文字の大きさ
大
中
小
29 / 41
東夷の巻
姉と弟
農閑期は、兵士の訓練をする季節でもある。姫氏王は数々早朝から人員を動かして練兵をする。そして難斗米や伊声耆には采配を振る練習をさせる。姫氏王は帷幄の中に在ってその様子を閲ている。そういった時には主人不在でひっそりとするはずの邪馬臺の王宮は、この所に限っては只ならぬ緊張に包まれている。
「おおい、臺与に会わせてくれ。顔だけでも見せてくれ!」
狗古智卑狗は、姫氏王が外に出ている時を見計らって、臺与に会わせろ、という要求をしに来る。しかし留守居をする侍女や衛兵たちは、「狗古智を臺与に近付けるな」という固い君命を受けている。
「いけません。ここをお通しするわけには」
一方で、君主の弟である狗古智卑狗の要求にも重みを感じない訳にはいかない。
「ご勘弁ください。大王の禁を仰せつかっておりますゆえ」
狗古智卑狗はそう拒まれて、主人の帰らぬ内に引き退がるという行止を何日か繰り返し、その果てに、
「お、おれの子なんだぞ!」
と口走った現場を、姫氏王に押さえられた。王は目に瞋りを表し、腕を斜交いに狗古智卑狗の襟をつかんで、
「久しぶりに稽古を付けてやろう」
と言うなり、弟の胴を腰に乗せて地面に投げ付けてしまった。それで狗古智卑狗は甚くしょげて、張政に泣き付いたのである。
「張政さんといったな、どうか姉に取りなしてくだされ」
張政が宿にしている室に狗古智卑狗は訪ねて来た。
「どうか頼む。姉に睨まれては生きた心地がしねえんだ」
そこだけは父親に似たらしい、骨の太そうな体を幾重にも畳んで、狗古智卑狗は頼み込む。
「そうは申されても、王は臺与さまに会わせはしますまい」
「いやそれはもう懲りた。臺与を姉さんに預けたときの約束を破ろうとしたのが悪かったのじゃ。おれが悪かった。だから早く狗奴国に帰れるように計らっておくれでないか」
と言うのは、狗古智卑狗が狗奴王から「奴王の霊を慰めてから帰れ」と言い付けられている事である。それを果たすには、奴王の墓を作る許しが要る。これについては張政にも、難斗米の為に思う所が有った。張政は狗古智卑狗の頼みに乗って、演習中の姫氏王を訪ねに出る。温暖なこの土地にも、冬となれば冷たい風が吹く。粛殺の気を湛えた灰色の雲の下に、女王は陣を構えている。
「案じるな。近いうちに沙汰をするであろう」
聡明な女王はとっくに張政の来意を見通している。
「あの弟がおっては予もおちつかぬし、斗米にも句切りをつけさせてやらねばならぬしな」
と言った頭巾の中の眼に、人の子らしい温情が浮かぶのを張政は見た。
「しかしどうだ、張政。狗古智の人品をどう思う」
「はっ、それは……」
「遠慮をいたすな。有り体に申してみよ」
この女王の眼神に射られると、物を隠すのは無駄という気に張政はさせられる。
「やや考えの足りぬお方であるらしく見受けました」
やらかしてからああもくよくよするとは、どうも見通しの利かない思慮の浅い人物だな、と張政は見ていた。
「愚かなものであろう。出来の良い兄たちが前に死んでしまって、父上にも気の毒なことだ。だが予には都合の良いことだ。父上が王であってこそ巴琊斗どもも命がけで国を守るであろうが、狗古智ではとても手懐けられまい」
「では、やはり狗奴国を併せるおつもりなのですか」
「数年のうちにはそうなる」
「国というのは……」
張政には、中国に旅した時に抱いた疑問が有った。
「……国というのは、どうでも大きくしなくてはならぬものなのでしょうか」
「それが世の習いであろう。中国にも昔は小さい国が万を数えたと聞いている。それが全て漢の統べる所となったではないか」
「しかし、その漢もとうに瓦解をして、九州は血で血を洗う戦いをし、やや鎮まった今も荒んだままです。吾が中国で見聞きした所では、皆こんなことなら小国寡民の昔が良かったと嘆いておりました」
「そうか」
張政が洛陽に行って大いに感じ入った話しにも、姫氏王は心を動かさない。
「だがいくら昔を懐かしんでも、本当に返ることは出来まい。戻り道は無いのだ」
その眼はもう冷徹な権力者のそれに戻っていた。〈邪馬臺と狗奴の王にして、全ての倭人の王〉になるという姫氏王の決意に揺るぎは無い。
難斗米が姫氏王より一つの辞令を受けたのは、その翌日の事であった。
