ひまわりが咲いた日〜手を離した元恋人はそれでも掌中の珠のように彼女を愛す〜

暁月蛍火

文字の大きさ
17 / 24
第六章

6-1 嵐の先にある、小さな木洩れ日

しおりを挟む






 挫けても、それでも人は生きていかねばならない。死者にも人権や尊厳があるのだ。

 それは誰しもが平等にあるものだ。

 だから、決して踏み間違えてはならない。

 向日葵が二人を養子縁組することを決意して、椿の入院当日に荷物運びに加えて手続きをする為に椿の家へ向かった。

 インターホンを鳴らすと、椿が相変わらず煙草を吸いながら玄関の扉を開ける。すると、玄関先から裸足で飛び出した子供が向日葵の足にしがみ付いた。涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃで、何が起こったのか把握出来ないでいると、勢い良く藍が顔を上げた。



「ごめんなさい、ひまちゃん、僕が我儘言ったから、お願い行かないで。」



 しゃくり上げて泣き叫ぶ藍が、椿の手を振り払って向日葵に飛び込んで来たのだ。



「やっぱり!ママの言うこと聞けない子は私の子じゃない!」



 癇癪を起こして椿は地団駄を踏んだ。椿が先に二人へ何か直接的な言い方をしたのかもしれない。状況を整理したいのに、突然の出来事にたじろいでしまう。すると、凛が向日葵の手を握って言うのだ。



「――ママなんてもう要らない。ひまちゃんが、ママがいい。」



 それは、強い意志だった。凛は藍と二人が愛用しているリュックを上下に抱っこして、椿を決別した。



――子供は案外大人が思うより、分かっているのを、私が良く知っていたのに。



 両親が再婚した際も、苗字を変わることで席順も体裁も変わることを向日葵は嫌と言う程理解していたのだ。小学一年生として新しい小学校に入学する前に再婚してしまえば、慣れない環境の最中に不穏分子は取り除けるのだから。

 大人の身勝手な考えは時として子供をひどく孤独にさせ、伸ばした手すら見えない深淵にまで突き落とすことがある。小さく丸く縮こまり膝を抱えて、差し込む微かな光にすら気付かず俯いた顔を上げず生きる子供もいるのだ。

 家族という柵に縛られて決められたレールに沿って生きてきた向日葵は痛い程二人の気持ちが胸を打ち抜いた。選ぶ権利を持った一人の人間が、意思表示している。向日葵は親になる為に腹を痛めて産んだ訳でも、守る為に自身を犠牲にして愛情を注ぐ立場にいなかった。人は、もしかしたら親になる資格は無いと後ろ指を差すかもしれない。

 それでも、向日葵は凛と藍を心から愛している。



――この子達の成長を、私は見届けたい。



 向日葵は二人を抱き締めて、椿に涙ながら伝えた。生まれて初めて、強い意志を持って椿へ対等に立とうとしたのだ。



「二人を養子縁組、したいの。お願いします、二人を私の……家族にさせて。」



 椿は二人の手が完全に離れて、向日葵の腕の中にいることを悟った。



「そう……。もう、好きにしなさい。そもそも、私は病気で入院が必要で、高度医療制度使ったり、経済的に厳しいの。わかる?私はアンタ達を扶養する余力がないのよ。」



「お姉、ちゃん……?」



「私は暫く病院に缶詰なんだから。必要な書類があるならアンタが来なさいよ。私は一歩も動かないから。」



 向日葵はそれから、養子縁組の手続きに家庭裁判所に何度か足を運んだり、緊急連絡先の変更や住所変更など多くの手続きに追われることになった。直ぐに裁判所から受理されないので、向日葵は二人に説明をした。子供でも、大人が考えていることは不思議と分かるものだ。



「本当に良いの?私がママになっても。」



「ひまちゃん、ママになってほしい。」



「オムライス食べたいー!くまさんの!」



「うん、うん……夜はオムライスにしよっか。」



 向日葵は言葉が詰まりながらも、二人をより力強く抱き締めた。この二人を一生守っていこうと、心に誓った。どんな障害があろうとも、決して乗り越えられない壁はないのだから。







 河津桜が満開になる頃、養子縁組の手続きが漸く終点に向かっている兆しが見えた。紫紅の美しい花弁を散歩中に見掛けると、春がやって来たと感じる。長い道のりに、終止符を打ち、新たに門出の再出発を祝うかのように。

何度か家庭裁判所に出向き、必要な書類を提出したり、椿や姪達の聴取等終えて疲労困憊ながらも必死に仕事と育児を切り盛りしていた。

 向日葵は家庭裁判所から受理を報せる手紙が届いて、市役所に戸籍謄本の申請など慌ただしく書類の記入に追われた。二人が通園する保育園にも、保護者欄の変更や、事情の説明をすると担当のクラスの保育士や園長からも胸を撫で下ろした様子を見受けられた。きっと、ネグレクトを強く疑っていたからだ。実の母親が育児を放棄して妹に送迎や行事の参加、連絡ノートの代筆を担っていたのも要因である。

 保育園から理由を尋ねられたが、長期療養が必要であるからと簡素的に事情を説明した。確かに椿は向日葵の人生を食い潰して来たが、彼女はこれから病気と向き合うのである。向けられた悪意に、悪意を返してはならない。同じ土俵に立つことは愚行であるからだ。

 椿の化学療法がスタートすると、みるみるうちに窶れて行った。時折見舞いに一人で出向くと、最初は嫌な顔をされたが最近は心細いのか入院中にあった出来事をぽつぽつと話すようになった。本当は何の柵なく姉妹でゆっくり話す時間が本来であるならば必要だったのかもしれない。それでも、受けた傷痕は直ぐには完治しない。膿でぐじゅぐじゅと悪化した心の傷が治るにはまだ、時間が足りないのだ

