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第4部 溺れる愛
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しおりを挟む関は割烹着姿に腰巻のエプロンを身に付けており、裾で手を拭きながら出て来た。施錠していなかったのか、鍵を開ける音すら聞こえなかったからだ。
「あと、小玉西瓜……」
小玉西瓜も切った物もついでに。ラップで包んであるので、一人一人切り分ける必要も無い。
陽菜が差し出すと、花開いた笑顔で関は喜んだ。
「あらあら! 山藤さん、良いの?! うちは西瓜作って無いからねえ」
「いえいえ、此方こそ夏野菜とかいつもありがとうございます。美味しく頂きました」
「お昼まだだったから、これから頂くわ。息子の嫁さんにもお出し出来そう」
今日は昼近くまで収穫や雑草抜きで多忙だったそうだ。昼食の支度はこれからだったらしく、タイミングの良い差し入れになった。
陽菜の背後でポケットに手を入れたまま、棒立ちの最賀へちらりと関は一瞥する。どうも、とだけ掠れた声は耳の遠い関には届かなかったのか。
「あらあ、随分と小さくなった先生もいらっしゃってたのね?こーんな気さくで優しいお嬢さん捕まえられて良かったわねえ」
「はあ……、俺にはもったいないくらいですよ……」
「陰気臭い中年の一人暮らしに華は必要よ」
「……はあ」
" はひふへほ先生 " に完璧に化した最賀は、仏頂面のまま生返事だけをした。眉一つ動かさず、ただ石像のように立っている。最賀はあくまでも地域に所属する医者の顔だ。無理矢理連れて来たせいもあって、表情筋はぴくりともしない。
「あ、ええと……私が! その……ワガママ言ってるだけなので、あの」
「ほら、気を遣ってもらってるじゃない!」
──駄目だ、何を言ってもフォロー出来ない!!
頭を抱えたくなる。何を言ってもフォローにならない。好転しない状況の中、陽菜より先に最賀が結んだ口を緩めた。
「……彼女は、こんな僕の為を献身的に支えてくれます。関さんの仰る通り、僕にとって彼女は世界一美しい華です」
「……は、え……っ、先生、何……ええっ」
「急に口開けば、ちゃんと言えるじゃない。口下手な男は愛想尽かされて捨てられるわよ」
「──肝に銘じておきます」
急に、何て爆弾発言をするんだ。陽菜は打ち上げられた魚の様に口をはくはくとさせる。
背後の男は一段と気配が大きく感じる。肩に触れた掌が陽菜を振り向かせると、有無を言わさぬ力で背中を今度は押した。早く行くぞ、と無言の圧力だ。
「ま、また伺いますね。昼時の忙しい時間に突然来てしまって、すみませんでした。暑い日が続くので体調には……お気を付けて下さいね」
関の家の敷地から出て、最賀は陽菜の手を掴むとずんずん歩き出す。大きな一歩は小走りになるくらい、歩幅が広い。
「一言も二言も多いな……」
「先生がご近所さんと関わり薄いのは良くないですよ、田舎ですもの」
「まあ、そうだなあ、アンタがこうやって良くしてくれるのは凄く助かるよ」
顔の火照りが冷めない。恋人じゃない、と否定するのかと思えば真逆のことを最賀は言うものだから。
最賀は、決して陽菜を赤の他人にしない。
どんな場面でも、尋ねられれば恋人だとキッパリ言い切る。その屈託の無い真面目さに何度も救われている。本当は陽菜も、最賀との関係をオープンにしたい。それが本音だ。
けれども、世間はそこまで傍観してはくれない。その辛辣さは痛い程経験したから、最賀も無理強いはしないのだ。
「……忠さんが、あんなに私のこと、褒めて……下さるなんて」
「そりゃあ……、愛しい恋人なんだから。それに、常日頃側に居たいので……。まあ、アンタは気負いしないように」
「はああ……忠さんって、どうしてそんなにカッコ良いのですか」
「俺が?え?そうか? アンタをうんと甘やかして、俺だけを見ていて欲しいから……?」
「顔も仕草も性格も全部カッコ良いので、笑顔振り撒いちゃ嫌です……ファンが増えちゃう」
「それはアンタだろうに……。俺はな、アンタが居てくれれば何も要らないよ。知ってるだろう?」
最賀とならば、どんな試練だろうと乗り越えられる。そう、五年前は信じて疑わなかった。前しか見えなくて、周囲を巻き込んででも逃げ出したかったからだ。
だが、そんなジェットコースターの様な、スリルある関係性は、二人にはもう要らないのだ。時にハラハラする展開なんて、お腹いっぱいである。
それらはドラマの中だけで良い。ただ平穏で幸せだなとゆっくり歩みを進めれば、他は何も望まない。
「……私、忠さんとご飯作って、今日大変だったなーって笑い合って。何にも変哲も無い日でも、私は幸せなんです。それって、最上級の幸せだなって……思うんです」
「──ああ。俺も……この時間が好きだよ」
緊急の電話は四六時中鳴らず、怒鳴り散らして指示を出すことも無くて。心を擦り減らして、粉々に砕け散っても使命を捨てさせず目を光らせる現場にはもう二人は居ない。
モニターの機械音と、消毒液の刺激臭、スタッフの踏み鳴らす足音。生態系のピラミッドの頂点に立つ人間の、限り無く続く生への執着。患者の年金目的で、過度な延命治療を強く希望するFa(患者の家族を意味する略語)
何かあれば、直ぐに名指しで医療訴訟を起こして、患者と戦う羽目になる。医療従事者は常に、危険と隣り合わせなのだ。
穏やかな時間は同時に、砕けた心と体を癒すには必要だった。
手を繋ぎ直すと、最賀は指を絡めてくれる。恋人繋ぎが嬉しくて、スキップをしたくなるが、上手くステップは踏めない。スキップする程リズム感は皆無であるからだ。
最賀はくしゃりと目尻に皺を寄せて、苦笑した。
「俺はあまり、近所付き合いとかしたことないからさ」
「先生はもう美沢市民です。大丈夫、地元民が此処におりますので頼って下さい!何でも!」
胸を張って見せると、最賀は頼もしいな!と陽菜の腰を抱いた。ツムジにキスを落として、愛おしそうに陽菜へ体現してくれる。最賀の愛情深さは、陽菜の渇いた心を満たすのだ。
「……それ、俺があげたやつか?」
「え?」
──香水、のことかな?
外だったな、と最賀は身を直ぐに引いて手を繋ぎ直した。離れてしまったのが、何だか寂しい。
「いや、何でもない」
五年前、顔が甘ったるいのだからと言って、クマリンやゼラニウムが配合された北欧の老舗香水メーカーが製作した物だ。甘みが少なく、実はメンズ香水らしい。パリッとしたフォーマルな印象を与えるので、隙を生まない印象を持つ。
「……先生が選んで下さった、物です。無くなれば買い足して……ずっと使ってます。覚えてたんですね」
「俺が選んだやつだからな。まさか、今も使ってるなんて」
「だって……」
「駄目だ、嬉し過ぎてだらしない顔しているから見るな」
そっぽを向いて顔を逸らしたものの、照れている時の最賀は耳朶が微かに赤くなるのを本人は知らない。陽菜だけが知る、最賀の一面である。
じっと見詰めると、蒸し暑いからと最賀は小さな言い訳をしている。手は汗ばんでおり、全く隠せていない。
陽菜は敢えて教えることをやめた。家路に着くまで赤い耳をした男の呟きに耳を傾けて、幸せを噛み締めたのだった。
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