伝説の聖騎士に求婚されていますが、それどころじゃないので定時で帰ります! ~もふもふと昼寝したいだけなのに愛が重すぎる~

たら昆布

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19話

「……何あれ」

休暇明け、魔導師団の回廊を歩いていた僕は、思わず足を止めた。
視線の先には、窓際で一人の美しい令嬢と親しげに(僕にはそう見えた)話しているゼノの姿があった。
令嬢は頬を染め、ゼノに何かを熱心にねだっているようで、ゼノもまた、いつになく穏やかな表情で頷いている。

いつもなら、「うわ、またゼノさんが捕まってる。今のうちに逃げよう」と思うはずなのに。
なぜか、胸の奥が「ちりり」と焼けるように痛んだ。

「キャン……?」

腕の中のココが、僕の顔を覗き込む。
そんな顔をするなよ、ココ。僕だって、自分がどうしてこんなにイライラしているのか分からないんだ。

「……ま、いいや。僕には関係ないし。定時まであと七時間もあるんだ、仕事しよう」

僕は逃げるように執務室へ入り、山積みの資料に没頭した。
だが、集中できない。
『火属性魔法の減衰率』という文字が、いつの間にか『ゼノ・令嬢・仲良し』という文字に見えてくる。

「(……別に、いいじゃないか。ゼノさんはこの国の英雄だし、結婚相手なんて掃いて捨てるほどいるんだ。僕みたいなやる気のない男より、ああいう綺麗な人の方がお似合いに決まってる)」

ペンを握る手に、無意識に力がこもる。
その時、バタン! と勢いよく扉が開いた。

「リト殿! 休暇明けの貴殿の姿を見なければ、私の魔力回路が枯渇して死ぬところでした! おはようございます、私の愛しい人!!」

いつもの、暑苦しいほどの愛。
いつもの、キラキラした笑顔。
だが、今日の僕は、素直にそれを聞き流すことができなかった。

「……ゼノさん、声が大きいです。あと、仕事中なので入ってこないでください」

「えっ……。リ、リト殿? なぜそんなに冷たい目なのですか? 私、何か失礼なことをしましたか!? 温泉でのあの甘い時間は、私の妄想だったのですか!?」

ゼノがショックでよろめき、壁に手をつく。
僕は資料から目を離さず、淡々と答えた。

「別に。さっき、綺麗な方とお話しされてたじゃないですか。お邪魔しちゃ悪いと思っただけです」

「……綺麗な方? ああ、あの令嬢のことですか。彼女は――」

「説明しなくていいですよ。ゼノさんが誰と何を話そうと、僕には関係ないですから。ほら、五時まで忙しいんです、帰ってください」

「…………」

部屋に沈黙が流れる。
言い過ぎたかな、と少しだけ後悔して顔を上げると、そこには――。
なぜか、この世の春を迎えたかのような、恍惚とした表情で震えるゼノがいた。

「……リト殿。今、貴殿は……私に『嫉妬』してくださったのですか?」

「はあ!? 違います! 僕はただ、業務の妨げになるから――」

「いいえ! その冷ややかな声、逸らされた視線、そして微かに震える指先……! 間違いありません、これは愛ゆえの独占欲! ああ……死んでもいい……いや、死にません! 貴殿の愛を確認した今、私は真の神へと昇華できそうです!」

ゼノが僕のデスクに身を乗り出し、僕の両手をがっしりと握りしめた。

「誤解しないでください。あの令嬢は、私の遠い親戚です。彼女は私に『リト殿に贈る結婚指輪』にふさわしい宝飾店を教えてくれていただけなのです!」

「指輪!? まだ付き合ってもないのに!?」

「付き合う? いえ、私は最初から貴殿の『伴侶』になるつもりですが? さあ、リト殿。今すぐその指のサイズを測らせてください。私の魔力で、貴殿の指から二度と抜けないように固定して――」

「重い!! 怖い!! 結局ストーカーに戻ってるじゃないですか!!」

僕は全力でゼノを押し返した。
せっかく芽生えかけた「可愛らしい嫉妬」は、ゼノのあまりにも重すぎる愛によって、秒速で「いつもの恐怖」へと上書きされた。

「……ココ、行こう。やっぱりこの人は一秒でも放置しちゃダメだ」

「キャンッ!(自業自得だね!)」

僕はゼノを執務室に閉じ込め(物理的に鍵をかけた)、定時前だというのに早退を決意した。
胸の痛みは消えたけれど、代わりに「将来の自由」への危機感がマックスに達していた。

スローライフへの道は、どうやら僕自身の心の迷いによって、さらに迷路と化していくようだった。
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