輪の魔術師~僕の転生した異世界では、人間は伝説の魔術師になれるそうです~

海老石泥布

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異世界"イルト" ~赤の領域~

31.頭脳戦と肉弾戦

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「あの女が、いないですねえ?」

 シェスパーはクウを視界に入れつつも、周辺を見回してフェナの姿をさぐる。

「ねえ、シェスパー」

 クウの声に、シェスパーが視線で反応する。

「さっきも言われてたけど、その高さは──フェナの射程範囲内だよ」

 シェスパーの背に──剣ではない何かを持った、フェナが飛び掛かる。第二波だいにはのナイフ攻撃はすでにクウへと放たれ、終わっている。今のシェスパーを取り囲む物は、何も無かった。

「ちいっ──!」

「──遅いわよ。うふふ」

 シェスパーは素早くコートの内側から数本のナイフを取り出し、フェナをり付ける。フェナはひらりとそれをかわし、シェスパーの頭部に何かをたたきつける。

 フェナが持っていたのは──まだせんいていない、数本の酒瓶さかびんだった。

「ぐあっ!」

 びんれ、シェスパーの身体からだ酒塗さけまみれになった。シルクハットと笑い顔の仮面がそろってシェスパーの頭部から外れ、シェスパーの素顔すがおあらわになる。

 ひたいに生《は》えた小さな二本の角。紫掛むらさきがかった白の長髪。長い睫毛まつげするどい目。シェスパーの正体は──女だった。

「あら、意外と可愛かわいい顔をしてたのね」

「くっ、貴様きさま──!」

 フェナはシェスパーの腹部をりつけて距離きょりを取ると、ひもで腰に固定していた──最後の酒瓶さかびんを手に持つ。

 それは燃える布でせんがされた、即席そくせき火炎瓶かえんびんだった。フェナが手際良くびんを投げる。けられなかったシェスパーの身体に、瓶が当たって割れた。

「うわあああっ──!」

 身体からだ全体が炎上し、シェスパーが悲鳴を上げて取り乱した。すると、シェスパーの真下にうっすらと出現していた、紫色の"輪"が形を乱す。

 地面の"輪"が不安定になった瞬間、宙に浮いていたシェスパーの身体は──地上に落ちた。

上手うまくいったみたいだね」

 クウがぼそりとつぶやく。

 シェスパーは地面をゴロゴロと左右に転がり、必至に体の火を消す。そして燃えるコートを脱ぎ捨てると、体勢を整えて立ち上がった。

 シェスパーのすぐ目の前には──クウが立っている。クウは半透明な剣を構え、シェスパーの胸部きょうぶに向かって刺突攻撃を放つ。

「くっ!」

 シェスパーがクウの動きに反応し、地面に紫色の"輪"を展開した。だが、先程のフェナの攻撃とは違い、クウの剣はシェスパーの体表たいひょうで止まる事は無く──シェスパーの身体からだにしっかりと突き刺さった。

「ぐあっ──!」

 刺さった剣を、クウは即座そくざに抜く。傷口から鮮血せんけつ噴出ふんしゅつし、シェスパーはゆっくりとその場に倒れ込む。

 クウは動かなくなったシェスパーに向き直ると──両手を合わせて一礼した。

「──見事ね。今の一撃、完璧かんぺきに急所へ入ったわ」

 クウの真横に、フェナが並び立つ。

「クウの剣ならつうじるのね。──どうして、私の攻撃はふせがれたのかしら?」

 フェナはシェスパーの身体を見下ろしながら、クウに質問を投げかける。

「それは多分、フェナの使った剣が鉄製だったからじゃないかな。恐らくシェスパーの"輪"の正体は──磁力の操作なんだと思う」

「ジリョク……?」

 フェナは不思議そうな顔をする。磁力について、知らない様子である。

「上手く説明出来るかな……。簡単に言うと──引っ張る力と突き放す力の事さ。鉄とか、特定の金属に強く作用するんだ。温度が上がると弱くなったりするんだよ」

「ふうん。ようするにシェスパーは"突き放す力"で、自分の身体を浮かせたり、剣を押し戻したりしていたのね? ──酒で体を燃やした時は、その"ジリョク"が弱くなったから地面に墜落ついらくしたのかしら」

