魔の巣食う校舎で私は笑う

弥生菊美

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第22話 浸潤

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 理事長が帰った後、結局食事をする気にもなれず怠い体を引きずるようにレストランを後にしてタクシーに乗り込めば、切忘れだろうか、運転手のつけっぱなしにしているラジオのニュースで年々上がる気温について専門家たちが議論していた。

 タクシーに揺られる心地よさでだんだんと微睡んでくる。そういえば学生時代、よく一緒に過ごしていた同級生の小山の部屋には冷房がなかった…。いつも小山の部屋に行くと、あまりの蒸し暑さに、窓も玄関も全開に開けていた。真夏でも冷房がなくても扇風機一台で事足りていた時代。希望の研修先の科はどこにするか小山の部屋で酒を飲みながら話をしていた。

 小山の実家は農家で、高い医学部に入るために親が田んぼを売って学費を出してくれたのだと話をしていたのを覚えている。小山は家庭教師のバイトをしながら、いまにも崩れそうなボロアパートの2階に住んでいたが、そのボロさ加減が売れない漫画家や芸人のようで、なんだか風情があると友人達の間では人気で、大学から一分という近さもあり終電を逃した日のたまり場と化していた。

 男二人、狭い部屋で日本酒を湯呑に入れて飲みかわす。後輩との飲み会の後に、飲みなおそうと部屋に来たため、二人とも相当に泥酔状態だった。

「小山は消化器外科志望なんだろ?」

「そうだよ、外科医になるために医者を目指したんだ。
そういう自分も消化器外科志望だろ?」

「…俺は成績が微妙だから、第二か第三希望になるかもしれない」


 よその大学病院は知らないが、うちの大学は今でこそ研修医は希望の科に入ることができるが、自分が研修医時代は成績上位者から希望の科へと割り振られていたのだ。そのため、成績の低い者は人気のない科に行かなければならなかった。

「まぁ、剣道部に力を入れてたもんなー、医学部に入れる自頭の良さを持ってるんだから、その気になれば成績上位も夢じゃないだろ。」

 小山にそう言われて、言葉に詰まる。
違う。成績が良いから入学できたわけじゃない。祖父も父も叔父も兄もこの大学出身だから、面接と多額の寄付金で入学できただけだ。何の後ろ盾もなく、自分の力のみで入学した小山とはわけが違う。

小山が羨ましい。

 人望もあり、なんでもそつなくこなし、少ない時間で効率よく物事をこなしていく小山、それに比べて俺は……。

小山が妬ましい。

いや……違う…俺は落ちこぼれなんかじゃない。

 小山の言う通り、勉学よりも部活に時間を割いてしまっただけのこと……。
何千回と繰り返してきた言い訳を再び繰り返す。

 湯呑みに入っていた残りの酒を一気に煽れば、また一段と酔いが回り畳へとゴロリと寝転がる。
このまま寝てしまおうか……。

「お腹を出して寝ると風邪ひくぞ」

「お前は俺の母親かよ…」

 フンと鼻で笑えば、小山も「こんな息子に育てた覚えはありません」など言ってケラケラと笑っている。何がそんなに面白いんだか、そんなことを思いながら思考を手放そうとしていると、不意に小山の笑い声が止まったかと思うと、意を決したように小さな息を吸い込む声がした。

「あのさ、……俺、婚約したんだ。」

こんやく、こんやく……婚約!!!?

思わずガバリと起き上がる。

「えっ!?お前らいつの間に!?」

 小山の彼女も同じ医学部に通っている同級生だ。仲の良かったグループが一緒だったからもちろん知っているし、3人で飯を食べに行ったこともある。付き合い始めたという話は去年聞いていたが、その後特に小山から状況を聞いていたわけじゃないが、2人一緒に居たからなんだかんだ続いてるなー、くらいにしか思っていなかった。

