魔の巣食う校舎で私は笑う

弥生菊美

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第6話 思惑と想い

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「随分と大変なことになっているようだね初瀬先生」

 心配するような口ぶりだが、頭を下げた初瀬の脳天に浴びせるような、冷ややかな言葉に全身から汗が噴き出る。ここまでのし上がってきたというのに…何故こんなことになるのか、初瀬は腹の底から湧き上がるような怒りを堪えて、下げたくもない頭をこの病院の絶対の権力者達に下げる。理事として残り、そちら側の席に座るはずだったのに、何もかもがおじゃんだ。

クソッ!!!

自分の腹の中など見透かしているのか、お構いなしなのか理事たちは話を続ける。

「病院の経営にも今後影響があるのは間違いないだろうからな」

「ただでさえ、埼玉の分院建て替えで金がかかっているこの時期に…」

「夜にはマスコミがかぎつけて、大学の正門や病院前に集まり始めるだろうな」

「いつも通り黙らせろ、やり方は分かっているだろ」

語気を強めた理事の1人の言葉に、スーツの男が畏まりました。と、頭を下げるとスマホを手に会議室から出ていく

 外来棟の20階、院長室の隣にある会議室は灰色の絨毯に、白を基調とした壁と部屋の奥がすべてガラス張りになっており、晴れの日にこの部屋から見る景色はなかなかのものである。一見洒落た会議室だが、置かれているダークブラウンの木製の長テーブルと黒い革張りの椅子が、一気に会議室の豪華さを引き立てる。

 その椅子に座っているのは10人の理事、ここに居る多くが医師としてこの大学の教授として勤めており、そして勤めてきた者達だ。一目でわかるほど、上等なブランドスーツに整えられた髪、中にはこの大学の創設者の子孫や血縁者も混ざってはいるが、平均年齢は60は超える。

 そちら側に座っているという余裕が透けて見える。
それが憎らしくて仕方ない。

「それで、殺人という話を聞いたが実際はどうなんだね?」

 理事長の竹中が口を開くと、皆一斉に口を閉じざわついていた場がシンと静まり返る。隣にいる副理事の桝口は、何やらスマホをしきりに気にしている。そんな様子を横目に、取り合えずどう転ぶにせよ詳細な状況は報告しなければならない。

「はい。
午前3時頃に、男2人が言い争っている声を医局前を通りかかった救急の医師が聞いていたそうです。
沼田は准教授で当直からは外れているのですが、論文の詰めで医局に残っていると、当直医の宮藤が夜食を食べに医局に来た際に話していたそうです。宮藤は23時半には病棟に戻っており、宮藤が再び医局に戻ってきた4時半過ぎに血まみれで倒れていた沼田を発見し、同じく当直で残っていた横塚に連絡をしたと報告を受けています。」

「凶器は?」

「医局のキッチンに置いてあった包丁ではないかと聞いています。」

その言葉の後に、そこ彼処から溜息が上がる。

「自殺じゃないか?
なぁ、初瀬君」

 理事長の言葉に流石にオイオイと言わんばかりの視線を送る他の理事がチラホラ見受けられる。気持ちは分からなくもない。しかし、それを判断するのは警察だ。

「残念ながら…その判断は警察と検死次第、私ではどうすることもできません…」







「はぁ?喪中にしないんですか?オペするんですか!?通常通り業務に当たれ?沼田先生が亡くなったんですよ!?殺されたかもしれないんですよ!?犯人だって捕まってない!こんな精神状態で患者の身体を切れと!?本気で言ってます!?悲しむ事すら許されないなんて、非人道的ですよ!」

 医局員用のデスクスペースのある部屋で、入局10年目の清水明人が涙声になりながら捲し立てるように吠えた。清水の言葉に、他の医局員達も鼻を啜り、涙をぬぐいながら頷いている。

 清水にとっては同じ陸上部の大先輩だ。そして、自分が新人の頃に何度も外科医に向いていない。辞めよう。そう思う度に、何かと気にかけて励ましてくれた沼田先生、先生は権力と金にまみれたこの病院で、他の追随を許さぬオペの腕を持ちながらも、決して驕らず本気で患者と向き合い患者の心に寄り添ってきた医師であった。自分が心から尊敬できる医師だったのに…。後輩達の技術指導も、メンタル的な部分もずっと寄り添ってくれた沼田先生、本当に皆の心の支えのような先生だった。

