輪の魔術師~僕の転生した異世界では、人間は伝説の魔術師になれるそうです~

海老石泥布

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異世界"イルト" ~赤の領域~

32.蝮鱗の由来

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「フェナ!」

 クウが大声で叫ぶ。フェナの全身は、すでに山椒魚の口の中である。

 巨大な山椒魚は、口内のフェナをじっくりと咀嚼そしゃくしているのか、わざとらしく何度もあごを動かす。シェスパーの上半身は──フェナの奇行きこうに高笑いした。

「あはははっ──! この女、血迷いましたかねえ? よろしいですねえ。じっくりと骨まで全てみ砕いてあげますねえ」

 笑みを浮かべるシェスパー。下半身の山椒魚が、その意識に呼応するかの様に口を鳴らす。

「あははは──はっ……? な……何だ……? 」

 シェスパーの声色こわいろが、急激に変化する。

 下半身の山椒魚が、突如として不自然に震え出した。粘液ねんえき分泌ぶんぴつが止まり、痙攣けいれんを繰り返す。

「うっ……! こ、これは……!?」

 異変は山椒魚のみならず、シェスパーの本体にもおよぶ。シェスパーの上半身はぐったりとこうべれ、小刻みに体を震わせている。

 苦しそうに歯を食いしばるシェスパー。その表皮ひょうひには──蛇のうろこた、赤い模様が浮かんでいた。

「うぐっ──まさか、この女か──!?」

 シェスパーの上半身が吐血とけつする。下半身の山椒魚もぐったりと地面にし、自由に動けない様子である。

「嘘だ──! この──わ、私が──こんな所で──!」

 シェスパーの口と鼻から、おびただしい血が流れ出す。苦悶くもんに満ちた顔で目を見開いたシェスパーは、そのまま動かなくなった。

 本体と同じく、生命活動を止めた巨大な山椒魚の腹部が、大きく斬り裂かれた。その内側から──粘液と血にまみれたフェナが、ずるずるとい出してくる。

「フェナ……?」

 クウが名前を呼ぶと、地面のフェナは上目遣うわめづかいにクウを見る。

 フェナのほおには、シェスパーに浮き出ていたものと同じ──蛇のうろこを思わせる模様が見受けられた。

「言った通り、すぐに終わったでしょ? 」

「それは──毒?」

「──猛毒よ」

 フェナはゆっくりと立ち上がり、手で体の付着物を鬱陶うっとうしそうに払う。

「私の目元に、うろこみたいな模様が見える? この状態になると私の体液は──触れた生き物を麻痺させ、血を狂わせる猛毒に変わるの」

うろこみたいな模様……それが、"蝮鱗ふくりん"の二つ名の由来ゆらい?」

「そうよ。この状態は、体力の消耗しょうもうが激しくてね。無理が過ぎると意識を失って動けなくなるの。──持続時間も、そう長くないわ」

「"ホス・ゴートス"の時みたいに、か」

 フェナは大きく息を吐いた。目元の模様がじわじわと退いてゆき、肌色が元に戻る。

「これで元通りよ。──言っておくけど、普段の私の身体には、毒なんか無いわ」

「分かってるよ。そうじゃなきゃ、僕も無事じゃ済まないからね」

 フェナはクウに歩み寄り、じっと顔を近づける。──もう少しで、互いのくちびるが触れそうな距離である。

「クウ──私が、怖いでしょう」

「……どうして?」

「そんな顔をしてるもの」

「……怖くないよ」

「本当かしら?」

 フェナは口を開け、クウの顔に息を吐くと──首に噛みついた。

「っ──!」

 クウは抵抗しない。フェナの方も遠慮は無く、両手でクウの肩をき寄せた。

「──逃げると思ったのに」

「逃げる、理由が無いから」

「ねえ──こんな女だと分かっても、まだやとい続けてくれる?」

「──君さえ良ければ、そのつもりだけど」

「そう。……ありがとう」

 数秒後。満足したらしいフェナが、ゆっくりクウから離れた。

 クウはフェナの肩越しに、"舞踊千刃シェスパー"のむくろを見る。シェスパーの上半身は人型を留めているが、山椒魚と化していた下半身に当たる部分は、白濁はくだくした蛋白質たんぱくしつの様な肉塊にくかいに成り果てている。

