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第4話 意気自如
しおりを挟むその後は当たり障りのない仕事の話をしつつ、二人と別れて院内のコンビニ経由でカフェラテでも買って戻ろうと、食堂前の廊下を歩いていると薄い水色の入院着を着た白髪で枯れ木のような腕をしたおじいさんが、窓枠にそっと右手を置いてぼーっと窓の外を見つめて立っている。
窓ははめごろしなので、開くことは無いが少々気になるな…と、おじいさんに歩み寄る。手首に視線を落とせば、入院患者のIDと氏名の書かれたリストバントをしているので間違いなく入院患者だろう。時々いるのだ、病室を抜け出て院内をフラフラと出歩いてしまう患者さんが、酷い人だと外に出てしまう。このおじいさんも、もしかしたら抜け出してきたのかもしれない…。
「どうされたんですか?お一人ですか?」
近くまで歩み寄り、驚かないようにそっと声を掛ければ、ゆっくりと首が此方を向く
「あぁ…今日は調子がいいから…散歩してて…気づいたら、ここに居て…あぁ…ここは何処だい…?」
白く濁った瞳が、私と私の後ろを見た後そのまま周囲を見渡すように体をひねる。
「ここは診察や検査、手術をする棟ですよ、入院棟は隣になります病室の場所はわかりますか?」
「あぁ…そうか…どうしてこっちに居るんだっ…あぁ、病室は…8階だったかな、小児科と同じ階…」
たどたどしく話すが、一応は会話の内容は理解できているらしい。8階は小児科と消化器内科の入院フロアだったはず…多分、まぁエレベーター前の案内板を確認すればわかることだ。
「8階ですね。一緒に行きましょう、私が病室まで付き添いますから」
このまま、じゃあ一人で戻ってね!とはいえる状況ではない。多分このままだと、またどっか行くと思う。 こういう時に限って、看護婦さんが一人も通らないんだから…。
「帰るのか…あぁ…そうだな…」
そう言うと、ヨタヨタと一人で歩き始めてしまい慌てておじいさんの横に並んで歩き始める。看護婦でも介護士でもないので、こういう時にどうやって支えて歩けばいいかわからない。後でネットで調べようと心に誓い、ヨタヨタ歩くカメの歩み並みのおじいさんと連れ立って歩いた。
入院棟と外来棟は各フロアーが通路で繋がっている。入院等の方が階数が高いので途中までだが、基本的に入院棟からであればどこからでもコチラに来れると言うわけだ。おじいさんに付き添い、入院棟のエレベーターの前で立ち止まる。
4基並んだエレベータのフロア案内を見れば、やはり8階が小児科と消化器内科のフロアーだった。上の階のボタンを押して、エレベーターが来るのを待つ
「名前、お聞きしても良いですか?」
そう、お爺さんに問い掛ければ
「あぁ…俺かい…えぇーとタチバナヨシオだよ…アンタは…なんて名前だい」
「私は桜井与野と言います。」
「あぁ…さくらもち?」
いや違うわ!と、内心で突っ込みを入れつつ
「さ・く・ら・い・よ・の・です。」
「あぁ…あぁそうかい。
さくらいよの、あぁ…どっかで…会ったような…?」
「いえ、全然全くないと思います」
「あぁ…そうか…そうだったか…?」
ボケてるんだかボケてないんだか、微妙なラインの橘さんとのコントをエレベータ前で繰り広げる。平日の昼過ぎだというのに、エレベーターホール前は人が少ない。食堂と繋がるこのフロアに入っている科は婦人科が入っているようだ。やっと下から上がってきたエレベーターの扉が開けば、入院着を着た松葉杖をついた若い男性と、それに寄り添うように同い年くらいの女性が支えるように立っていた。
「失礼します」と言って乗り込むも、二人とも顔すら上げずにそれぞれスマホに夢中だ。きっとお見舞いに来たのだろうに、二人で会話をするわけでもなくひたすらスマホとは何て寂しい時代になったことか、それを見てヨタヨタ乗り込む橘さんを支えつつ、8階のボタンを押す。19階のボタンがすでに押されていたので、エレベーター内の案内板を見ればカフェと書かれていた。あぁ、入院棟なんてめったに来ないから忘れてたけど19階にカフェあったなーと思い出す。
別にエレベーター内では私語厳禁というわけではないが、薄暗いエレベーター内の無言の何とも言えない居心地の悪い時間が流れる。はやく8階に着いてくれと思うのだが、のんびりと上昇していくエレベーター、幸いにもすんなりと8階に到着すると、開閉延長ボタンを押して橘さんを先にエレベーターから降ろす。ヨタヨタと降りた橘さんに続き、私も降りるといつまでも閉まらない扉にようやく顔を上げた女性がこちらを見るも、手前に出てきてボタンを押す。すぐに扉が閉まったので、閉のボタンを押したのであろう。
くっ…当然だと思う行為だが、良い気分ではない。
はぁ…と、ため息をつくとヨタヨタ一人で歩いて行ってしまう橘さんの後を慌てて追う。
「病室は何号室ですか?」
そう聞くと、立ち止まり不意に上を見上げる橘さん、それにつられて私も上を見るが何もない。どした?と、思って橘さんが口を開くのを待てば
「あぁ…何号室?あぁ…8が付いた部屋だな」
その言葉に思わず目をつぶる。ここは8階、故にすべての病室の最初の一桁目は8だ。
駄目だ…この広いフロアで一部屋ずつ橘さんの名前を探して歩くには、時間がかかりすぎる。仕方ない。と、ナースステーションへと橘さんを連れて向かうと、カウンター越しからナースステーションを覗き見れば、看護婦さんがテキパキ忙しそうに動き回り、カタカタとPCを叩く音が響いている。
「すみませーん」と声を掛けると、一人の看護婦がこちらに静かに歩み寄ってくる。
疲れ切った顔をしており、目の下のクマもひどい。一見30代後半くらいに見えるが実際はもっと若いかもしれない。名札を見れば平塚由美子と書かれていた。平塚さん、疲れてるな…
「どうされました?」
抑揚のない小さな声でカウンターの前まで来ると、目だけ動かすように橘さんをギロリと見る。疲れきっているのか、めんどくさいと思われているのか、その両方か…
「橘さん…また出歩かれてたんですね。
出歩かないでくださいと何時もお願いしてるじゃないですか、まだ体調が不安定なんですから…勝手に居なくなられたら私達も困りますし、奥様もご家族も心配されていますよ。
さぁ、病室に戻りますよ」
そう言うと、カウンターの横の出入り口から出てきて橘さんの腕をとる。
「すみません、橘さんを連れて来てくださってありがとうございました。
いつも、ふらりとどこか出て行っちゃって…本当に助かりました。」
そういうと、平塚さんがぺこりと頭を下げる。
「いえいえ、お気になさらず。
あとはよろしくお願いします。
橘さん、お散歩もほどほどにしないとだめですよ」
そう、困ったように橘さんに笑いかければ
「あぁ…そうだな…さくらもち」
「いやだから、桜井与野ですって」
そう言って私が突っ込みを入れれば、平塚さんがプッと吹き出して笑い、私もつられて笑ってしまう。
しばし、廊下に笑い声が響くと小児科の病室から女の子が点滴をぶら下げた棒をもって扉から、ひょこっと顔を出した。
その子に笑いかければ、ハッとした顔をしてすぐに病室に引っ込んでしまった。
あらら…。
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