 照れくさそうに頬をかきながら小山が立ち上がると、千鳥足で壁にぶつかりながらも、本の重みでしなっている古びた本棚の隙間から小さい箱を取り出す。

「婚約指輪だから、ペアーである必要は無いんだけど、お揃いで俺の分も買ったんだ。
だから財布は空っぽ!お祝いは1週間分の昼飯で頼むよ」

 ベルベットの箱から出てきたのは、シルバーのリング、シンプルだがどんな指輪より光り輝いている様に見えた。手を使う仕事、そして衛生的観点から普段指輪をしない医師が多い。小山も普段は棚にしまっているんだろう。

妬ましい。

「おーまーえー!!!どんどん先に進みやがって!!!!
しかもお祝いは昼飯1週間分?バカいえ!1ヶ月分の飯代くらいお祝いで奢ってやる!親の金だがな!」

「アハッハ!!アザッス!!
さすが大病院のご子息!!」

憎らしい。

 何で俺よりも前にいる。
何でいつも俺の先を歩く、お前より俺の方が優れている筈なのに、お前如きが何で……。

胸の内に渦巻くドス黒い感情を隠して、小山に笑いかける。

こいつさえ居なければ、俺はもっと生きやすいのに……。




 
そんな話をした数日後だったろうか?

「君のお父様は私立病院の外科医でしたよね?
そのー、ご実家も大病院だし、大学で医師をするよりご実家の病院で仕事をした方が君のためになるんじゃ無いかと思うんです。」

 病院の人事部長から呼び出しがあった時点で、何となく察していた。
30人は入れそうな会議室で差し込む夕日を浴びながら、申し訳なさそうな顔をした中年の人事部長が、何も言わない自分に居心地の悪さを感じてか視線を泳がせている。

「希望の外科にどうしても入れないんですか?
うちの家は代々この大学の出身だし、毎年多額の寄付だってしてるじゃ無いですか!!」

 こんな情けない事を言いたくは無い。言いたくないが、それこそ実家に戻れば親や優秀な兄達に何を言われるか、今までだってどれほど兄達に落ちこぼれと罵られてきたことか……。

「そのー、寄付金の額で配属先を決めているわけではないので…。
成績も重要だけれど、先生方の意向とかそのー……我々では手に負えない力が働くこともあるわけで…。
あぁー!それは君を入れない為というわけじゃ無いですよ、優先人物がいるというか何というか…。多分君も既に知っていると思いますが…。」

 その言葉で思い出す。自分と同学年にいた理事の息子とその従兄弟、そいつらも外科志望だった。
けれどあいつらは、叔父の病院に行くと言う話だったんじゃなかったのか?優先順位……この大学では自分は優遇される立場だと思っていた。しかし、上には上がいる。

俺には何も無いじゃないか…。

「小山は…小山は消化器外科に配属に?希望通りに入れるんですか?」

俯いたまま、吐き出すように問えば

「小山君?まだ公表はしていませんが、彼は成績上位3名以内に入っていますから、希望通りの場所に入れると思いますよ。君もあともう少し勉強の方を頑張っていたらね。部活に力を入れすぎてしまう子は毎年何人かいますから……。ともかく、先ほどの就職先の件は一度親御さんに相談してみてください。」

 机に広げていた書類をまとめながら、チラチラとこちらの様子を伺いながら応える人事部長、目の前の人物に決定権が無いことも、何を言っても変わらないことは分かっている。
けれど、苛立ちがおさまらない。

どいつもこいつも!!!!!!

ダンッ!!!!と、思い切り机に拳を叩きつける。
ジンジンと痛む拳、今はどうでも良い。

驚いた人事部長が小さく悲鳴をあげて、椅子から飛び退く様に立ち上がる。

「そっ、その、私にはどうすることもできませんので!!
親御さんとご相談してください!!」

 そう言うと、逃げるように会議室から出ていった。
バタンと音を立てて扉が閉まる。訪れた静寂、静かな殺意が自分の内にひしめく。

だが、人を殺めるリスクを取るほど俺はバカじゃない。

そう思いながら流れそうになる涙を堪えて、手で顔を覆ったのだった。



















そう……あの日、確かにそう思ったはずなのに…。












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