 クウはシェスパーの本体のわきに転がっていた──笑い顔の仮面をひろい上げた。

「──クウ、シェスパーに憐憫れんびんの情でもいたの?」

「さあ、分からない」

「もしそうなら、それは私の所為せいね。私の毒で死んだ奴を見て、同情したくなる気持ちは分からなくも無いから。──でも、これだけは言わせて。"十三魔将"には誰一人として、死んで損の無い奴はいないわ」

「別にそんな事、考えてないって。君がやらなかったら、その時は僕がやってた」

「そう……」

 クウはシェスパーの仮面をじっと見つめると、そっと腰袋の中にそれを入れた。

「──もしソウを呼んでたら、こんなに傷を負わずに済んだかな」

「あのフードの人間? ──あの男の戦闘手段は氷でしょう? こんな高温多湿の場所じゃ、大して役に立たないわよ」

「そこまでは言わないけどね。でも、今はソウを呼ぶつもりは無いよ。──ソウに頼ってばかりじゃ、この"イルト"ではやっていけない気がするんだ」

「"輪"の魔術師が、随分ずいぶんと弱気なのね。もっと自信を持つべきよ。──クウが来てから、"十三魔将"が二人も倒れたんだから」

「それが"イルト"の為になったのなら良いけどね。でも、ここに来た当初の目的は──"大盾のドルス"を探すことだよ」

 クウはそこで、ある地点に目を向ける。先程、シェスパーが突進した場所である。抉り取られた岩の地面の下に、不自然に陥没かんぼつしている部分があったのだ。

 近寄って、地面を手で調べるクウ。地面の下は、人が通れる程度の穴になっていた。穴は深く、奥底は見えない。

「──血の跡だ」

 クウは地面を指でこする。赤黒く変色して見えづらいが、穴の奥に向かってぽつぽつと滴下てきかした血らしき痕跡こんせきが続いていた。

硫黄いおうガスが煙幕えんまくになって、近づかないと見えなかったんだ。この下は……洞窟になってるね」

「うっすらとだけど、複数人の足跡が残ってるわね。これは、甲冑かっちゅうの足跡よ。──"白の騎士団"かもね」

 フェナがそう言った時だった。背後に、何者かの気配を感じる。

 騒がしい足音をともなって、黒い甲冑を着た複数人の騎士達が駆け寄って来た。黒い騎士達は地面に転がるシェスパーのむくろを指差しながら、ひどく狼狽ろうばいした様子で何か叫んでいる。

 黒い騎士達は変わり果てたシェスパーしか目に入っていない様子で、クウとフェナには注意を向けていなかった。

雑兵ぞうひょうの騎士達……。まずいわ。少なくとも10人以上いるわね。私が相手をするわ」

 フェナはいつの間にか、先程脱ぎ捨てていた服を拾い上げており、素早くそれを羽織った。

「待った。流石さすがに数が多すぎるよ、フェナ。──この奥に進んで、隠れよう」

「この穴の奥に? 何があるか、分からないわよ」

「多人数相手に無理して戦うよりはいい。行こう」

 クウはフェナの手を引き、穴の奥へと進んだ。丁度いい頃合いで吹き上げた間欠泉のガスが、二人の姿を騎士達の目からくらます。

 穴の中は、地上より湿度と温度が高かった。薄暗い上に、立ち込めるガスによって呼吸もしづらい。クウは内心、ここへ逃げたのは失策であったかと後悔していた。

「クウ、水よ。飲んでおきなさい」

「あ、ありがとう。──本当に、フェナは用意がいいね」

「ドワーフの酒飲み場にあったのを、瓶に入れて貰って来たわ。──お酒が入ったのもあるけど?」

「それはいらない。ここで体温上げても、良いこと無いでしょ」

 フェナが手渡した瓶を、クウは一気に飲み干す。少しだけ、酒の風味がした。

「──奥に向かって、風が通ってる感じがする。空気は循環じゅんかんしてるみたいだね。脱水症状と窒息死の心配はいらない、か」

「私には分からないけど……。それも、クウの"輪"の力かしらね」

「かも知れない。何て言うか、前よりも空気から、色んなモノが伝わってくる感じがするんだ」

 クウの先導によって、薄暗い洞窟も問題無く歩けていた。

「待った、フェナ」

「どうしたの?」

 クウが足を止め、何かを見る。フェナの目には、その方向には何も見えなかった。

「先の方に──誰かいる」
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