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文明の波紋
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中世は、宗教の時代だと云われる。古代文明が衰え、その庇護から放り出された人々が心を寄せたものは宗教であった。しかしキリスト教は、ヨーロッパの人々を保護するのと同時に、後の世からは暗黒時代として回顧される停滞を与えた。東洋では、仏教はむしろ光明をもたらし、文明を再生させるのに力があった。
中世の東洋に於いて、仏教の一つの中心地になったのは、今の中国の江蘇省や浙江省、上古には呉や越という王国が立った辺りであった。その地域は、古代には中国と呼ばれず、むしろ辺境であった。しかし漢の体制が土崩すると、孫氏の呉が興り、西晋の天下統一を経て、東晋がこれを継いだ。
東晋の帝都は健康といい、今の南京の辺りに在った。中国が鮮卑人に奪われたので、周、漢の古代文明の伝統を継ぐ士大夫は、多くが亡命してここに集った。そこに天竺より伝わった仏教文明の精髄を併せ、正統王朝の栄華を誇ったものであった。
当時の世界は、オリエント、インド、次いで中国が早く中世の段階に入ったのに対して、ヨーロッパを含む他の大部分は、まだ古代の朝靄の中に在った。
そもそも、古代文明が早く発達するのは、自然が貧しいのに、人々が協力して手を加えれば、非常に大きな農産が上がるという土地で、世界の中でもごく少数の地点に限られた。自然が豊かな土地では、ただ自然の循環を理解しさえすれば、そこそこ安定した暮らしができる為に、文明などという面倒くさいものを作る動機を持たなかった。そうした地域が文明化していくのは、文明社会の側から交易を需められることによった。
このように自然が豊かで、文明以前の文化をより長く楽しんだ土地が、古代中国の周囲には広がっていた。呉や越というのも、その一つであったが、中国に近い為に、その文明圏に一体化し、さらには中心地の座を奪うに至るのである。こうして文明は時間をかけながら、水のように広がり、さらにまたその周辺に、文明を波及させていくのであった。
健康のほとりを、長江が大いに水を湛えて、西から東へと流れて、海へと注いでいる。もしその流れが、海の中にも続いているとして、これをさらに下ると、やがて山がちな島々に着く。温暖湿潤で自然の生産力が高く、文明を必要としなかった土地である。越の地方からこの島々へは、古くから細々とながら、舟の往き来があった。
この島々に住む主な種族は、海外から倭人と呼ばれ、また自らそう称した。倭人たちは、その島々のことを、大八嶋洲と呼んだ。ここに、かつては八百とも云われる数の国々が生まれたものであったが、次第に大が小を併呑して、今は六十余りとなっている。その中でも、最も大きいものが倭国である。倭人たちは海外に対しては、倭国の王を代表として、共同で交渉をするのが習わしであった。それで海外からは、大八島洲を総称して倭国と呼んだ。
倭国の王は、自ら倭王と称し、海外からは倭王と呼ばれた。倭王氏は、呉の太伯の裔であると言い伝えられていた。太伯というのは、上古の呉王家の始祖である。倭人たちは、呉越地方を指して呉国と呼んだが、このくれというのは、樹木を切り出して水に浮かべ、まだ加工しない状態を謂う。くれを削れば舟になり、海外との往き来ができるということが、倭人たちにとって極めて重要であった。それで記念すべき船出の地を、くれと謂ったのである。
東晋が健康に都すると、多くの国々が使いを出して、通好を求めた。倭王讃の使いが健康に達した時には、すでに帝室の司馬氏は衰えていて、ほどなく劉氏がこれに取って代わり、王朝を新たに宋と号した。宋の永初二年、武帝は倭王讃に位を除授すべきことを認めた。それから四年後、文帝の元嘉二年、讃の使いが健康に詣り、表敬して方物を献じた。
倭王が呉国に遣使する目的は、権力の拡張に皇帝の威信を利用することであった。宗教は、文明に生きる人の苦しみを救う為に発達するものであるが、倭人たちはまだそれを必要とする段階の前に在った。仏教はまだ海を越えない。
讃が死ぬと、弟の彌が立って倭王となった。元嘉七年、彌の使いが詣り方物を献じた。文帝は彌を倭王に封じた。彌はなお、使持節・都督・倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭王として除正されることを求めた。文帝は詔して、彌を安東将軍・倭王に除した。彌はまた、同盟国の隋ら十三人を、平西将軍、征虜将軍、冠軍将軍、輔国将軍などに拝することを求めたので、文帝は並びにこれを聴した。
