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忘れられない過去
しおりを挟む私と一ノ瀬の出会いは、入社式してすぐのオリエンテーション。
何度思い返しても衝撃的で、運命を呪いたくなる瞬間だった。
『一ノ瀬晴翔です』
艶やかな黒髪に爽やかな笑顔。けれどどことなく色気が漂っている。新入社員の多くがスーツに着られている人が多かったけれど、この人だけは違和感なくスマートに着こなしていた。
『商品の企画に携わることが目標です。よろしくお願いいたします』
声も、顔も、異なるのに不思議とある人物の顔が頭に過った。〝この人だ〟。
この人こそが、私がずっと記憶から忘れられずにいた……大嫌いな男。
前世で犬猿の仲だったアルフォンスの生まれ変わりである一ノ瀬晴翔だった。
他人に話せば妄想?と馬鹿にされるだろうけれど、私は二十六年前よりも、もっと昔の記憶を持っている。実年齢よりもはるか昔のその記憶は、私の前世の記憶である。
どこまで覚えているのかというと、自分がどんな人間で、どんな生活を送っていて、どんな人たちに囲まれて過ごしていたのかをはっきりと覚えている。
私の前世はプランターヌという王国の姫でソフィアという名前だった。一年中、淡い桃色のサクレアという甘い香りがする花が咲いている国で春の国とも呼ばれていた。
私の前世は王女で、両親と兄たちから愛情をたっぷりと受け、それはもう幸せに暮らしていたのだ。
庭に出るとサクレアの甘い花の匂いが鼻腔をくすぐる。砂糖菓子のような甘さは決して嫌な感じはせず、この匂いにしばらく浸っていたいくらい私は好きだった。
やわらかな風に甘い香りがふわりと乗って、私の淡い桃色の髪を撫でるように揺らす。あの花と同じ私の髪色は大好きな人とお揃いで、それがとても誇りだった。
『ソフィア』
私がそう呼ばれていたのは遠い昔のこと。
『こっちへおいで、ソフィア』
同じ髪色を持つお兄様は、優しくて聡明で憧れだった。いつかお兄様が治めるこの国を見ることができるはずだと私は信じていた。
『お兄様! あのね、今日はサクレアの花からとってもいい香りがするの』
『今日はいい天気で、風もあるからだね。ほら、ソフィア。サクレアの実を小鳥たちが食べてるのが見えるよ』
『本当! 可愛らしいわ』
大好きなお兄様が微笑んでいることが嬉しくって、私も笑顔になる。いつか私もお兄様の力になりたい。お兄様にとっても私が誇りになるような、そんな立派な姫になりたい。そう願っていたのだ。……叶うことはなかったけれど。
そして、もう一つ色濃く覚えていることがある。
『お前は本当にちいせぇな、ソフィア』
『私に近づかないで! お兄様にもよ!』
私の小さな身長を小馬鹿にして、事あるごとにからかってくる黒髪の男。
『ほら、お前に土産だ。お前と似ている名前だぞ』
『きゃゃぁああ! 毛虫!』
『すごい顔だな、ほれそんなに怖いか?』
『やめて馬鹿! アルフォンスなんて大っ嫌い!!』
意地悪で、偉そうで、私の大好きなお兄様の隣に当然のように立つ隣国の王子、アルフォンス。
大嫌いだったあの男は、未だに私の記憶を占領している。私の髪色が黒くなった、今でも。決して、色褪せることなく。
————そして、あの目を瞑りたくなるような最悪な出来事が時折私に暗い影を落とす。
どうしてあのとき私は……。
***
あの夢見てしまった。私はもうソフィアではない。星野結花、二十六歳。何か特別な取り柄もなく、ごく普通のOL。自分を言い聞かせるように、心の中で言う。
と今の私はただのOLで、棚の上の資料を取らなければいけない。
それが今は一番大事なことだ。あの資料がないと午後の会議で困ってしまう。
「……っ」
背伸びをして手を伸ばしながら、私の身長があと三センチ高ければと悔やむ。今でも、五センチのヒール履いてるけれど、これでも足が痛むことがあるため、さすがに八センチのヒールは無理だ。
そろそろ限界がくる。腕も足もぷるぷるとしてきた。キャスターつきの椅子しかないため、それに乗るのは危険だ。背伸びをして手を目一杯伸ばしていると、取ろうとしていていた赤いファイルを誰かが背後から引き抜いた。
「これ、取りたかったのか?」
低音の声に、びくりと肩を揺らす。慌てて振り返ると、私を見下ろすように立っている黒髪の男がいた。
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