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・アキトの場合(1)
しおりを挟む今は疎遠になったけど、幼馴染みの女がいた。疎遠になった理由は、その子が大人まで生きられないから。
元々婚約者ということもあって仲良くしてたけど、俺と遊んでる途中で倒れた。検査をした結果、そういうことが判明して、親が勝手に婚約を解消。「病気が移る。二度と近づいてはならない」と言いつけられた。
【守るべき女の子】で【これからもずっと一緒にいる女の子】だった。その子が居なくなるという衝撃は今も忘れられない。
怖い、ただ、怖い。
好きな人に置いていかれることも、全てが思い出に変わることも、その思い出も色褪せて無くなってしまうことも。それがあり得る未来が恐ろしく、その子の為に、好きだという感情だけで、真っ暗な闇を突き進む勇気がなくて、「病気が移る。二度と近づいてはならない」という親の与えてくれた言い訳を使って、死ぬことが寂しいと泣く女の子から、自分の想いから目を背けて、逃げた。
一応有名な伯爵家であるおかげで、次の婚約者はすぐに見つかった。あの子と比べることは失礼だけど、改めて思い知らされた。あの子の存在そのものが、もうすでに俺の細胞の一部になっていたことに。
あの子を思い出すと胸が苦しいのは、あの子が俺の心臓に居るからで、あの子を思い出すと泣きたくなるのは、あの子が俺の脳みそで育っているから。俺の細胞すべてはあの子で染まっていた。
風の噂でよくあの子のことを耳にした。好き勝手やってる変人だとか、頭のイカれたお嬢様だとか、どいつもこいつも何も知らないくせに悪口ばかり。大人までの時間を、残り僅かな時間を大切に生きていることを、俺は知っている。
だからって今さらどうしようも出来ない。あの時逃げた俺は会うことも、想いを伝える資格もない。終わったことなんだ。だから噂話を聞いて、脳みそにいる幼い頃のままの彼女を勝手に育てて想いを馳せる。
いつだって抱きしめてきた。寂しいと泣く彼女を大丈夫だと言って慰めた。あのときに言えなかった想いを、今でも変わらない想いを言葉にした。何度も、何度も、言葉にした。それしか出来なかった。空虚を抱く様は滑稽だけど、逃げた俺にピッタリだとも思う。
これでいい、これがいい。
そうやって言い聞かせて生きて、これからもそうやって逃げながら生きる。でもやっぱり、これでいいし、これがいいと思った。
だからこそ、あの日、学校で出会ったことは……しかもあろうことか彼女から告白されるという、奇跡というか、驚き過ぎて冷たい態度を取ってしまった。もう少し優しい言い方があったとか、久しぶりの挨拶だとか、何で幼馴染みの俺を忘れてんだとか、告白されたんだからオッケーの返事してもいいんじゃないかとか、何かもうすべてを無かったことにしたいと思った。
何十年か振りに見た彼女は、俺の脳みそにいる俺の育てた彼女と違って、とてもかわいくなってた。それはもう世界一……いや、宇宙……いや、銀河で一番のかわいさだ。あのまま放置していたら地球外生命体が彼女を誘拐すると思う。危険だ。むしろ地球外生命体よりも地球にいるすべての男に狙われるんじゃないかと。狙わずにいられないよな、うん。目に入れても痛くも痒くもないし、むしろ目に入れておきたいほどかわいい子がうろついてたら誰だって狙うよな、うん。
「おい、見たかよ。噂のアイリスが学校来てるぜ」
「あの変人が!?どこのクラスになってんの!?」
「保健室登校だとよ」
「何だよそれ!目の保養になるかと思ったのによぉ!」
「黙ってりゃかわいいもんなぁ。変人だけど」
ほらな、さっそくあの子の噂で持ち切りだ。でも良かった。保健室登校なら体調の心配も、男の心配もせずに済む。あれに触れていいのは……
「なぁなぁ、アキト」
教室の自分の席でそんなことを考えてると、もう一人の幼馴染みという名の腐れ縁で唯一の親友であるガイナが声を掛けてきた。
「さっきの子が、例の初恋の?」
否定も肯定もせずにいると、納得したように頷いてた。ガイナだけが俺の想いを知っている。幼い頃に泣きながら話した。それをまだ覚えてるんだからイヤなやつだ。でもそれ以上は掘り下げてこない辺り、いいやつとも言える。
「ぷーっ、忘れられてんじゃん」
やっぱりイヤなやつだな、こいつ。
「別に、いい」
ほほ杖をついて外を眺めた。教室は一階で見張らしは悪い。でも窓側の席になれたことはラッキーだ。そしてそのラッキーに上乗せするようなことが起きた。
「にゃんにゃん」
ちょうど彼女がそこを通ったのだ。白い猫を抱いてた。猫に微笑んでた。にゃんにゃんって。にゃんにゃんって何だよそのくそほどかわいい単語は!もっぺん言えよ!何回言われても聞き飽きねーよ!耳にタコが出来るくらい聞きてーよ!ああっ、めっちゃかわいい!猫よりもかわいい!猫とセットで拾って飼いたいっ!……うん、彼女を飼う?それはどんな感じなんだ。召し使いと同じようにご主人様とか言わせてしまうのだろうか。それはそれで……ご奉仕とか、そういうことを……
「……ああ、……うわああ」
危うく行きかけた妖しい異世界に、嘆きながら頭を抱えて机に突っ伏した。
「あらら、思ってたよりも重症だな。お前大丈夫かよ、いろいろな意味で」
大丈夫と問われたら大丈夫じゃないって言うに決まってる。だって彼女がそこにいたんだ。ずっと空虚だった子が、そこにいる。それがどんだけ俺の心を震わせるのか。俺だって今さらな想いに困惑してる。空虚じゃなくてホンモノを抱きしめたいって、無意識に手が伸びる。
ーー断ち切ったのは俺なのに。
「……無かったことに、したい」
ぽつんと出た本音。ガイナは一つため息を吐くと、呆れたように言った。
「そりゃ無理だ」
そうだと思って俺も頷いた。
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