元嘉二十年になると、彌の子の済が使いを詣らせたので、文帝は安東将軍・倭王の相続を承認した。二十八年、文帝は済に使持節・都督・倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事を加え、求めのあった済の同盟者二十三人にも爵を与えた。
済が死ぬと、世子の興が使いを遣わした。大明六年、孝武帝は詔して安東将軍・倭王の爵号を授けた。
興が死ぬと、弟の武が立ち、自ら使持節・都督・倭百済新羅任那加羅秦韓慕韓七国諸軍事・安東大将軍・倭王と称した。昇明二年、順帝は武を、使持節・都督・倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭王に叙任した。
倭王武として宋朝に知られた人物は、倭国では若建王として伝えられた。若建王は、豪気強健を以て名を轟かせ、その治世は倭王の権威を最も輝かせて、権力を伸張した一代であった。しかし、絶頂はまた凋落の始まりでもある。若建王が死ぬと、子の白髪王子が立って倭王となったが、四年して死んだ。白髪王には子がなく、王族の子孫が探し出されて、倭王の位を継いだ。まず小祁王が三年余りで死に、次に兄の大祁王は七年足らず、その子の若雀王は八年で死んだ。若雀王にはまた子がなく、ここに倭王氏の血統は絶えたのであった。
この時、倭国より東に覇を唱えていたのは、彦太王という人物であった。彦太王は、母の生まれた高志国と、父の淡海国の王となり、大祁王の子手白髪王女を娶って、呉国よりもたらされた倭王の金印を手に入れた。また西に勢力を張る筑紫国の王、石井公をも討ち、大いに武威を光らせたのであった。
彦太王が死ぬと、その遺言によって、三人の王子が、高志、淡海、倭の三国を分け治めた。しかし高志の大広国王、淡海の小広国王は、三年ほどの間に死んだので、倭の広庭王が全てを相続することとなった。
広庭王の治世三十年余りは、呉国は梁の武帝の代と、重なる時期であった。この武帝は、歴代で最も仏教に傾倒した天子として知られる。後に唐の杜牧が、江南春と題する詩を作り、
千里鶯啼綠映紅 千里に鶯は啼き緑は紅に映え
水村山郭酒旗風 水村・山郭に酒旗の風
南朝四百八十寺 南朝四百八十寺
多少樓臺煙雨中 多少の楼臺あるや煙雨の中
と詠った景観は、武帝によって作られたのである。この為に仏教の膨張が起こり、まだこれを必要としない倭人の国にまで、その余波が及びつつあった。
中世の東洋に於いて、仏教の一つの中心地になったのは、今の中国の江蘇省や浙江省、上古には呉や越という王国が立った辺りであった。その地域は、古代には中国と呼ばれず、むしろ辺境であった。しかし漢の体制が土崩すると、孫氏の呉が興り、西晋の天下統一を経て、東晋がこれを継いだ。
東晋の帝都は健康といい、今の南京の辺りに在った。中国が鮮卑人に奪われたので、周、漢の古代文明の伝統を継ぐ士大夫は、多くが亡命してここに集った。そこに天竺より伝わった仏教文明の精髄を併せ、正統王朝の栄華を誇ったものであった。
当時の世界は、オリエント、インド、次いで中国が早く中世の段階に入ったのに対して、ヨーロッパを含む他の大部分は、まだ古代の朝靄の中に在った。
そもそも、古代文明が早く発達するのは、自然が貧しいのに、人々が協力して手を加えれば、非常に大きな農産が上がるという土地で、世界の中でもごく少数の地点に限られた。自然が豊かな土地では、ただ自然の循環を理解しさえすれば、そこそこ安定した暮らしができる為に、文明などという面倒くさいものを作る動機を持たなかった。そうした地域が文明化していくのは、文明社会の側から交易を需められることによった。
このように自然が豊かで、文明以前の文化をより長く楽しんだ土地が、古代中国の周囲には広がっていた。呉や越というのも、その一つであったが、中国に近い為に、その文明圏に一体化し、さらには中心地の座を奪うに至るのである。こうして文明は時間をかけながら、水のように広がり、さらにまたその周辺に、文明を波及させていくのであった。
健康のほとりを、長江が大いに水を湛えて、西から東へと流れて、海へと注いでいる。もしその流れが、海の中にも続いているとして、これをさらに下ると、やがて山がちな島々に着く。温暖湿潤で自然の生産力が高く、文明を必要としなかった土地である。越の地方からこの島々へは、古くから細々とながら、舟の往き来があった。
