への片道切符を意味していた。

 ロロの背筋に冷たい汗が流れる。
 しかし、ここで怯んではおしまいだ。ロロはさらに「あざとさ」のギアを上げた。

「……ねずみ? 僕、ねずみさんだったの? ……ううっ、カインさんが怖いこと言うから、なんだか頭が痛くなっちゃった……。ヴァル……ヴァル、助けて……っ」

 ロロはクッションの中に顔を埋め、か細い声で泣き真似を始めた。
 すると、まるでその声を待ち構えていたかのように。

「――カイン。貴様、そこで何をしている」

 地獄の底から響くような声と共に、ヴァルがサンルームに乱入してきた。
 会議中だったはずの皇帝は、マントを翻し、凄まじい気迫でカインとロロの間に割り込む。

「へ、陛下。会議はまだ終わっていないはずでは……」

「ロロが俺を呼ぶ声が聞こえた。会議などどうでもいい。……それよりカイン、お前、今ロロを泣かせただろう。……万死に値するぞ」

 ヴァルはロロをクッションごと抱き上げ、その背中を必死に撫で始めた。

「よしよし、ロロ。怖かったな。俺がいる。この眼鏡の冷血漢が何を言った? 今すぐ国外追放にするか、それとも一生、公文書の誤字脱字チェックだけをさせる刑に処すか?」

「陛下! 私は正当な疑念を述べているのです! この者の素性は――」

「素性だと? ロロは俺の最愛の婚約者だ。それ以上の素性がどこにある」

「しかし、昨日の立ち回りは明らかに訓練を受けた者の……」

「ああ、あれか。あれはお前の目が節穴なのだ、カイン。ロロはあまりの恐怖に体が強張っていただけだ。その強張った姿さえも、まるで戦う妖精のように美しかったではないか。……むしろ、あんな美しいロロをあんな危険な場所へ連れて行った俺の不徳だ。昨日の警備担当を全員、広場の草むしり百年の刑にしろ」

(……広場の草むしり百年の刑。地味にきついな、それ)

 ロロはヴァルの胸に顔を埋めながら、内心で舌を出した。
 ヴァルの「盲目的な愛」という名の盾は、カインの鋭いナイフをすべて弾き返していく。もはや無敵と言っても過言ではない。

 ヴァルはロロの頬に涙がついていないか(実際は一滴も出ていない)を丹念に確認し、カインを氷のような瞳で睨みつけた。

「カイン。次にロロを不安にさせるような言動をしてみろ。お前の愛用している万年筆をすべて、羽ペンに退化させてやるからな」

「…………。……失礼いたしました。陛下、これ以上は時間の無駄のようですので、私は仕事に戻ります」

 カインは深々と溜息をつき、諦めたようにサンルームを去っていった。その背中には「この主君はもうダメだ」という哀愁が漂っている。

 二人きりになると、ヴァルはロロをさらに強く抱きしめた。

「ロロ。……カインの言うことなど、気にするな。お前が何者であっても、俺が愛しているのは、今ここで俺の腕の中にいるお前だけだ。……記憶など、戻らなくても構わない」

「ヴァル……」

「お前は、ただ笑っていればいい。……それだけで、俺はこの世界のすべてを許せる気がするんだ」

 ヴァルの言葉は、どこまでも優しく、そして切なかった。
 ロロは、ヴァルの胸から聞こえる力強い鼓動を感じながら、少しだけ胸がチクリと痛んだ。

(……ヴァル。君は本当に、僕が嘘をついていることに気づいていないの? それとも、気づかないフリをして、僕と一緒にこの『嘘』の迷路を歩いてくれているの?)

 カインという「疑惑の影」は、ヴァルの圧倒的な溺愛によって一時的に追い払われた。
 しかし、ロロの中に生まれた「本当のことを言わなければ」という焦燥感は、昨日のキスの余韻と共に、ゆっくりと、けれど確実に、心の中に澱(おり)のように溜まっていく。

「ねえ、ヴァル。……お昼ごはん、何かなぁ? 僕、カインさんに驚かされて、お腹空いちゃった」

「おのれ、カイン……! ロロの血糖値まで下げるとは! パトリック! 今すぐロロの好物を山のように持ってこい!」

 ロロのあざとい一言で、離宮は再び平和な(?)喧騒に包まれた。
 寄り道だらけの関係。
 疑惑という名のスパイスが加わり、二人の物語は、さらに甘くて危うい方向へと進んでいくのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

運命の番は僕に振り向かない

ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。 それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。 オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。 ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。 ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。 ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。 ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。

幼馴染がいじめるのは俺だ!

むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに... 「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」 「はっ...ぁ??」 好きな奴って俺じゃないの___!? ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子 ーーーーーー 主人公 いじめられっ子 小鳥遊洸人 タカナシ ヒロト 小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。 姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。 高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、 脳破壊。 千透星への恋心を自覚する。 幼馴染 いじめっ子 神宮寺 千透星 ジングウジ チトセ 小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。 美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている) 転校生の須藤千尋が初恋である

路地裏の王子様と秘密のカフェ ―10年ぶりに再会した親友はトップアイドルでした―

たら昆布
BL
大学生の千秋がバイト帰りの路地裏で助けたのは、今をときめくアイドル『GALAXY』のセンター、レオだった。 以来、レオは変装して千秋の働くカフェへ毎日通い詰めるようになる。 ​「千秋に会うと疲れなんて全部消えちゃうんだ」 トップアイドルとは思えないほど素直に懐いてくるレオに、千秋は戸惑いながらも多忙な彼を支えたいと願うようになる。 ​しかし、千秋はまだ知らない。 レオが10年前に「また絶対会おう」と約束して別れた泣き虫な親友の玲央本人だということに。

僕はただの妖精だから執着しないで

ふわりんしず。
BL
BLゲームの世界に迷い込んだ桜 役割は…ストーリーにもあまり出てこないただの妖精。主人公、攻略対象者の恋をこっそり応援するはずが…気付いたら皆に執着されてました。 お願いそっとしてて下さい。 ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎ 多分短編予定

(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? 騎士×妖精 ※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。

弟がガチ勢すぎて愛が重い~魔王の座をささげられたんだけど、どうしたらいい?~

マツヲ。
BL
久しぶりに会った弟は、現魔王の長兄への謀反を企てた張本人だった。 王家を恨む弟の気持ちを知る主人公は死を覚悟するものの、なぜかその弟は王の座を捧げてきて……。 というヤンデレ弟×良識派の兄の話が読みたくて書いたものです。 この先はきっと弟にめっちゃ執着されて、おいしく食われるにちがいない。

無愛想な氷の貴公子は臆病な僕だけを逃さない~十年の片想いが溶かされるまで~

たら昆布
BL
執着ヤンデレ攻め×一途受け

分厚いメガネ令息の非日常

餅粉
BL
「こいつは俺の女だ。手を出したらどうなるかわかるよな」 「シノ様……素敵!」 おかしい。おかしすぎる!恥ずかしくないのか?高位貴族が平民の女学生に俺の女ってしかもお前は婚約者いるだろうが!! その女学生の周りにはお慕いしているであろう貴族数名が立っていた。 「ジュリーが一番素敵だよ」 「そうだよ!ジュリーが一番可愛いし美人だし素敵だよ!!」 「……うん。ジュリーの方が…素敵」 ほんと何この状況、怖い!怖いすぎるぞ!あと妙にキモい 「先輩、私もおかしいと思います」 「だよな!」 これは真面目に学生生活を送ろうとする俺の日常のお話

処理中です...