 だと言うのに、喪に服すことすら許されないどころか、まるで無かったかのように振る舞えと言われているのだ。

「馬鹿!声がでかい!」

 清水の言葉に、怒鳴ったのは外科のNo,4であり5人いる准教授の一人である成島だ。
朝から事が事だったので、予定していた本日分の全てのオペを止めていたのだが、先ほど初瀬教授直々に連絡があり、オペは止めるな、通常通り行えと連絡が来たのだ。

 第一発見者と対応した医師達数名、医局長の佐々木は警察の事情聴取で当面戻ってはこないだろう。
その穴埋めも含めて、今いる者達で教授の命令を実行しなければならない。

 数年前までは、医者というものは絵にかいたような体育会系、いや軍隊のようだった。
上が決めたなら、YESもしくはハイ以外の返事はあり得なかったのだが、こんなところにまで時代の波が押し寄せている。NOと言える若い外科医が増えて、YESしか言えない世代にそのしわ寄せがやってくる。Noと言える世代は、そんな苦しむYES世代を見ても見て見ぬふりなのだからいい御身分である。板挟みの私をもう少しだけ労わってくれと、成島は痛む頭を押さえた。

「僕だって教授から連絡が来た時は思わず反論したさ、こんな状況下じゃミスが出かねないって、けど理事からできるだけ通常通りにと念を押されたらしい。教授どころか理事からじゃ、どうにもならないだろ」

 そう言って成島はため息をついた。自分だって沼田先生とは2歳違いで、よき先輩と慕っていた。できることなら悲しみに暮れたいし、喪に服したい。しかし、そんな気分になれないほど押し寄せるオペに書類仕事に予定の調整、上げだしたらきりがない。何より自殺というには違和感がある状況、他殺であれば犯人が捕まっていないし、自分達の身に何かが起こるやもしれない。だが、今こうしている間にも本日オペ予定の患者も、外来に来た患者もやきもきして待っていることだろう。

 悲しみに暮れることもできない。
すみません…沼田先生と心の中で謝罪する。

「兎にも角にも、私たちには悲しんでる暇はないという事だ。
申し訳ないが僕にはどうにもできない。患者も待たせている。やるべきことを粛々とこなすしかない。」

 そう伝えながら、話は終わりだと部屋を出る。外来棟へと足を向けながら思うのは、きっと今回の事で医局を辞める者が出てくるであろうという事、教授戦に出ていた沼田先生は、候補者として残った3人のうちの一人だ。一人は国立大の外科の医師、そしてもう一人は医局長の佐々木だ。正直、人望で行けば圧倒的に沼田先生、もし医局長の佐々木がなれば辞めると言っていた者もいるくらいだ。自分も沼田先生の派閥に居たから佐々木が教授になれば本院には居られないだろう。

 自分自身も潮時か…あぁ…胃まで痛くなってきた…。自分の実家は普通のサラリーマン家庭だ。継ぐ病院のない自分は何処かの私立病院に雇ってもらうか、いっそ外科をやめて消化器内科のクリニックでも開業するか…しかしこの年で億の借金…子供の学費もまだまだかかるし、雇われしかないか…

「はぁ…」

 腹の底から深いため息が出た。沼田先生は他殺の可能性があると言う話だが、言い争いを聞いた救急の医師、その同期から聞いた話では「公表します」という言葉を聞いたらしい。その声が誰の声だったかまでは分からないが、大学関係者だろうなとは察しが付く、外科に恨みを持った患者の侵入ならば、人の少ない深夜より昼間を狙って来るだろう。

考えても、始まらない。そう思いながらも医局を出て張っていた気が緩んだのか、目頭が熱くなる。

「沼田先生、来週飲みに行こうって…言ってたじゃないですか…約束破るなんて先生らしくないですよ…」

歩きながら呟いた成島の涙声が静かに廊下に響いた。





 
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