「もしくは、動揺して"輪"を維持出来なくなったのかも」

「──クウを見てると、つくづく"人間"って面白いと感じるわね。私も、"黒の騎士"の安っぽい剣を使いまわすのは止めて、クウみたいな魔剣まけんを持とうかしら」

「それも良いかも知れないね。──痛っ」

 クウは、シェスパーのナイフが刺さった場所を手で押さえる。傷は深くは無い様子だが、出血が止まらない。

「いけないわね。クウ、早く手当てをしましょう。……あら?」

 フェナは、地面にうつぶせで倒れているシェスパーを怪訝けげんそうに見る。シェスパーの身体が──ゆっくり動き出した。

「なっ……! ──クウ、見て!」

「そんな……! まさか、まだ……!?」

 シェスパーはよろめきながら立ち上がり、するどい眼光でクウとフェナをにらみ付ける。シェスパーの胸元には──新たな黒の"輪"が展開されていた。

「──"兇躯《ウォレス》"」

 シェスパーの禍々まがまがしい声がひびく。シェスパーの華奢きゃしゃな身体が、急激な膨張ぼうちょうを始めた。

「この"輪"は、"紫雷のゴーバ"と同じ……?」

 フェナがクウの手を引きつつ、数歩後退こうたいする。

 人型だったシェスパーの下半身が、赤白い山椒魚さんしょううおたものに変異した。まるで巨大な四足歩行の水棲類すいせいるいから、上半身だけの人間が不自然に生えているかのごとき外見である。

 巨大な口を持つ山椒魚の顔が、クウとフェナをじっと見つめる。その上部に融合ゆうごうした──シェスパーの上半身もまた、二人を冷たい視線で見下ろしていた。

「──まさか、私の"游磁界ファラデー"を打ち破る魔術師がいるとは……。ここまで追い詰められては、禁じ手を使う他ありませんねえ」

 シェスパーが自嘲気味じちょうぎみに笑うと、下半身に位置する山椒魚が大声でえた。

「"人間"……。さっきの一撃はきましたねえ。"兇躯《ウォレス》"の展開があと少し遅ければ、死んでいたでしょうねえ。私の与えたそのナイフの傷だけでは──とても釣り合いませんねえ」

 山椒魚の表皮から、紫色の粘液ねんえきにじみ出て、体全体をおおくす。見るからに──毒々しい。

 山椒魚は首を縮めると──二人に向かって一気に飛び掛かり、頭を狙ってみ付いてきた。巨体に似合わぬ敏捷性びんしょうせいである。二人は真横に転がりながら、間一髪かんいっぱつでそれを避ける。

「うわ──!」

 クウ達が回避を終えた後も、山椒魚の突進は止まっていなかった。山椒魚の巨大なあごは、地面の岩石を砕きながら突き進んでいく。突進が止まった後は、岩の瓦礫がれきが多数散乱していた。

「見たわね、クウ。──あれは、食らったらマズイわ」

「そうだね。岩の地面が、ガリガリけずられてる」

「突進の威力は、この際どうでもいいの。──私が気にしてるのは、あの毒よ」

 山椒魚の表皮からは、紫色の粘液が間断無くみ出している。触れた場合にどうなるかは、言わずもがな──である。

「やむを得ないわね……」

 フェナはそう言うと──突然自分の上衣じょういを脱ぎ、素肌を露出ろしゅつさせた。今のフェナは胸元に巻きつけられた下着代わりの布以外、上半身には何もまとっていない。

「えっ、フェナ? ちょっ──いきなり何してるの?」

「クウ、そこにいなさい。私がすぐに終わらせから。──"ジリョク"をまとっていない今のシェスパーなら、どんな刃物でもれるわね」

 フェナはいつの間にか、おのの様な武器をたずさえていた。ドワーフの工房らしき一角から拝借したものらしい。

 シェスパーと一体化した山椒魚が、クウ達の方向に体の向きを変えた。フェナは斧を持ったまま──山椒魚の口に向かって走り出す。

「えっ、フェナ!?」

 クウはそう叫んだと同時に、驚愕きょうがくの表情を浮かべる。

 フェナは──大口を開けながら突進して来た山椒魚に、一瞬で捕食されてしまった。
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