この島々に住む主な種族は、海外から倭人と呼ばれ、また自らそう称した。倭人たちは、その島々のことを、大八嶋洲と呼んだ。ここに、かつては八百とも云われる数の国々が生まれたものであったが、次第に大が小を併呑して、今は六十余りとなっている。その中でも、最も大きいものが倭国である。倭人たちは海外に対しては、倭国の王を代表として、共同で交渉をするのが習わしであった。それで海外からは、大八島洲を総称して倭国と呼んだ。
倭国の王は、自ら倭王と称し、海外からは倭王と呼ばれた。倭王氏は、呉の太伯の裔であると言い伝えられていた。太伯というのは、上古の呉王家の始祖である。倭人たちは、呉越地方を指して呉国と呼んだが、このくれというのは、樹木を切り出して水に浮かべ、まだ加工しない状態を謂う。くれを削れば舟になり、海外との往き来ができるということが、倭人たちにとって極めて重要であった。それで記念すべき船出の地を、くれと謂ったのである。
東晋が健康に都すると、多くの国々が使いを出して、通好を求めた。倭王讃の使いが健康に達した時には、すでに帝室の司馬氏は衰えていて、ほどなく劉氏がこれに取って代わり、王朝を新たに宋と号した。宋の永初二年、武帝は倭王讃に位を除授すべきことを認めた。それから四年後、文帝の元嘉二年、讃の使いが健康に詣り、表敬して方物を献じた。
倭王が呉国に遣使する目的は、権力の拡張に皇帝の威信を利用することであった。宗教は、文明に生きる人の苦しみを救う為に発達するものであるが、倭人たちはまだそれを必要とする段階の前に在った。仏教はまだ海を越えない。
讃が死ぬと、弟の彌が立って倭王となった。元嘉七年、彌の使いが詣り方物を献じた。文帝は彌を倭王に封じた。彌はなお、使持節・都督・倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭王として除正されることを求めた。文帝は詔して、彌を安東将軍・倭王に除した。彌はまた、同盟国の隋ら十三人を、平西将軍、征虜将軍、冠軍将軍、輔国将軍などに拝することを求めたので、文帝は並びにこれを聴した。
元嘉二十年になると、彌の子の済が使いを詣らせたので、文帝は安東将軍・倭王の相続を承認した。二十八年、文帝は済に使持節・都督・倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事を加え、求めのあった済の同盟者二十三人にも爵を与えた。
済が死ぬと、世子の興が使いを遣わした。大明六年、孝武帝は詔して安東将軍・倭王の爵号を授けた。
興が死ぬと、弟の武が立ち、自ら使持節・都督・倭百済新羅任那加羅秦韓慕韓七国諸軍事・安東大将軍・倭王と称した。昇明二年、順帝は武を、使持節・都督・倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭王に叙任した。
倭王武として宋朝に知られた人物は、倭国では若建王として伝えられた。若建王は、豪気強健を以て名を轟かせ、その治世は倭王の権威を最も輝かせて、権力を伸張した一代であった。しかし、絶頂はまた凋落の始まりでもある。若建王が死ぬと、子の白髪王子が立って倭王となったが、四年して死んだ。白髪王には子がなく、王族の子孫が探し出されて、倭王の位を継いだ。まず小祁王が三年余りで死に、次に兄の大祁王は七年足らず、その子の若雀王は八年で死んだ。若雀王にはまた子がなく、ここに倭王氏の血統は絶えたのであった。
この時、倭国より東に覇を唱えていたのは、彦太王という人物であった。彦太王は、母の生まれた高志国と、父の淡海国の王となり、大祁王の子手白髪王女を娶って、呉国よりもたらされた倭王の金印を手に入れた。また西に勢力を張る筑紫国の王、石井公をも討ち、大いに武威を光らせたのであった。
彦太王が死ぬと、その遺言によって、三人の王子が、高志、淡海、倭の三国を分け治めた。しかし高志の大広国王、淡海の小広国王は、三年ほどの間に死んだので、倭の広庭王が全てを相続することとなった。
広庭王の治世三十年余りは、呉国は梁の武帝の代と、重なる時期であった。この武帝は、歴代で最も仏教に傾倒した天子として知られる。後に唐の杜牧が、江南春と題する詩を作り、
千里鶯啼綠映紅 千里に鶯は啼き緑は紅に映え
水村山郭酒旗風 水村・山郭に酒旗の風
南朝四百八十寺 南朝四百八十寺
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