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一章

6話 裏切り

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「私よりつらいという顔をしないでよ」

イレーネは前に進む騎士に聞こえないように、アマリエの耳元で小さく囁いた。
イレーネよりもアマリエが疲れて見えると、不信感も持つ者がいるかもしれない。

「ごめんなさい…イレーネお姉様」

アマリエが弱々しく言うと、イレーネは小さく舌打ちをした。

 しばらく歩いていると、アマリエはふと違和感がした。
前線とは右に外れた場所に向かっているが、この先にはあるのは深い谷底だ。

(そんなところからアンデットが…?)

探索サーチ

心の中で詠唱をする。
やはりこちらの方向に魔物の気配はない。
疲労感でついていくのがやっとだったアマリエが気づいた時には、駐屯地のテントからそれなりに離れていた。

「あの騎士様、本当にこちらにアンデットがいるのですか?」

戸惑ってアマリエは前を歩く騎士は声をかけた。

騎士は振り返る。

「こちらです」

抑揚のない声に、まるで感情のない虚ろな瞳をしていた。
それは一緒について来ている他の騎士達も皆同じだ。

(この感じ…)

ぞわりと背筋が逆立つような悪寒がした。

「そうよね、ここで合ってるわよ」

イレーネは何が可笑しいのかクスクスと笑いながら言った。

「イレーネお姉様?」

振り返ろうとしたアマリエは、突然イレーネに突き飛ばされた。

「っ!?」

地面に付いた手に鋭い痛みが走って、アマリエは顔を歪めた。

掌を見てみると、手袋が大きく裂けていて血が滲んでいた。
血の量と傷口を見るに深く切ったらしい。

部分治癒 エリアヒール

アマリエは心の中で詠唱を唱えた。
淡い光の粒子が現れて、右手を包み込む。
部分治癒エリアヒール全回復オールヒールよりも効果は落ちるが、今のアマリエには血を止めるだけの応急処置ぐらいしか出来なかった。
温かな光に痛みが和らいでいくが、その一方で耳鳴りとひどい頭痛に襲われた。
魔力の枯渇が近い兆候だ。

「ーーーーーーー」

「イレーネお姉様?」

耳鳴りでイレーネの言葉が全く聞き取れない。

「ふふっ、あははー!!」

するとイレーネは急に笑いだした。
戸惑うアマリエを他所に、楽しそうにコロコロと笑う。

「ーーーーー。ーーーーーーーーー。ーーーーーーーー」

何か言葉を発しているが、耳の奥で金属が高く鳴っているような耳鳴りで聞こえない。
笑っている顔とは裏腹にイレーネがアマリエを見下ろす瞳は恐ろしいほど冷えきっていた。

「…もう要らない」

「…え?」

ようやく聞こえたイレーネの声。アマリエは言葉を失った。

「聞こえなかった?いいわ、もう一回言ってあげる。アンタはもう要らないのよ」

アマリエの顎を持ち上げて、イレーネはにっこりと微笑んだ。



「…後は任せるわ」

イレーネは騎士にそう言って、呆然ぼうぜんとしているアマリエに背を向けた。

「はい、聖女様」

騎士はおもむろに大剣の切っ先を地面に突き立てた。
ゴゴゴと音を立て地割れが起こり、足元に大きく亀裂が走る。
アマリエは思わず後退ったが、急に足場が無くなった。

「…え?」

いつの間にか崖の縁に追いやられていたらしい。
宙に投げ出されたアマリエは、縋るように懸命に手を伸ばした。

「イレーネお姉様ぁぁ!!」

イレーネも騎士も誰も差し伸べる者はおらず、その手は虚しく宙を掻く。

「どうして…」

今まで我儘な姉に振り回されて、
それでも懸命に姉に尽くし、
姉の為に人生を捧げてきた。

(…こんなのあんまりじゃない…)

悔しい思いと絶望に打ちひしがれながらアマリエは、そのまま谷底に落ちていった。

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