「汝、予が命を承けて大率と為り、伊都国を治所として、北の海に循う国々を巡り察よ」
その任務の証として、難斗米は再び伝世の太刀を貸し与えられる。
「併せて奴王の冢を造り骸を葬れ。奴王の晩節に犯した罪は万死に値するものであるが、かつての積徳に免じて、特に庶人の礼式を以て葬ることを赦す」
この所ずっと口数少なであった難斗米は、この日いくらか晴れた顔を張政に見せた。難斗米と狗古智卑狗は北へ向かう。次の夏まで邪馬臺に留まる事になっている梯儁たちをひとまず残して、張政も難斗米に付き添って行く。
「おおい、臺与に会わせてくれ。顔だけでも見せてくれ!」
狗古智卑狗は、姫氏王が外に出ている時を見計らって、臺与に会わせろ、という要求をしに来る。しかし留守居をする侍女や衛兵たちは、「狗古智を臺与に近付けるな」という固い君命を受けている。
「いけません。ここをお通しするわけには」
一方で、君主の弟である狗古智卑狗の要求にも重みを感じない訳にはいかない。
「ご勘弁ください。大王の禁を仰せつかっておりますゆえ」
狗古智卑狗はそう拒まれて、主人の帰らぬ内に引き退がるという行止を何日か繰り返し、その果てに、
「お、おれの子なんだぞ!」
と口走った現場を、姫氏王に押さえられた。王は目に瞋りを表し、腕を斜交いに狗古智卑狗の襟をつかんで、
「久しぶりに稽古を付けてやろう」
と言うなり、弟の胴を腰に乗せて地面に投げ付けてしまった。それで狗古智卑狗は甚くしょげて、張政に泣き付いたのである。
「張政さんといったな、どうか姉に取りなしてくだされ」
張政が宿にしている室に狗古智卑狗は訪ねて来た。
「どうか頼む。姉に睨まれては生きた心地がしねえんだ」
そこだけは父親に似たらしい、骨の太そうな体を幾重にも畳んで、狗古智卑狗は頼み込む。
「そうは申されても、王は臺与さまに会わせはしますまい」
「いやそれはもう懲りた。臺与を姉さんに預けたときの約束を破ろうとしたのが悪かったのじゃ。おれが悪かった。だから早く狗奴国に帰れるように計らっておくれでないか」
と言うのは、狗古智卑狗が狗奴王から「奴王の霊を慰めてから帰れ」と言い付けられている事である。それを果たすには、奴王の墓を作る許しが要る。これについては張政にも、難斗米の為に思う所が有った。張政は狗古智卑狗の頼みに乗って、演習中の姫氏王を訪ねに出る。温暖なこの土地にも、冬となれば冷たい風が吹く。粛殺の気を湛えた灰色の雲の下に、女王は陣を構えている。
「案じるな。近いうちに沙汰をするであろう」
聡明な女王はとっくに張政の来意を見通している。
「あの弟がおっては予もおちつかぬし、斗米にも句切りをつけさせてやらねばならぬしな」
と言った頭巾の中の眼に、人の子らしい温情が浮かぶのを張政は見た。
「しかしどうだ、張政。狗古智の人品をどう思う」
「はっ、それは……」
「遠慮をいたすな。有り体に申してみよ」
この女王の眼神に射られると、物を隠すのは無駄という気に張政はさせられる。
「やや考えの足りぬお方であるらしく見受けました」
やらかしてからああもくよくよするとは、どうも見通しの利かない思慮の浅い人物だな、と張政は見ていた。
「愚かなものであろう。出来の良い兄たちが前に死んでしまって、父上にも気の毒なことだ。だが予には都合の良いことだ。父上が王であってこそ巴琊斗どもも命がけで国を守るであろうが、狗古智ではとても手懐けられまい」
「では、やはり狗奴国を併せるおつもりなのですか」
「数年のうちにはそうなる」
「国というのは……」
張政には、中国に旅した時に抱いた疑問が有った。
「……国というのは、どうでも大きくしなくてはならぬものなのでしょうか」
「それが世の習いであろう。中国にも昔は小さい国が万を数えたと聞いている。それが全て漢の統べる所となったではないか」
「しかし、その漢もとうに瓦解をして、九州は血で血を洗う戦いをし、やや鎮まった今も荒んだままです。吾が中国で見聞きした所では、皆こんなことなら小国寡民の昔が良かったと嘆いておりました」
「そうか」
張政が洛陽に行って大いに感じ入った話しにも、姫氏王は心を動かさない。
「だがいくら昔を懐かしんでも、本当に返ることは出来まい。戻り道は無いのだ」
その眼はもう冷徹な権力者のそれに戻っていた。〈邪馬臺と狗奴の王にして、全ての倭人の王〉になるという姫氏王の決意に揺るぎは無い。
