夢のつづきを見にいこう

羽藏ナキ

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第三章 恋する少女

新婚生活

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 今日一日は針のむしろに座っている気分だった。
 朝の森田君の態度に気圧されたことで、香田さん達のように詰問してくる人はいなかったけど、森田君の彼らしからぬ行動も相まって視線だけはずっと向けられていた。チクチクと刺さるような視線は身じろぎしたくなるほど不快で、コソコソと囁かれる噂話は耳元で鳴る虫の羽音みたいで気持ち悪い。わたしは暖房の効いた教室の中で肌が粟立あわだつのを何度も感じていた。

 放課後になると、わたしは逃げるように教室を後にした。
 外は雨が降っていた。昼過ぎからぽつぽつと振り始めた雨が、いまは勢いを増してザアアと音を立てながら降り注いでいる。わたしはため息をつきながら鞄から折り畳み傘を取り出した。お母さんがしつこく持っていけと言った折り畳み傘。これを使うと、まるでお母さんが言っていることが正しいと証明しているようで釈然としない。八つ当たりだと分かっていても、むしゃくしゃして気持ちが落ち着かない。帰り道の中、傘にぶつかる雨粒の音もアスファルトの濡れた臭いにも苛立ちを覚え、またひとつ大きなため息が漏れた。

 商店街の前に来ると、わたしは迷わず中へと入った。
 お母さんに見つかったら怒られるけど、そんなことはどうでもよかった。今日はとにかく気分転換しないとやっていられない。スガッチのことで頭をいっぱいにしたい。目指す場所まで、わたしはひたすらに足を動かした。
 平日の雨の中ということもあって、商店街の中に人はほとんどいない。こんな寂れた景色は見慣れているはずなのに、今日はなんだか淀んでいるように見える。こういう風に景色が濁って見えるのは、やっぱり自分の気持ちのせいなんだろうか。アニメや漫画だと、気落ちした登場人物が雨の中とぼとぼ歩くシーンをよく見る。スガッチが出演したアニメでもそういうシーンがあったはずだ。雨の中で泣いているヒロインをスガッチが声をあてた幼馴染の男の子が抱きしめる。
 思い出してわたしは苦笑した。いまの状況、まるであのヒロインみたい。決定的に違うのは、現実のわたしには抱きしめてくれる人がいないことだ。でも、別にそれでもいい。あのお店に行けば、夢の中でスガッチに抱きしめてもらえるから。

 お店のある雑居ビルの前で足を止めた。古びた雑居ビルは雨空と重なるとより侘しい雰囲気がある。見上げると二階の窓のカーテンが空いていて、部屋の明かりが漏れ出ているのが見えた。あそこに夢野さんがいるはず。わたしはぐっと傘の柄を握り締めてビルの中へと入った。二階まで上がると、張り紙のある扉とその脇の小さな傘立てが目に付いた。前に来たときに傘立てはなかった。どうやら天気に合わせた対応をしているらしい。わたしは傘を振って水気を切り、傘立てに立てた。扉を開けて部屋に入ると、夢野さんはソファに座って本を読んでいた。

「おや? 天野さん、いらっしゃいませ」

 本を閉じて立ち上がった夢野さんにわたしは会釈をした。

「夢をご所望ということですよね?」
「そうです」

 わたしが答えると、夢野さんは「どうぞ、席にかけてください」とわたしを正面のテーブルに促した。これまでと同じ流れだ。わたしは手前の椅子を引いて腰かける。夢野さんは台所に移動しており、わたしは少しそわそわしながら夢野さんが戻ってくるのを待った。
 ここで飲むホットココアも楽しみのひとつだった。夢野さんの作るココアはけっこう美味しい。たまにお母さんが作ってくれるのと遜色ないくらいだ。早く来ないかな、と期待して待っていると、困ったように眉をひそめた夢野さんが台所から顔を出した。

「申し訳ありません。ちょうどココアパウダーを切らしてしまっていて、お茶かコーヒーどっちがいいですか?」
「え? あ、じゃあ、コーヒーで……」
「コーヒーですね。少々お待ちください」

 夢野さんは再び台所へと姿を消した。
 ココア、ないんだ。わたしはがっくりきてしまった。うまくいかないな、今日は。
 戻ってきた夢野さんはコーヒーを二つテーブに置いた。わたしの方のコーヒーにはペットシュガーとポーションミルクとマドラーが添えられている。

「ありがとうございます」

 わたしはミルクと砂糖の両方を入れた。ブラックコーヒーは苦くて飲めない。マドラーでかき混ぜていると、夢野さんが紙とペンをテーブルに置いた。

「無料分は今回で最後ですね」

 席に着いた夢野さんが言った。わたしは「そうですね」と小さく返事をして、コーヒーに口をつけた。まだちょっと苦い……。ミルクも砂糖ももう少し足したいくらいだったけど、追加で頼むのはさすがに憚《はばか》られた。
 わたしはペンを持ち、ひとまず名前と日付を書いた。日付は今日の夜十時から朝六時とこれまでより一時間だけ早めておいた。これで遅刻ギリギリになるということはなくなるはず。問題は夢の内容だった。どうしよう。どういう夢にしようか。わたしは、うーん、と唸りながらペンを置く。夢野さんはいつのまにか席を立ってソファで本の続きを読んでいた。

 これまでの夢では付き合いたてのカップルみたいなデートをしていた。お家デートと水族館デート。どちらも幸せな時間ではあったけど、またデート場所を変えたくらいだと変化が小さくてマンネリ化してしまう気がする。
 二人の関係性を変えてみようか? 恋人同士という関係から新婚さんに変えてみるとか? 

 わたしはふと、自分の左手に目をやった。ネイルもなにもしていない地味な手。その薬指にキラリと光る指輪がはまっているのを想像すると、自分には不釣り合いに見える反面、胸が熱くなるのを感じた。
 今日くらい、贅沢してもいいよね。夢を見るだけで誰にも迷惑はかけないんだから。わたしは『スガッチとの新婚生活』と記入し、紙をファイルに挟んで鞄に仕舞い席を立った。結局、コーヒーは飲み切れなかった。夢野さんはわたしが立ち上がると同時に本を閉じ、扉の方まで向かった。

「本日はありがとうございました。次回からは有料となりますが、良ければまたご利用ください」

 夢野さんは扉を開けて頭を下げた。わたしも会釈を返して部屋を出た。外は勢いそのままに雨が降り続いていて、しばらくは止みそうになかった。
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