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東夷の巻
恩と命
さすが旧盟主国だけあって、奴国の邑は倭人諸国の中では最も大きい方に入る。人の往来も多く、市場も広い。この日はたまたま市の立つ日に当たっていたが、姫氏王は敢えてそのまま商いをさせている。市場の一辺には、虎落で区られた一つの空間が有って、いつもならその中の庁舎には、交易を監督する役人が詰めている。庭は広く取られ、商人が行き帰りに届け出をしたり、市場で揉め事が起こると裁判をする所でもあるが、今日はどうも様子が違う。何するのかと行き交う人々が、斜め格子の隙間から中を窺っていると、大勢の人夫が薦に包んだ荷物を重そうに担いで、その庭に運び込む。庭先には大きな鉄槌が用意されている。
「やれ」
と姫氏王は、西向きの庇の陰から指示を出す。すると奴国の代官兕馬觚が軒先で、
「やれい!」
と号令を伝える。包みが解かれて、中から大型の銅鏡が次々と出てくる。それも古い物で緑青が浮いている。
「おいぼれが、よく貯めこんだものだな」
と女王は呟く。それは奴王が、自分の死んだ時の為に蓄えておいた物であった。倭人は墓に鏡を埋納すれば、死後の魂が安寧の地にまっすぐ導かれると信じ、またその数が多いほど立派な葬儀になると考えている。人夫たちは鉄槌を手に取り、銅鏡に打ち下ろす。金属の殴ち合う音が轟轟と耳に響き、銅鏡は鋭い角を立てた小片に散り分かれて行く。
――カーン、ガーン……
異様な音を聞いて、虎落の外に一層多くの見物が寄り集まる。幾重にも鐘を揺るがした様なその音が、張政の頭をも揺らす様に響く。と、ふっとその音が消えた。兕馬觚が人夫たちに制止の合図を送っている。人夫たちは手を止めて、門の方を見遣る。
「奴王を伊都国から逃がした罪人ども、引いて参りました」
後ろ手に縛り上げられた十人ほどの老人たちを兵士に引かせて、その先頭に立つのは、伊都国の付家老柄渠觚である。
「じじい、久しいな」
と言いつつ姫氏王は、軒の下から歩み出た。顔はいつもの頭巾で隠して目だけを光らせ、王碧が邪馬臺の錦で縫った、中国様式の王服を着ている。頭巾を押さえる竹の輪とそこから垂らした玉飾り、それに肩に掛けた領巾は倭人の様式である。その動きが余り急であったので、誰もが礼を忘れて呆気に取られた。そこで代官の兕馬觚が慌てて跪拝をしたので、鏡割りの人夫たちも得物を置いて平伏し、虎落の外の見物たちもこの珍しい衣装を纏った人の誰なるかを知る所となった。
「昔は、そんな恐い眼はなさいませんでしたな」
と、縄に捕らわれた中の長老らしい一人が応える。姫氏王はそんな言い様など意に介さない。
「じじい、村で鉄を打っておればよいものを、なぜ奴王を逃がそうとした」
「土を耕さぬ我らに、奴王さまは食うものが喰え、着るものが著られるようにして下されました。その恩に報いねば名を失いましょう」
「その命を愛しまぬのか」
「恩は身を以て返すもの、已に恩を頂いたからには、なんの命を愛しむことがありましょう」
「じじいはそれで良かろうが、見ればまだ少い者も混じっておるではないか」
姫氏王は頤で兵士を動かして、罪人たちの中から一人の少年を引き出させた。年は二十になるかどうかと見え、あどけなさの残る顔をしている。
「己、なぜこの行いに加わったか」
「へい、今そこのじいさまの申し上げたとおり、同じ心でございます」
「嘘をつけ、どうせじじいどもにたぶらかされたのであろうが」
少年は頭を横に振る。
「己の父母ならまだしも、その齢では奴王の恩を受けたとは言えまいが」
女王は生殺与奪の拳を握る者として、若者には何か理由を付けて助けてやろうとしている。しかし少年は正直に言う。
「この身は父母より受けたもの、世々父母の頂いた恩は、この身の恩と同じでございます」
そうか――と言って姫氏王は、視線を外して考える。何という愚かな者よ。だがまあ待てよ、ここで鍛冶の手を減らすというのも愚かであろう。
「ならばその恩、この予が買い取ろう」
「恩を買い取ると仰せになっても、何を償いに下さいます」
「奴王が汝らに与えた恩は、予が買い取る。その代わり、汝らには汝らの命を与えて遣わす」
死刑にはせずにおいてやろう、と女王は言う。そう言われれば、殺されるのは避けられないと思えばこそ強がりの答弁をした者も、命が本当に惜しくないのでもない。
「ではこの皆を死なせずにおくと仰せになりますのか」
と長老。
「そうだ。良いか」
「この命は已に王の手の内にあれば、死刑をいつに延ばされようとも致し方ござりませぬ」
「そうか、だが忘れるな、銅を融かし、鉄を打つこと――、その為に汝らの命があるということを」