難斗米が姫氏王より一つの辞令を受けたのは、その翌日の事であった。
「汝、予が命を承けて大率と為り、伊都国を治所として、北の海に循う国々を巡り察よ」
その任務の証として、難斗米は再び伝世の太刀を貸し与えられる。
「併せて奴王の冢を造り骸を葬れ。奴王の晩節に犯した罪は万死に値するものであるが、かつての積徳に免じて、特に庶人の礼式を以て葬ることを赦す」
この所ずっと口数少なであった難斗米は、この日いくらか晴れた顔を張政に見せた。難斗米と狗古智卑狗は北へ向かう。次の夏まで邪馬臺に留まる事になっている梯儁たちをひとまず残して、張政も難斗米に付き添って行く。
感想 0
あなたにおすすめの小説
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
竜頭――柔太郎と清次郎――
【第12回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞】
幕末の信州上田藩。
藤井松平家の下級藩士・芦田家に、柔太郎と清次郎の兄弟が居た。
兄・柔太郎は儒学を学ぶため昌平黌《しょうへいこう》へ、弟・清次郎は数学を学ぶため瑪得瑪弟加塾《まてまてかじゅく》へ、それぞれ江戸遊学をした。
嘉永6年(1853年)、兄弟は十日の休暇をとって、浦賀まで「黒船の大きさを測定する」ための旅に向かう。
品川宿で待ち合わせをした兄弟であったが、弟・清次郎は約束の時間までにはやってこなかった。
時は経ち――。
兄・柔太郎は学問を終えて帰郷し、藩校で教鞭を執るようになった。
遅れて一時帰郷した清次郎だったが、藩命による出仕を拒み、遊学の延長を望んでいた。
----------
幕末期の兵学者・赤松小三郎先生と、その実兄で教育者の芦田柔太郎のお話。
※この作品は史実を元にしたフィクションです。
※時系列・人物の性格などは、史実と違う部分があります。
【ゆっくりのんびり更新中】
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
偽夫婦お家騒動始末記
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
独裁者・武田信玄
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。
独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす
【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す
【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す
【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす
【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
猫又二子仇討譚 - ねこまたふたごあだうちのはなし -
第12回歴史・時代小説大賞の奨励賞受賞記念に【解説と後書き】を追加。
妖と人、一匹と一人。
復讐の刃と、数奇な因縁が交錯する和風ダークファンタジー時代小説。
--------------
主人の血を舐め、復讐の妖(あやかし)となった白猫・姥雪(うばゆき)。
理不尽に殺された主君夫婦の最期の願いを受け、化け猫へと変貌を遂げた姥雪は、仇である藩主・前田盈一郎(まえだえいいちろう)の命を狙う。だが、仇の首を狙う彼女の前に現れたのは、憎き藩主の双子の弟であり、破天荒な博徒・絃(げん)だった。
自由奔放で危うく、それでいて桁外れの強運を持つ博徒の絃。
仇と同じ顔、けれど全く異なる生き方をする彼に振り回されながら姥雪は行動を共にするが――。
孤独な化け猫と、運を賭ける男が織りなす、和風怪異復讐譚。
◆2026,06,26/初稿完結◆
◆2026,08,01/解説と後書き追加◆
織田信長IF… 天下統一再び!!
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。