 化学療法とは、抗がん剤を使った治療法のことで精神的にも肉体的にも辛いことがある。なぜならば、副作用で吐き気や脱毛、特に手足の痺れなどが症状として現れることがあるからである。椿も、手が痺れて大変なんだ、と言った。



「……あの子達、元気にしている?」



「―――元気だよ。四月から凛は年長さんになるから、入園式の後にあるお迎え会の準備張り切っているよ。藍は最近お気に入りの熊さん人形を毎日抱っこして散歩しているかな。」



「……そう。」



 面会に来るのは向日葵ただ一人だけだった。椿が友人には伝えたくない、同情なんてされたくないからと頑なに連絡することを拒否したからだ。

 静まりかえった病室で、微かに開いた窓から心地良い微風が向日葵の頬を撫でる。桃色の花弁が一枚風に乗ってやって来て、春が訪れたことを肌で感じ取った。

 それは、穏やかな時間だった。

 季節が四月を迎える前、清彦が突然小さなアクセサリーボックスを向日葵の仕事終わりに手渡した。蓋を開けると橙色の石が台座に乗ってピアスになっており、清彦は照れ臭そうに鼻頭を触る。



「―――綺麗。」



「つけてあげる。」



 向日葵の耳に髪をかけて、開けたまま着飾ることを忘れ三年放置したピアス穴のある柔らかい耳朶にピアスを通す。キャッチで留めると、控え目に煌めく色白の向日葵の肌に馴染んだピアスはとても填った。

 向日葵の誕生石には、サードニクスと言い、日本名では紅縞瑪瑙と呼ばれており、真夏の太陽を彷彿させるような橙色の中に縞模様が入る天然石だ。対人関係を良くしたり、健康運を高めたり、絆を深める力があると言われている。向日葵の健康や人間関係の改善を、清彦は願っているのだろう。もしかしたら、勧められるがままに購入したのかもしれないが、何れにしても向日葵への気持ちは強いことを含意しているのだろうか。



「――ひまに似合うと思って。やっぱり、向日葵みたいで綺麗だ。」



「ありがとう、大切にするね。」



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈

玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳 大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。 でも、これはただのお見合いではないらしい。 初出はエブリスタ様にて。 また番外編を追加する予定です。 シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。 表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。

財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す

花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。 専務は御曹司の元上司。 その専務が社内政争に巻き込まれ退任。 菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。 居場所がなくなった彼女は退職を希望したが 支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。 ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に 海外にいたはずの御曹司が現れて?!

地味な私を捨てた元婚約者にざまぁ返し!私の才能に惚れたハイスペ社長にスカウトされ溺愛されてます

久遠翠
恋愛
「君は、可愛げがない。いつも数字しか見ていないじゃないか」 大手商社に勤める地味なOL・相沢美月は、エリートの婚約者・高遠彰から突然婚約破棄を告げられる。 彼の心変わりと社内での孤立に傷つき、退職を選んだ美月。 しかし、彼らは知らなかった。彼女には、IT業界で“K”という名で知られる伝説的なデータアナリストという、もう一つの顔があったことを。 失意の中、足を運んだ交流会で美月が出会ったのは、急成長中のIT企業「ホライゾン・テクノロジーズ」の若き社長・一条蓮。 彼女が何気なく口にした市場分析の鋭さに衝撃を受けた蓮は、すぐさま彼女を破格の条件でスカウトする。 「君のその目で、俺と未来を見てほしい」──。 蓮の情熱に心を動かされ、新たな一歩を踏み出した美月は、その才能を遺憾なく発揮していく。 地味なOLから、誰もが注目するキャリアウーマンへ。 そして、仕事のパートナーである蓮の、真っ直ぐで誠実な愛情に、凍てついていた心は次第に溶かされていく。 これは、才能というガラスの靴を見出された、一人の女性のシンデレラストーリー。 数字の奥に隠された真実を見抜く彼女が、本当の愛と幸せを掴むまでの、最高にドラマチックな逆転ラブストーリー。

叱られた冷淡御曹司は甘々御曹司へと成長する

花里 美佐
恋愛
冷淡財閥御曹司VS失業中の華道家 結婚に興味のない財閥御曹司は見合いを断り続けてきた。ある日、祖母の師匠である華道家の孫娘を紹介された。面と向かって彼の失礼な態度を指摘した彼女に興味を抱いた彼は、自分の財閥で花を活ける仕事を紹介する。 愛を知った財閥御曹司は彼女のために冷淡さをかなぐり捨て、甘く変貌していく。

数合わせから始まる俺様の独占欲

日矩 凛太郎
恋愛
アラサーで仕事一筋、恋愛経験ほぼゼロの浅見結(あさみゆい)。 見た目は地味で控えめ、社内では「婚期遅れのお局」と陰口を叩かれながらも、仕事だけは誰にも負けないと自負していた。 そんな彼女が、ある日突然「合コンに来てよ!」と同僚の女性たちに誘われる。 正直乗り気ではなかったが、数合わせのためと割り切って参加することに。 しかし、その場で出会ったのは、俺様気質で圧倒的な存在感を放つイケメン男性。 彼は浅見をただの数合わせとしてではなく、特別な存在として猛烈にアプローチしてくる。 仕事と恋愛、どちらも慣れていない彼女が、戸惑いながらも少しずつ心を開いていく様子を描いた、アラサー女子のリアルな恋愛模様と成長の物語。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

それは、ホントに不可抗力で。

樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。 「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」 その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。 恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。 まさにいま、開始のゴングが鳴った。 まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。

処理中です...