姫氏王の命令で、罪人たちは縄を解かれ、奴国の郊外、丘陵地帯に在る鍛冶の村へ護送される。それで場の緊張もほぐれようかという所に、続いて二人の男が現れる。難斗米と伊声耆だ。難斗米は、腰から崩れる様に跪き、貸し与えられた太刀を押し頂く。一歩後ろでは伊声耆が、持ち重りのする手桶をドッと地面に下ろした。
「やれ」
と姫氏王は、西向きの庇の陰から指示を出す。すると奴国の代官兕馬觚が軒先で、
「やれい!」
と号令を伝える。包みが解かれて、中から大型の銅鏡が次々と出てくる。それも古い物で緑青が浮いている。
「おいぼれが、よく貯めこんだものだな」
と女王は呟く。それは奴王が、自分の死んだ時の為に蓄えておいた物であった。倭人は墓に鏡を埋納すれば、死後の魂が安寧の地にまっすぐ導かれると信じ、またその数が多いほど立派な葬儀になると考えている。人夫たちは鉄槌を手に取り、銅鏡に打ち下ろす。金属の殴ち合う音が轟轟と耳に響き、銅鏡は鋭い角を立てた小片に散り分かれて行く。
――カーン、ガーン……
異様な音を聞いて、虎落の外に一層多くの見物が寄り集まる。幾重にも鐘を揺るがした様なその音が、張政の頭をも揺らす様に響く。と、ふっとその音が消えた。兕馬觚が人夫たちに制止の合図を送っている。人夫たちは手を止めて、門の方を見遣る。
「奴王を伊都国から逃がした罪人ども、引いて参りました」
後ろ手に縛り上げられた十人ほどの老人たちを兵士に引かせて、その先頭に立つのは、伊都国の付家老柄渠觚である。
「じじい、久しいな」
と言いつつ姫氏王は、軒の下から歩み出た。顔はいつもの頭巾で隠して目だけを光らせ、王碧が邪馬臺の錦で縫った、中国様式の王服を着ている。頭巾を押さえる竹の輪とそこから垂らした玉飾り、それに肩に掛けた領巾は倭人の様式である。その動きが余り急であったので、誰もが礼を忘れて呆気に取られた。そこで代官の兕馬觚が慌てて跪拝をしたので、鏡割りの人夫たちも得物を置いて平伏し、虎落の外の見物たちもこの珍しい衣装を纏った人の誰なるかを知る所となった。
「昔は、そんな恐い眼はなさいませんでしたな」
と、縄に捕らわれた中の長老らしい一人が応える。姫氏王はそんな言い様など意に介さない。
「じじい、村で鉄を打っておればよいものを、なぜ奴王を逃がそうとした」
「土を耕さぬ我らに、奴王さまは食うものが喰え、着るものが著られるようにして下されました。その恩に報いねば名を失いましょう」
「その命を愛しまぬのか」
「恩は身を以て返すもの、已に恩を頂いたからには、なんの命を愛しむことがありましょう」
「じじいはそれで良かろうが、見ればまだ少い者も混じっておるではないか」
姫氏王は頤で兵士を動かして、罪人たちの中から一人の少年を引き出させた。年は二十になるかどうかと見え、あどけなさの残る顔をしている。
「己、なぜこの行いに加わったか」
「へい、今そこのじいさまの申し上げたとおり、同じ心でございます」
「嘘をつけ、どうせじじいどもにたぶらかされたのであろうが」
少年は頭を横に振る。
「己の父母ならまだしも、その齢では奴王の恩を受けたとは言えまいが」
女王は生殺与奪の拳を握る者として、若者には何か理由を付けて助けてやろうとしている。しかし少年は正直に言う。
「この身は父母より受けたもの、世々父母の頂いた恩は、この身の恩と同じでございます」
そうか――と言って姫氏王は、視線を外して考える。何という愚かな者よ。だがまあ待てよ、ここで鍛冶の手を減らすというのも愚かであろう。
「ならばその恩、この予が買い取ろう」
「恩を買い取ると仰せになっても、何を償いに下さいます」
「奴王が汝らに与えた恩は、予が買い取る。その代わり、汝らには汝らの命を与えて遣わす」
死刑にはせずにおいてやろう、と女王は言う。そう言われれば、殺されるのは避けられないと思えばこそ強がりの答弁をした者も、命が本当に惜しくないのでもない。
「ではこの皆を死なせずにおくと仰せになりますのか」
と長老。
「そうだ。良いか」
「この命は已に王の手の内にあれば、死刑をいつに延ばされようとも致し方ござりませぬ」
「そうか、だが忘れるな、銅を融かし、鉄を打つこと――、その為に汝らの命があるということを」
姫氏王の命令で、罪人たちは縄を解かれ、奴国の郊外、丘陵地帯に在る鍛冶の村へ護送される。それで場の緊張もほぐれようかという所に、続いて二人の男が現れる。難斗米と伊声耆だ。難斗米は、腰から崩れる様に跪き、貸し与えられた太刀を押し頂く。一歩後ろでは伊声耆が、持ち重りのする手桶をドッと地面に下ろした。
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